
心のどこかに
「あとは知りません」って言い逃れを持っている人は
行動の節々に、「無責任」が顔を出している。
その気持ちがいい加減さをうんで
のちのちのトラブルの原因を
つくっている場合があるようなきがする
「信じられない」という気持ちも
きっと同じ作用があって
どこかで、「信じ切れない」部分を持っていると
石につまずいただけで
「やっぱりそうか」って諦めるほうが反応しちゃう。
「自信」とは「自から信じる」とも受けとれる
誰かを「信じられない」というまえに
そもそも「自分を信用してるのか」とギモンにいきつく。
可能性を見いだすのは
数字だけでなく、
まずは「可能性があるということを信じる」ことが
スタートのような気がする
だけど
「自分を信じること」ってどういうことだろう?
ここずっと、自分自身へのギモンだった。
答えは、まだわからない。
でも、最近はなんとなく描いた答えがある。
「小さな約束でもまもること」
「ルールをまもること」
「規則正しい生活をおくること」
「自活すること」
きっと、自分に後ろめたいことをもっていたり
過去の”痛み”と向き合っていなければ
なかなか、自分に自信をもつことなんてできないんだろうな。
私が、なかなか自信がもてないのは
上記のいずれも守られていないからと思うのでした。
少しずつ、改善していくのであります。
なぜ「自分に自信をもちたい」と思うのか
自信がないと、小さなことでも気になったりするんです。
愛着が執着になっていくんです。
些細なことをいつまでもひきずっているんです。
プレッシャーに弱くて、本番に胃を痛めるのです。
「本気」をむき出しにするのが怖いんです。
もうそろそろ、そういう時期から脱出したいと思うのと
人を責める前に、自分はどうなのよ?っていってやりたいと思うのでした。
「あとは知りません」って言い逃れを持っている人は
行動の節々に、「無責任」が顔を出している。
その気持ちがいい加減さをうんで
のちのちのトラブルの原因を
つくっている場合があるようなきがする
「信じられない」という気持ちも
きっと同じ作用があって
どこかで、「信じ切れない」部分を持っていると
石につまずいただけで
「やっぱりそうか」って諦めるほうが反応しちゃう。
「自信」とは「自から信じる」とも受けとれる
誰かを「信じられない」というまえに
そもそも「自分を信用してるのか」とギモンにいきつく。
可能性を見いだすのは
数字だけでなく、
まずは「可能性があるということを信じる」ことが
スタートのような気がする
だけど
「自分を信じること」ってどういうことだろう?
ここずっと、自分自身へのギモンだった。
答えは、まだわからない。
でも、最近はなんとなく描いた答えがある。
「小さな約束でもまもること」
「ルールをまもること」
「規則正しい生活をおくること」
「自活すること」
きっと、自分に後ろめたいことをもっていたり
過去の”痛み”と向き合っていなければ
なかなか、自分に自信をもつことなんてできないんだろうな。
私が、なかなか自信がもてないのは
上記のいずれも守られていないからと思うのでした。
少しずつ、改善していくのであります。
なぜ「自分に自信をもちたい」と思うのか
自信がないと、小さなことでも気になったりするんです。
愛着が執着になっていくんです。
些細なことをいつまでもひきずっているんです。
プレッシャーに弱くて、本番に胃を痛めるのです。
「本気」をむき出しにするのが怖いんです。
もうそろそろ、そういう時期から脱出したいと思うのと
人を責める前に、自分はどうなのよ?っていってやりたいと思うのでした。
う~ん。。
どうだろう…
なんも考えずに、
目の前の自分の仕事のことだけ、
ほんとに自分の仕事のことだけ、だけだけ(笑)
考え続けるのもいいかもだょ^^
そうするのって、結構むずかしいけどさ
痛みから逃げないというのは確かに大事かもだけど、
あたくしの経験からすると、
痛みから逃げようとしてもがき続けたとしてもね、
逃げられないんよ(笑)
残念ながら、いつかは分からないけど、
そのうち必ず、それまで自分が見ていなかった(無意識に避けていた)部分と
対峙する羽目になりますヮ^^
なので、とくに意識して痛みと向き合う必要は、ぜんぜんないかもょ。
思うに、人間ってさ、
もわっとした将来の不安の中にいて、
そのうちいつか自分が傷つくのが怖くて、
だから、いまのうちにああだこうだ、考えておこうとする
もんなんじゃないかなぁ(笑)
なんも考えないようにする、ということは
そのような「あらかじめ自分が傷つかないようにする」態度を
放棄することだったりするもんだから、
怖くて、できなかったりする。
でも、その怖さを忘れさせてくれるのが、
手元にある仕事だったりする。
考えないことの怖さを忘れて仕事しているうちに
考えなくてすむような自分ができてくる。
自分に自信をもつ、というか、
確信を持って前に進むということのためには、
きっと、
くる日もくる日も、ただただ手元の自分のすべき仕事を一生懸命こなすという一点だけが必要で、
それ以外はとくになんも必要がないんじゃないかなぁ。。。(笑)
ということで、
あたくしは、な~んも、考えない人間になろうと思っておりまふ♪
むずかしいけどっさ^^
ん…f(°°)
ぉ…
意味不明?かもだな…(-。-)ぼそっ
「ルールをまもること」
「規則正しい生活をおくること」
「自活すること」
↑このことを、守ろうと努力する意思を常に持ってれば良いんじゃない?
そうそう思ったとおりにやり遂げられないのが現実だなと感じるのさ。
ある程度の自信と、ある程度の不信と、過信と謙虚と、ごちゃごちゃしたものがあって形成されてるもんだよ人間って。
「こいついい加減だなぁ(怒)」って思っても、そいつよりいい加減な部分が自分にもあったりして、どこかでそれを非難されてたりして。でも、そんなもんだよ。
「本気」をむき出しにするのが怖くない人間なんて、いないって。
人と向き合うこと、自分と向き合うことは
複雑で難しいけど、ただ流されて自分の気持ちだけは見失いたくないって思います。
いつも走りっぱなしでいるわけでもないし、一滴ずつでも水を注いでいれば、いつかコップ一杯になるように、焦らず、でも少しずつススんでいければいいなってオモッテオリマス。
あまりに、自分のペースがマイペース過ぎるため、自分のことなのに、自分で心配したりもします。
やっと、今になって「大丈夫」って言い聞かせるようになったけど、ずっと「不安」が残っているのは、コレたぶん、性格の問題だな(苦笑)
ともあれ、お二人のメッセージをたまに読み返したいと思います☆
「自由にやれ。但し、その責任はちゃんと取れ」
という言葉をもらい、今もそれを自分の中心に置いて、自分の行動への判断や他人との関わり合いで悩んだときの基準にしています。
自分で責任を取れるって、一度覚悟できると急に目の前がスッキリするんですが、なかなか。
そこまでにいたるまでは不安でいっぱいです。
コメントありがとうございます。
ご家族の暖かくも厳しい教えがあって今に至るのですね。私も似たようなことを親から言われて、自分の好きなことをする代わりに、人に迷惑をかけるなと言われてきました。
「親はなにもしてくれない」というのが当たり前に育ってきたのですが、言葉には、何より自分を信頼をしている気持ちが隠されていたことを、後になってから気がつかされました。
仕事以外のプライベートな部分では、親の助けがあって、生活が成り立っているので、そういう意味でも、できるだけ
「規則正しい生活をおくること」
「自活すること」
のあたりを実行できるようにしたいとオモッテオリマス。