2020/7/8(水) 曇
天候は曇り、予想最高気温30°湿度70~85%、午前10時から山鹿市鹿本町中川の小西行長供養塔探訪ポタリングに出る。
往路は前回とほぼ同じ。復路は、道の駅「夢大地」に立ち寄り熊鹿ロード経由で帰宅する。
中川橋から菊池川下流方向(写真1参照)を見る。
昨夜は、川幅いっぱいに流れたようで、河川敷の草が下流方向に倒れている。
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橋を渡り右折して集落内を一周するが目的の供養塔は見つからず、取敢えず中川八幡宮(写真2参照)に立ち寄る。
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楼門左側の説明文(写真3参照)には、山鹿市指定文化財「中川八幡宮鳥居の透かしを持つ架け鏡」が天正十八年(1590)に作られもので、壁などに掛けて礼拝の対象としていましたとある。
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拝殿は入母屋造り(写真4参照)の見事なものである。
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切妻の壁(写真5参照)の見事な彫刻。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/c1/7f3b8d18324983befb212c675be48c90.jpg)
その下の唐破風の入り口の彫刻(写真6参照)も見事である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/ba/8ede1ab3b0c54bf29d9a65d7970c0495.jpg)
他の壁も期待できると反時計回りに一周する。
神殿切妻右壁の彫刻(写真7参照)
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神殿切妻左側の壁の彫刻(写真8参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/70/a5d264279f84840f811916f8a1b097ab.jpg)
拝殿の神殿側の切妻壁の彫刻(写真9参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/63/2ce2c253f34e9e0170d143936a368d2f.jpg)
さて、小西行長供養塔の所在は、昨夜の雨の後片付けにお見えだった地元の人にお聞きした。
ご教示の通り移動すると、田圃の中の島状の微高地に白い標柱(写真10参照)が見えた。
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小川の橋の袂から畦道(写真11参照)を入る。
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この敷地に御堂があり、御簾の向うに仏様(写真12参照)が御座る。
この仏様の左右に石仏が8体?鎮座する。ここの主祭神と思う。
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仏さまに一礼して振り向けば、山鹿市指定小西行長供養塔(写真13参照)がある。
説明文「キリシタン大名であった小西行長の死を悼んで、行長の家臣やキリスト教信徒たちが立てたと伝えられています。塔には慶長五年(1600)の銘があり、石碑の下面には十字の刻印があります。」とある。
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供養塔の台座に陰刻(写真14参照)があるので、写真に撮ったが家紋ではないらしい。
中央は帆掛け船か?
小西行長の家紋は、「中結祇園守(なかむすびぎおんまもり)」を使用している。この紋はデザインは少し異なるが立花宗茂も使用している。宗茂は大友宗麟の家臣だったので、キリシタン繋がりか?
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昭和60年建立の小西行長供養碑(写真15参照)
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由緒書「小西行長は泉州堺の豪商小西隆佐の子として生まれ、年若くして秀吉に仕え数々の戦功により宇土城二十四万石の城主となった。関ケ原の合戦には敗れて京都六条河原で刑死す。
宇土城開城と共に家臣は行長の弟隼人の遺児忠右衛門を伴い、秘かにこの地に隠れ住み姓も小材と改めた。
小材家は小西一族の後裔と言われている。
昭和三十六年県文化財保護委員原口長之氏の調査により、碑の下端にクルスの十字が陰刻され、貴重な隠れキリシタンの遺跡であることが分り、昭和五十六年町指定有形文化財となった。
碑の前面には「慶長五年 西岳院殿行長即得大居士 十月六日」と記され行長の死後直ちに建てられた供養碑である・・・・」とある。
小材姓のルーツが小西(材=西)姓にあることを初めて知る。
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帰路は久しぶりに「夢大地館」に立ち寄り、帰途に就く。
帰路の途中思ったことは、決めつけいてはいけないが八幡宮の棟が高く切妻壁がキリスト教会の礼拝堂の塔に思えた。神殿の彫刻も見慣れたテーマではないことに、隠れキリシタンの里?を感じたように思った。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)→23km小西行長供養塔27km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計50km 走行累計34,624km