ホーエンザルツブルク城は1077年神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の聖職叙任権闘争の後に教皇葉の大司教ゲプハルト フォン ヘルフェンシュタイン1世が、皇帝派の南ドイツのカノッサの屈辱の報酬を恐れて南の端、メンフィスブルク山頂に建設した防衛上の城です。
聖職叙任権闘争とは(ウイキペディア)ローマ帝国内では皇帝が司教たちの任命権を握って影響力を強くしていくことで、教皇選出においてまで影響力を持つに至った。しかし、俗権による叙任権のコントロールはシモニア(聖職売買)や聖職者の堕落という事態を招く一因ともなった。
カノッサの屈辱とは(ウイキペディア)077年、自らの政治的地位が危うくなることを恐れたハインリヒ4世はグレゴリウス7世に贖罪した(カノッサの屈辱)。その後、勢力を立て直したハインリヒ4世は軍事力を行使しグレゴリウス7世をローマからの逃亡させるに至った。そして両者の死後においても、皇帝と教皇の争いは一進一退であり、何らかの妥協点を定めることは困難に見えた。
では内部に入りましょう
ケーブルカーを降りると、白のエントランスに続く道があります。

小さな門をくぐります、上には家紋でしょうか置いてあります


進んでいくと井戸が 井戸は何か所かにあり、長期の籠城にも耐えられるようになっています

大砲も多数装備できるように作られています

いつ単広間に出ます


