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旅の形 その39 オーストリア ウイーン ハプスブルグ家

ハプスブルグ家 その2

 フリードリッヒ三世は勢力の強いブルゴーニュ公国のシャルル突進公の公女と息子マクシミリアンの結婚を進める。

 ブルゴーニュ公国の版図はオーストリアとフランス挟まれ、ネーデルランドを含む地域になっている。

 この結婚話には、勢力的には数段上のシャルルだが、皇帝からの申し込みということで心を動かした。

シャルルはフリードリッヒ三世に自分をローマ王宮に推挙してくれるなら、との条件を出した、しかしマクシミリ

アンはローマ王を決定するのは自分ではなく選帝侯で、自分が要求を受け入れるわけにはいかないと原則をつらぬ

いた。

 その後腹を立てたシャルルは数回ドイツへの進行を試み敗退、その後スイスとの3回目の戦いで、戦死した。

 それではシャルルの娘のマリアはどうなったかというとフランスのルイ11世から皇太子との結婚を迫られるが拒否ハプスブルグ家に助けを求め、マクシミリアンと結婚する。

 怒りに駆られたルイ11世は様々な陰謀を巡らせる、これに対してマクシミリアンは敢然と戦いを挑んで、ギネガ

テの戦いでルイ11世軍を打ち負かした。

 名実ともにこの時点で、マクシミリアンがブルゴーニュを統治することになるが、この頃のブルゴーニュは、す

べての面で、ハプスブルグ家より勝っていた、ブルゴーニュ人からは、ハプスブルグの人たちは野蛮な人たちと

映ったようだ。

 しかし、マクシミリアンとマリアは幸せに生活を始めていた。


 良いことは長く続かないということのようにこの中の良い夫婦は結婚して4年後にマリアが帰らざる人となってしまう。

 ブルゴーニュの市民たちはマクシミリアンのことはマリアのだんなと思っている。ハプスブルグ家はでていけと

いう市民もいる。

 マリアの死とともに蜘蛛王ルイ11世はこの不幸に付け込んで、ネーデルラントの不満分子焚きつけて内乱状態に

してしまう。

 しかしマクシミリアンは巻き返しを図り反対派の拠点のガンやブリュージュを制圧する。
 

 これで、彼のブルゴーニュ時代はひと段落で、舞台はドイツへと移動する。
 
 マクシミリアンがガンやブリュージュを制圧していたころ、ウイーンにハンガリー軍が攻め込んでいた。

 ウイーンは地図で見るとわかるようにハンガリーと接し居ているハンガリーの背後にはトルコがいる。

 ウイーンがヨーロッパの重要な軍事拠点であったことがわかる。

#オーストリア #ウイーン #ハプスブルグ家 #マクシミリアン

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