フランス散文のなかでも,最も美しい一篇ともいわれる本書の評価が過大であるかどうか,その議論にはあまり意味がない.ジャン・ジャック=ルソー(Jean-Jacques Rousseau)の死後に刊行されたこの作品は,出版直後にヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)がこれを読み,フランスとイギリスのロマン派にもそれぞれ深い影響を与えた.たとえば,ドイツではヘルダーリン,クライスト,リヒターに本書の影響が認められる.フランスではセナンクール,シャトーブリアン,ネルヴァルなどが感銘を受け,イギリスではシェリー,ハズリットらがいる.これらの作家の作品にあらわれる大自然の描写は,まぎれもなくルソーの遺作に範をとっている.
ルソーはフランスを離れ,スイスに逃れる.かつての仲間ヴォルテール(François Marie Arouet, genannt Voltaire)やディドロの迫撃を避けるためである.政府に「土地を退去せよ」と命ぜられたルソーは,モチエへ移る.しかし,民衆の敵意は次第に高まり,散歩中には口汚く罵られ,家には石が投げつけられる.またもや立ち退きを余儀なくされ,サン・ピエール島,イギリスを転々としてやっとパリに戻ることを許されたのは1770年,58歳のときだった.