欧州気まま旅+トキドキ国内旅行 The Travel of Europe

一日中お昼も食べずにがんばったかと思えば レオナルド 最後の晩餐

2020年1月訪問 イタリアからコロナがなくなるまで書き続けます。

(訂正とお詫び)昨日『ヴァザリー』のことをレオナルドと同時代の人と書きましたが、記憶違いで半世紀ほど後の人でした。

 ★一日中お昼も食べずにがんばったかと思えば 現れて一筆で終わる日も レオナルド 最後の晩餐






『レオナルド ダ ヴィンチ』に『最後の晩餐』を命令したのはミラノ公『ルードヴィーコ・スフォルツァ』でした。


 1495年ルドーヴィーコからの注文を受けて『最後の晩餐』作成が開始されました。彼はこの『サンタ・マリア。デツレ・グラーツィエ教会』を、菩提寺にするために増改築を始めていました。

 ルードヴィーコ其れまでに甥の『ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ』を毒殺して、自分がミラノ公の地位についていたのです。

 画像、壁画上部の紋章は『ルードヴィーコ・スフォルツァ』のものです。





 それでは、レオナルドがこの壁画の作成を進める工程はどうだったのでしょうか、心を入れ替えて、普通の画家たちが制作を進めていくように着々と絵の制作は進んでいたのでしょうか。

 それは(ノー)でした

 ある司祭が語る実態は、「彼は早朝に現場に入り足場を組み立てると、一日中描いているときもあり、何も書かない日もあった。また、絵の前に1時間も2時間も座り描いた人物を見ながら自問自答するように考えこんでいることもあった。」ということで、作成の 工程については何も変わることがなかったようです。

 壁画が遅々として進まないので、ある時この修道院の院長が制作を早く進めるように、ミラノ公に進言します、ミラノ公はレオナルドを読んで、進捗状況を確認しながら院長の意見を伝えます。

 レオナルドはこう返したといわれています。「私は今ユダの顔をどのように描こうかか思案中です、もし早く書けというならば、その思い浮かばないユダの顔を院長の顔にしましょう」

 これが本当のことだとするとレオナルドはユーモアのセンスもあったのですね。

 とまれ、レオナルドの制作態度は固くなに、自分のやり方を守りとうすという意思に基づいていました。頑固者だったのですね。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「イタリア ミラノ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事