雇われの悲しみを君に

もう4月・・・春。

電車に乗ると、新入社員っぽい若者らがちらほら。。

わたしにもそんな時期があった。。

・・・以下おっちゃんの昔話。。・・・

わたしは理学部を卒業したにも関らず、最初に就職した業界はなんと映画業界でした。
(場所は赤坂、、TBSとか当時の日商岩井があった付近。。)

わたしは正確にはある法人の社員であり、映画雑誌を作成する出版部門に所属していた。

映画に興味を持ったのは、教養時代、文学部の助教授たちの主催した

ある実験的な講義に参加したのがきっかけだったように思う。

その助教授の一人は、高橋世織という先生だった。
(あのYMOの高橋幸宏の従兄弟らしい)

大学時代、学者という人種は何人も見たけれど、

芸術家が大学の先生をやっているという不思議な雰囲気を身に纏っていたのは、

・・・ただ一人、高橋世織先生だけだった・・・

当時、この先生に魅了された学生も多かったように思う。

この先生は生まれついての芸術家、というか芸術を学問として伝える

伝道師のような生き方を当然のようにしていた人だったのかも。

そういう芸術の深さをその講義で垣間見たものの、

わたしには多分創造性というものが欠落していて、

そのくせ感受性が豊かであったため、総合芸術にただただ圧倒されるだけの、

単なる敏感な観客に過ぎなかった。

それに気付き、映画業界も場違いと考え、技術と法律が融合した

マニアックな今の業界に転身したわけですよ。

そんな経歴でこの業界にいる人間は、多分わたしぐらいだろう。
(ただし、芸大卒の弁理士もいるようだけど)

この業界に転職した際、面接でなぜ映画業界からこの業界なんだ?

という質問を何度も受けたのだけど、上記のように答えたところで、

理解されることはないはずで、だから「いや映画が好きだっただけで(笑)」

などととぼけたことを言ってごまかしてました。

しかしよくまあ、メーカー出身者だらけの業界で今まで生き残ってきたものだな、わたしは。

それなりに苦しんだ時期もあったから、だから新卒でこの業界に入ってきた新人が

理不尽なつらい経験をしないように、いつも見守っているつもりなのだが、、

多分伝わっていないな。まあ自己満足ですよ、

・・・以上、おっちゃんの昔話でした・・・

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事