(訂正とお詫び)昨日『ヴァザリー』のことをレオナルドと同時代の人と書きましたが、記憶違いで半世紀ほど後の人でした。
★一日中お昼も食べずにがんばったかと思えば 現れて一筆で終わる日も レオナルド 最後の晩餐
『レオナルド ダ ヴィンチ』に『最後の晩餐』を命令したのはミラノ公『ルードヴィーコ・スフォルツァ』でした。
1495年ルドーヴィーコからの注文を受けて『最後の晩餐』作成が開始されました。彼はこの『サンタ・マリア。デツレ・グラーツィエ教会』を、菩提寺にするために増改築を始めていました。
ルードヴィーコ其れまでに甥の『ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァ』を毒殺して、自分がミラノ公の地位についていたのです。
画像、壁画上部の紋章は『ルードヴィーコ・スフォルツァ』のものです。
それでは、レオナルドがこの壁画の作成を進める工程はどうだったのでしょうか、心を入れ替えて、普通の画家たちが制作を進めていくように着々と絵の制作は進んでいたのでしょうか。
それは(ノー)でした
ある司祭が語る実態は、「彼は早朝に現場に入り足場を組み立てると、一日中描いているときもあり、何も書かない日もあった。また、絵の前に1時間も2時間も座り描いた人物を見ながら自問自答するように考えこんでいることもあった。」ということで、作成の 工程については何も変わることがなかったようです。
壁画が遅々として進まないので、ある時この修道院の院長が制作を早く進めるように、ミラノ公に進言します、ミラノ公はレオナルドを読んで、進捗状況を確認しながら院長の意見を伝えます。
レオナルドはこう返したといわれています。「私は今ユダの顔をどのように描こうかか思案中です、もし早く書けというならば、その思い浮かばないユダの顔を院長の顔にしましょう」
これが本当のことだとするとレオナルドはユーモアのセンスもあったのですね。
とまれ、レオナルドの制作態度は固くなに、自分のやり方を守りとうすという意思に基づいていました。頑固者だったのですね。