2016/3/3(木) 晴
今日も天候は晴、自転車日和。午後1時半の出発。
昨日と同じルートで、城山上代町の城山まで走る。
今日は、東登山口から東峰に上る。
30mほどの標高差だろうか、坂道を登ると正面に三の塚古墳(写真1参照)が見える。
道幅は広くなっているが、古墳築造当時の道が生きていたのであろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/3c/21adb21440181fc65f022512ee4fd693.jpg)
入り口は西側、扉は壊れている(写真2参照)。
断りなしではあるが入らせていただく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/57/df34dc962d9df9be7ebf76e9998b0ae0.jpg)
竹が生えているが、石室羨道(写真3参照)の奥に石室が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/7b/c5013df3ab14aef7a94b7c40cf14c7b3.jpg)
上部の封土は流失しているが、石室下部は原形を留め石屋形(写真4参照)が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/05/307a56c50d9b38df7c631ca672fe6743.jpg)
石屋形奥壁(写真5参照)には、拓本をとったときのインクか、落書きの顔料かが付着している。
熊本市は、指定古墳であれば手入れをしていただきたいと思う。このまま荒れていくのを座視するのも辛い。
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左側の立ち上がり壁(写真6参照)とその基礎石部分(写真7参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/3d/e46778dd5bc2727bf2ad5200c84d9843.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/07/2ce0ce5eac0831eb4223050b70c64fc0.jpg)
右側の立ち上がり壁(写真8参照)とその基礎石部分(写真9参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/d7/5fb08b43dbeecad903226c63287fb368.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b3/b263296c1e8c3f069089e6b1b1c65b5b.jpg)
石室内から玄門(写真10参照)方向。
城山古墳三の塚の場所:(マップファン地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/89/b32d92dcbe5e63ff1e9235c748d31702.jpg)
さらに上がって、一の塚古墳の西側に二の塚古墳(写真11参照)はあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/a7/4361741f2b9b63155f89ce08f80951ec.jpg)
東側から見た塚(写真12参照)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/a5/daa1a40b5955ad0a9b56e185e03798f1.jpg)
北側から見た塚(写真13参照)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/0b/1db7f3c68f34dfd1b022d4e65da73ef0.jpg)
西側から見た塚(写真14参照)。現代の墓石が迫っている。
城山古墳二の塚の場所:(マップファン地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/98/77dd554d486788638cca32059f211ab4.jpg)
少し時間があるので、熊本港まで足を延ばし引き返すことにする。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)11km→城山10km→熊本港19km→熊本(自宅)
所要時間4時間(実3時間) 総計40km 走行累計15,730km
城山古墳一の塚
2016/3/2(水) 晴
今日の気温予想は12度、天候は晴。
10度を超えると春めいて自転車最高!!午後3時の出発。
熊鹿ロードを南下し、井芹川河沿いを走り、城山上代町の城山に上る。
先に西峰に上る。
熊本市水道局の貯水槽の脇に上代城跡の石碑(写真1参照)がある。
上代城は、鹿子木親俊が築城し、鹿子木寂心の家臣今福民部が城主と伝わっているという。
西峰にも古墳石室跡らしい石組の石は、あるが明瞭に古墳と断定できるものないので東峰に移動する。
東峰の南側に、野面積みの石垣がある。
角が算木積みになっているので、近世以降の築造と判断した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/4e/8e4acb5ab22b0464b1ddb4b826370af8.jpg)
東峰の東側の最高位に城山古墳一の塚(写真2参照)がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/29/b28aed44aa1e0d0f57b988512eab6842.jpg)
古墳上り口の両側に門石が積まれている(写真3参照)
古墳築造時のものではないかもしれないが、平石持ち送り式に積み上げて石室を構築する技法と似ている。
緻密に綺麗な積み方がしてある。石工職人の心意気が感じられる。
右側は少し上部が乱れているが、左側は完璧な形で残っている。
フェンスの外ではあるが、大事に残していただきたいと思う。
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東側に廻って見る(写真4参照)
城山古墳一の塚の場所:(マップファン地図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/03/53ee4b4c021e0d255af5c4c779102cab.jpg)
二の塚、三の塚を探すが、フェンスがしてある所と塚らしい微高地があるが、確証はない。再度探訪したいと思う。