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熊本から気ままに山と自転車のブログ

旧玉名干拓施設(国指定重要文化財)

国指定重要文化財「旧玉名干拓施設」
2023/2/8(水) 晴

今日は最高気温15°早朝の気温4°今日は陽射しがあり暖かい日になったので、午前11時からポタリング出る。
目的地は、玉名市の国指定重要文化財(建造物)「旧玉名干拓施設」とする。

往路は、県道31、国道208から伊倉町を経由し、大浜町、横島町の平地を西進する。
前回は旧干拓堤防に東の唐人川の方から入ったので、今日は西の菊池川の方から入り「旧玉名干拓施設末広」(写真1参照)を見る。


次に少し東南方向に移動して、「末広開二枚戸樋門」(写真2参照)を見る。


その右側に六枚戸の樋門(写真3・4参照)を見る。
標柱説明文には、「明治二十八年(1895)末広開干拓潮止と同時に完成した。
他に類を見ない排水堰である。」とある。


説明板(写真5参照)には、「玉名市に所在する干拓関係施設の中で、明治二十年代から四十年代にかけて築造された、末広開潮受堤防、末広開樋門(東・西三枚戸樋門、二枚戸樋門)、明丑開潮受堤防、明豊開潮受堤防、大豊開潮受堤防が、旧玉名干拓施設として国の重要文化財に指定されています。明治時代に起源を持つ干拓関係の施設が、総延長約五・二kmにわたって良好に残存しているのは、全国的に稀であり、貴重な遺産です。各部分で石の積み方が異なる状況から、潮害のたびに改修されながら使用され、堤防を守り通してきた人々の努力の跡がうかがえます。
末広開樋門は、末広開と明丑開の間に設置され、東西の三枚戸(通称六枚戸)と二枚戸樋門で構成されます。いずれも玉名地域では最大級の規模を誇る樋門です。樋門には水流によって自動開閉される招戸が設置され、干拓地内に溜まった水を干潮の時は開いて海に流し、満潮の時は閉じて海水の侵入を防ぐ重要な役割を担います。現在の六枚戸は招戸が失われ、二枚戸樋門は鉄製の招戸に改修されています。
二枚戸樋門の招戸の上部石材には碑文が残っており、「明治四十一」と刻まれ建設年代が判明します。」とある。


「明丑開潮受堤防」(写真6・7・8・9参照)が続く。


明丑開潮受堤防終端に説明板(写真10・11参照)がある。そこには、「この堤防は明治二十六年、栗崎寛太氏他六名の人達により築堤された。横島干拓として四十三番目で面積八十九町歩である。同じ年に他の人達による明豊開も完成した。
明治以後の堤防はコンクリートを用いた頑強なものになったが、台風や高潮等による被害も大きくなっていった。明治二十八年、三十八年、大正三年、六年、八年、昭和二年と被害が相次いだ。中でも昭和二年の大型台風による堤防決壊では二名の死者と千五百名の被災者を出した。六百町歩もの田畑の損害は県下第一であった。昭和四十二年の横島干拓潮止によってようやく堤防決壊の心配をせずにすむようになったのである。
先人が命がけで守ってきた貴重な遺産を永く大切に守っていきたい。この潮受堤防及び樋門(通称「六枚戸」)は全国でもまれな干拓遺構であり、県の文化財に指定されている。」とある。平成二十年四月の日付であるので、その後、国指定になったものと推測する。


明丑開潮受堤防は、「横島漁港」に繋がる川(写真12参照)に当たり一旦途切れるが、川を渡り明豊開潮受堤防へと続く。


帰路の途中、木葉の交差点の表示板は15時48分気温21°を表示していた。
17時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)31km→旧玉名干拓施設34km→熊本(自宅)
総所要時間6時間(実5時間) 総計64km 走行累計52,585km


旧玉名干拓施設(国指定重要文化財)
2014/10/21(火) 曇

ロードバイク走行3回目は、吉次峠から横島干拓平野へ。
課題は、吉次峠を上り切れるか?
自宅発10時。無風で曇空の下、熊鹿ロードを北へ走るが、今日は中学生の駅伝大会とのこと。
通行止めなのでやむを得ず、県道31を走る。
植木町辺田野から標高差150mを吉次峠へ向かう。
尾根筋の取り付きは、やはり厳しく自転車を押して歩く。
周辺の風景が見える辺りまで上ると斜度も緩やかになり再度自転車に跨る。
吉次峠を無事に上り、振り返って半高山を見る(写真1参照)。


西南戦争薩摩軍大隊長、篠原国幹戦傷の地の慰霊碑の前を通り西進する。
展望良好な県道332を小天地区方向へ進む。
写真手前は県道1のループ橋、遠景に横島干拓地(写真2参照)が見える。


草枕交流館に寄り、「花子とアン」でときの人となった白蓮と、ここ小天の前田案山子の三女槌子と、宮崎滔天の長男宮崎龍介が写っている家族写真を交流館職員の方から説明いただく。
宮崎龍介は、昭和12年近衛文麿首相の密使として、蒋介石と和平協議するため上海に渡航しようとするが神戸で憲兵隊に逮捕される。
このとき渡航できていれば歴史が変わったかも・・・と、歴史の一コマを身近に垣間見たよう感動を覚える。
白蓮さんは大正天皇のいとことの説明に、高貴な方であったことに驚く。

交流館を後にして、国道501沿いの農産物直売所「郷〇市」に寄り、少し甘めの家庭的味付けの定食を食べる。
交流館で頂いた観光パンフレットを見ていたら、「国指定重要文化財堤防」の文字を見る。行ってみることにする。
国道501を河内町方向に1km程戻り、信号機のある交差点を右折して田んぼのなかを走り、唐人川を渡り国指定重要文化財の旧玉名干拓堤防(写真3・4参照)を観る。


全長5.2kmあるそうだ。
ヨーロッパの城塞都市の城壁のような景観に感動する。
堤防は水路を挟んで北へ延びる。
熊本県のHPでは、高齢の町民はこの堤防の内側を「背後地」外側を干拓地と呼ぶとある。


堤防は、菊池川に突き当たり終る。
川の向こうには長洲町の造船所が微かに見える。
帰路は県道1から国道208・国道3熊本市中央区経由で帰る。

今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)31km2.5h→旧玉名干拓堤防42km3h→熊本(自宅)所要時間7.5時間(実5.5時間) 総計73km 走行累計8,217km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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