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欧州気まま旅+トキドキ国内旅行 The Travel of Europe

カーナリ変った 尾山神社 神門 金沢 石川

2020年12月訪問

 

★カーナリ変った 和洋折衷 尾山神社 神門 金沢 石川

 

日本を旅する楽しみの一つにその土地の歴史を知ることがあります。

金沢 加賀百万石『前田利家』の城下町ですね。

『前田利家』と言えば、尾張国荒古城城主『前田利春』の四男。

幼い頃は『織田信長』の小姓として仕え、青年期には赤母衣衆として従軍、

赤母衣衆は『信長』の親衛隊で、『利家』は槍の名手で、『槍の又左』と呼ばれました。

 

 

ここが『尾山神社』で『前田利家』とその妻『松』をまつる神社です。

これはこの神社の『神門』と呼ばれる門です、ちょっとユニークな格好をしているでしょ。

『前田利家』は『織田信長』が『明智光秀』に打たれると、

『羽柴秀吉』側につき以来『豊臣秀吉』の宿老となり加賀国と越中国を与えられます。

『秀吉』没後は、『徳川家康』の牽制役としての役割を果たしますが、

『秀吉』が死んだ後、八か月余りで亡くなります。

『利家』がなくなった後、息子の『利長』は『家康』との一戦を覚悟します。

事実『家康』も加賀征伐を計画していたのです。

しかし、『利家』の妻の『芳春院』が自ら『家康』の人質となることで、

闘いは回避されました。

『関ヶ原の戦い』では、『家康』側についたことで、外様の大名となります。

前田家二代『利長』は亡き父『利家』を神として神社にまつろうしますが、

そこは外様の悲しみ、おおっぴらにまつることもできずに、『卯辰八幡宮』に名目を付けて、『利家』をまつることを余儀なくされました。

ということで、明治まで、『前田利家』をまつる神社は表向きありませんでした。

明治維新後明治六年(1873年)に建てられたこの神社の門の設計は何とオランダ人設計士に託されたのだそうです。ですからこの『神門』は、和洋折衷建築なのです。

 

 

『神門』は三層でできているのですが、なんとその三層には、よく見てください、

『ステンドグラス』が施されています、そしてそして屋根の上には避雷針が取り付けてあります。面白いですね、私も和洋折衷の神社の門は初めて見ました。


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コメント一覧

at9071
wakuwaku様
コメントありがとうございます。
金沢は古いところと新しいところが入り混じった面白い街ですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
wakuwakuka-san
金沢に行ったときこの山門のすぐ近くのホテルの泊まりました。なんとも不思議な印象を受けました。でも金沢では古い料亭にも、なんと!トイレにステンドグラスがありびっくりしたこと思い出しました。
金沢は工芸の町、商人たちのステイタスだったかも?
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