goo blog サービス終了のお知らせ 
 
Augustrait





[提供:山川出版社]
 ハンムラビは今から3400年以上も前に,43年もの間バビロンの王として君臨した.治世晩年に編纂させたハンムラビ法典の「あとがき」によると,彼は後世の人々に,戦いに勝利した王,人々に安寧と豊饒をもたらした王,そしてなによりも社会的にもっとも弱い立場にあった孤児や寡婦を守る「正しい王」として認められたいと願っていた.本書では,ハンムラビが本当にそのような王であったのかどうか,当時の史料に基づいて検証する――.

 メソポタミアの文献に「正義」という言葉が登場するのは,古アッカド時代(前2334-2139頃)の終わりである.アッシリア・マリ・ラルサ・イシンなど大国に挟まれた小都市国家バビロンの王ハンムラビ(Hammurabi)は,アッシリアの後塵を拝しながら同盟を結び,ティグリス河流域の都市マルグム,ユーフラテス川流域のラピクム,さらに南方の都市とマリを制圧してメソポタミア地方を統一した.南部シュメールとアッカドの二地域は"バビロニア"と命名され,ウル第3王朝の滅亡(前2004年)から,バビロン第1王朝の滅亡(前1595年)までの「古バビロニア時代」に突入する.

 本書は,バビロニア統一,その後の灌漑と生産性向上で民に豊かな収穫を保障し,正義の維持者として「法典」を作成し理想の王たろうと努力したハンムラビを簡潔に描き出す.同害復讐の原則「目には目,歯には歯」で名高いハンムラビ法典は,ウルナンム法典,リピト・イシュタル法典,エシュヌンナ法典の伝統に続く4番目の法典である.玄武岩製の碑には,正義の神シャマシュの前に立つハンムラビの王権受任のレリーフが刻まれ,聖書の律法以前に作られた最も完全な古代の法令集とみることができる.楔形文字によって「商業」「結婚」「相続」「農業」「犯罪」「奴隷」の扱いや権利に関する条文がアッカド語で書かれ,当時のバビロニアにおける司法権力行使の概論として,判例的価値をもっている.

 メソポタミアでは,裁判の執行は王の特権であったから,法典にはハンムラビによる職務遂行が明示されている.ただし,この典は一般的な法典――法規を構造的に集成したもの――とは異なり,いわば模範判例集に近く,これにもとづいて裁判が行われた記録はない.また,当時のメソポタミアの民は,上層自由人(アウィールム)と一般自由人(ムシュケーヌム),奴隷という3つの社会階層に分かれており,社会正義の確立と維持を具体化する法典においては,身分ごとに刑罰の帰結も区別されていた.特に被害者が上層自由人の場合には,被害者の救済というよりも,加害者に対して同害復讐の原則にもとづく刑事罰が科された.

 これは,社会に対する脅威への措置と思われるが,ハンムラビ法典以前の法典にはみられない特徴と考えられている.著者は,2010年から2016年まで古代オリエント博物館館長を務めた.ハンムラビに滅ぼされた古代都市マリの全体像を描くことを模索しているという.ハンムラビ法典は,フランスの調査団によって,1901年にイラン南西部の古代国家エラムの都市スーサの遺跡で断片が発見され,翌1902年に残りの部分が発掘された.モーゼの十戒よりも古い法文と王の布告の碑文は,ヴァンサン・シェイル神父(Jean-Vincent Scheil)によって,およそ半年間で全訳され出版された.

古代法解釈―ハンムラピ法典楔形文字原文の翻訳と解釈
佐藤 信夫
慶應義塾大学出版会

++++++++++++++++++++++++++++++
原題: ハンムラビ王―法典の制定者
著者: 中田一郎

ISBN: 9784634350014
  • 『ハンムラビ王』中田一郎
    --山川出版社,2014.2, , 95p, 21cm
    (C) 2014 中田一郎