設定上はただの変態,それを晦渋,深遠な心理描写で文学に高めたウラジーミル・ナボコフ(Vladimir Vladimirovich Nabokov)の『ロリータ』は,原稿を持ち込んだアメリカの4つの出版社すべてに断られ,パリのオリンピア・プレスでようやく世に出た.大学教養学部時代の同級生で映画プロデューサーの「木守」とアメリカ在住の国際女優「サクラ」に30年ぶりに声をかけられた「私」は,1975年に企画し頓挫した「ミヒャエル・コールハースの運命」の再始動を意識する.アメリカ,ドイツ,中南米,アジアの製作チームがそれぞれ製作し,原作者ハインリヒ・フォン・クライスト (Heinrich von Kleist)生誕200年祭――1977年――にあわせて一斉上映するという一大プロジェクトだった.
高校時代の「私」は,郷里の松山で米軍情報将校が撮った「サクラ」主演の8mm映画「アナベル・リイ」を途中まで観ている.この名は,貧窮の中で早世した妻ヴァージニア・クレム(Virginia Eliza Clemm Poe)を追慕したエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の詩篇「アナベル・リイ」からとられている.ポーの死から2日後にこの詩は見つかっている.大江健三郎は新潮文庫版『ロリータ』に解説を寄せているが,「私が17歳の時に出会った幻想のアナベル・リー,そして現実のアナベル・リーは自分から一瞬も去ったことがない,という認識」と述べている.アメリカ文化センターの豪華本で見つけたポーの原詩に魅了された大江は,本書でも「私」とその詩の出会いを松山アメリカ文化センターに設定.そこから測れるように,初期の実験的,前衛的な要素は後退し,近年の大江文学は私小説の装いによる機動的な物語を構成しているよう.