スマホでニュースを読んでいるとプレジデントの以下のタイトルが目に入った。
ダウン症の「出生前“治療”」ができるようになる?
ダウン症の治療が研究されていて、将来できるかも???
記事の最後のほうで、引っかかった。唸ってしまった。
まだ先のことだろうが、いつの日か、新型出生前診断も
ダウン症の子どもがタイミングよく良い治療を受けるための
検査になるかもしれない。知的障害の度合い は必ずしも
幸せを決めるものではないだろうし、ダウン症は個性で
あるという観点に立てば治療という表現も適切かどうかは
わからない。今、ダウン症を持つ子 どもを育てている人は、
その子のありのままを愛しているからだ。
以前、娘たちとアッチのダウン症が治療されて、普通ぽくなったらどうする??
と話したことを思い出した。
「今更アッチがアッチで無くなっても困るよね!!!」と
「今、ダウン症を持つ子 どもを育てている人は、その子のありのままを愛しているからだ。」
が重なってしまった。筆者に対しては「よくご存じで。。。」と云いたい。
しかし、昨日も障害児のサッカーの試合でいろんな子を見るし、
障害児学童保育を起ち上げた際、何でもかんでも要求してくるママさんたちに、
ダメダメダメとダメ出しするなか、何人かのママさんに「アッチは(障害が)かるくていいわよね!!!」
それまでは、普通の小学校だったので、障害児だからと、いろいろと大目に見て貰い、
温かい情をかけて貰い、謙遜しつつ(障害児なんで。。。と)開き直る??ことはあっても、
かるいからいいわよね!!!と云われたり、障害児のなかでの比較は意識したことは無かった。
というものの、それは、嘘で、小学校の先生から「アッチは、みんなからあいされている。。。。。文化祭のステージでもすごく感じると。。。。。」 大きくなるとそうはいかないとは思っていたが。。。
アッチに、言葉などの障害が無くなって、独り立ちしてくれるのはいいのだが、
いまのキャラクターが、変わられると我々は戸惑ってしまうのだろう。
ありのままのアッチをあいしたとはいいたかないが、うけいれたのだろう。。。だから