某所で某氏がオモシロとか言ってたがあえて反論させていただく。ぜ。
元アニヲタとして…いや普通に一般庶民としてでもいいんだけど、正直つまらんかった。といっておく。
駄目ポイントはー
・声優
・脚本
・設定
・演出
・その他いろいろ
とまあこんな感じで、許されるのは作画と色指定くらいでしょう。
とはいえ両方とも劇場レベルではありませんが。
まず声優。なんだよあのヘタレ。
猫の恩返しを彷彿とさせるヘタレっぷりだな。
次、脚本。
原作を大幅アレンジ!ってのはまあ時代が時代だししょうがない。
が、しかし。
それでは今の20代後半~おっさん世代にはウケは悪いわけよ。
なんでかって?
そりゃ「青春」を描いているのに俺らの青春とは全く別の異次元ワールドはちゃめちゃご都合主義ドタバタコメディだからだよ。
俺らの青春時代ってケータイなんかなかったんで、もうその描写だけで「萎える」んだわ。
この感覚、なんでもメールすりゃ済むと思ってる若い子にゃわからんだろうけどな。
主人公の設定
http://blog-imgs-18.fc2.com/n/u/r/nuruwota/20060928093505.jpg
な?
萎えるだろ(と、同世代の人にアピールしてみる)。
「すぐ横にいそうな女の子」
…いねーよ。
アニメ的には居るのかもしれんけど。脳内とかモニタの中に。
ここ数年のアニメって"萌え"から「外れた」ヒロインを描くのが下手になってきたと思うんだよね。
っていうのは監督や脚本家の思い描く「理想の少女像」みたいなのばっか押し出してるからキモいんだわ。
別に松本零時はそれでいいんだけどさw
キャラ設定ひとつとっても現実が舞台なのにキャラは非現実的だから(時かけは一応タイムスリップというファンタジーではあるけど)、キャラの行動や台詞に違和感を覚えてしまう。
これは今の日本のTVドラマとかでも同じ。
今のドラマなんて「こんな展開ありえねー」の連発でしょ。
こういう脚本・設定をもってきて、じゃあこのアニメどういう世代・層に見てほしいんだ?ってのがよくわからないわけ。
少なくとも俺はそこにあてはまらんわな。
青春時代の恋愛を描いたというならば、ジブリの「海がきこえる」はそういうのがきちんとわかる良いアニメだと思う。
演出はまあ気にする人は気にするって項目だけど、脚本が絡んでる部分もあるのかな。まあそこらへんを。
まず中庭でプロレスの回転投げ(名前失念)とかやらんだろ。
アニメ的にもあれを入れる意図がよくわからない。
アニメってのは要らないものは描写しない、って方向で作るのが一番正しいと勝手に思ってるんだけど。
それは効率的にも尺的にも、さまざまな要因があるわけだが略。
まあそれ言ったら放課後に女一人男二人で野球やるかって話にもなるのだが、…まあファンタジーと割り切るのが一番良いのかもしれない。
個人的に掘り下げて描いてほしかったのはプリンであったり妹とのコミュニケーションであったり、本当に残念である。
なんでプリンかって?
だってあれは非常に「現実的」じゃん。
特に「姉妹」という設定が生きてくるしキャラクターの性格が見ている側に伝わりやすい。
家族ってのは時かけ的にはプッシュしなくても良い部分だけど、やっぱり人間が生きていく上では「家族」ってのは大事な部分だと思うしノータッチよりは随所随所に触れていった方がリアリティは出ると思う。
人間が生きるってのはつまり「人生」であって「ヒトのナマ」なわけ。
それを描写することで人生が伝わるし、人間らしさが出るし、そこに感情移入ができる…かもしれないわけ。
ジブリの「耳をすませば」(またジブリで申し訳ないが、わかりやすいだろうということでごかんべん)だと冒頭から母、そして父、さらに姉に挟まれたキャラ設定が見ている私たちに伝わってくる。
こういうものが脚本を通じて描写されることで我々はキャラクターに対して「人間味」を感じるのではないだろうか。
決して「耳すま」のストーリーには現実味はないが(いってしまえば典型的ラブコメであろう)、キャラクターにはそれが部分部分に感じさせられる。
そこが多くの人を魅了するのであろうし、面白いのだと思う。
時かけの主人公を見ていると「コイツ半端なく自分勝手だな」なんて思えてしまうのである。
たとえファンタジーと割り切っても、である。
「涼宮ハルヒ」のようにそれがキャラクターの売りならばそれで良いのだが。
後半ではそれに苦悩するシーンも多少はあったような気がするが、主線には至っていないと思う。
(よくわからない恋愛描写でgdgdのままうやむやにしてしまったようにも見える)
「タイムリープ」を経て主人公がどう成長したのか、そしてそれをとりまく環境や人間関係はどう変化していったのか。
それを劇場映画という尺で、まさに表現しなくてはならないはずなのでは、と思うのだ。
このアニメでは結局「タイムリープしただけ」で終わってしまっている、といっても過言ではないと思う。
強いて言えばヤツの身勝手さによりボーイフレンドが一人消えたのであるが。
見え隠れするテーマとしては「友情と恋」なのかもしれないが、じゃあそれがこのアニメを通して最終的にどうなったんだ?と再度ふかーく考えると「うーん」なのである。
一番不快感を覚えるのはいじめられっ子の描写である。
たしかに「イジメ」というのは非常に現実的であり社会問題でもあるが、このアニメの中で描写してなんの意味があったのか、と。そこに行き着くのである。
別に主人公は「イジメ反対!」とかいう団体に所属しているわけでもないし、いじめられっ子でもいじめっ子でもない。
いわば第三者なのである。
アニメの中ではそこに中途半端に介入することでいじめられっ子の人格を崩壊させ…というのは言いすぎかもしれないが、まあその端々は見えてしまう。
このアニメのテーマは「イジメ」ではないだろうし。
何かしらそのエピソードのおかげで主人公が大きく成長し最終的に得るものがある、というのならば多いに納得できるのだが、果たしてそんなのものはあっただろうか。
ちょっと後悔したかなー、程度だった気がする。
もし、いじめられっ子であった人がこのアニメを見たらどう思うだろう。
何も共感できないだろう。
いや反感さえ覚えるかもしれない。
「学校っていえばイジメっスよね。だからそういう描写入れるとリアルっぽくないですか?」
とかテキトーなこと言ってホンを書いたのではないだろうか。
まあとにかくイジメってのはそんなに軽々しく描写していいものではない。
(注:決して描写するな、と言っているのではない。重いテーマなのである)
確かに主人公は後悔するような描写があった。
しかし、何に後悔していたのであろう。
「やっぱりイジメに対しては傍観者のままの方がよかったナ☆」
とでも思っちゃったりしちゃったりしたのだろうか。
少なくとも私にはそう見えてしまった。
つまりはそこなのである。
---------------------------
続く。。。。
かもしれない。
元アニヲタとして…いや普通に一般庶民としてでもいいんだけど、正直つまらんかった。といっておく。
駄目ポイントはー
・声優
・脚本
・設定
・演出
・その他いろいろ
とまあこんな感じで、許されるのは作画と色指定くらいでしょう。
とはいえ両方とも劇場レベルではありませんが。
まず声優。なんだよあのヘタレ。
猫の恩返しを彷彿とさせるヘタレっぷりだな。
次、脚本。
原作を大幅アレンジ!ってのはまあ時代が時代だししょうがない。
が、しかし。
それでは今の20代後半~おっさん世代にはウケは悪いわけよ。
なんでかって?
そりゃ「青春」を描いているのに俺らの青春とは全く別の異次元ワールドはちゃめちゃご都合主義ドタバタコメディだからだよ。
俺らの青春時代ってケータイなんかなかったんで、もうその描写だけで「萎える」んだわ。
この感覚、なんでもメールすりゃ済むと思ってる若い子にゃわからんだろうけどな。
主人公の設定
http://blog-imgs-18.fc2.com/n/u/r/nuruwota/20060928093505.jpg
な?
萎えるだろ(と、同世代の人にアピールしてみる)。
「すぐ横にいそうな女の子」
…いねーよ。
アニメ的には居るのかもしれんけど。脳内とかモニタの中に。
ここ数年のアニメって"萌え"から「外れた」ヒロインを描くのが下手になってきたと思うんだよね。
っていうのは監督や脚本家の思い描く「理想の少女像」みたいなのばっか押し出してるからキモいんだわ。
別に松本零時はそれでいいんだけどさw
キャラ設定ひとつとっても現実が舞台なのにキャラは非現実的だから(時かけは一応タイムスリップというファンタジーではあるけど)、キャラの行動や台詞に違和感を覚えてしまう。
これは今の日本のTVドラマとかでも同じ。
今のドラマなんて「こんな展開ありえねー」の連発でしょ。
こういう脚本・設定をもってきて、じゃあこのアニメどういう世代・層に見てほしいんだ?ってのがよくわからないわけ。
少なくとも俺はそこにあてはまらんわな。
青春時代の恋愛を描いたというならば、ジブリの「海がきこえる」はそういうのがきちんとわかる良いアニメだと思う。
演出はまあ気にする人は気にするって項目だけど、脚本が絡んでる部分もあるのかな。まあそこらへんを。
まず中庭でプロレスの回転投げ(名前失念)とかやらんだろ。
アニメ的にもあれを入れる意図がよくわからない。
アニメってのは要らないものは描写しない、って方向で作るのが一番正しいと勝手に思ってるんだけど。
それは効率的にも尺的にも、さまざまな要因があるわけだが略。
まあそれ言ったら放課後に女一人男二人で野球やるかって話にもなるのだが、…まあファンタジーと割り切るのが一番良いのかもしれない。
個人的に掘り下げて描いてほしかったのはプリンであったり妹とのコミュニケーションであったり、本当に残念である。
なんでプリンかって?
だってあれは非常に「現実的」じゃん。
特に「姉妹」という設定が生きてくるしキャラクターの性格が見ている側に伝わりやすい。
家族ってのは時かけ的にはプッシュしなくても良い部分だけど、やっぱり人間が生きていく上では「家族」ってのは大事な部分だと思うしノータッチよりは随所随所に触れていった方がリアリティは出ると思う。
人間が生きるってのはつまり「人生」であって「ヒトのナマ」なわけ。
それを描写することで人生が伝わるし、人間らしさが出るし、そこに感情移入ができる…かもしれないわけ。
ジブリの「耳をすませば」(またジブリで申し訳ないが、わかりやすいだろうということでごかんべん)だと冒頭から母、そして父、さらに姉に挟まれたキャラ設定が見ている私たちに伝わってくる。
こういうものが脚本を通じて描写されることで我々はキャラクターに対して「人間味」を感じるのではないだろうか。
決して「耳すま」のストーリーには現実味はないが(いってしまえば典型的ラブコメであろう)、キャラクターにはそれが部分部分に感じさせられる。
そこが多くの人を魅了するのであろうし、面白いのだと思う。
時かけの主人公を見ていると「コイツ半端なく自分勝手だな」なんて思えてしまうのである。
たとえファンタジーと割り切っても、である。
「涼宮ハルヒ」のようにそれがキャラクターの売りならばそれで良いのだが。
後半ではそれに苦悩するシーンも多少はあったような気がするが、主線には至っていないと思う。
(よくわからない恋愛描写でgdgdのままうやむやにしてしまったようにも見える)
「タイムリープ」を経て主人公がどう成長したのか、そしてそれをとりまく環境や人間関係はどう変化していったのか。
それを劇場映画という尺で、まさに表現しなくてはならないはずなのでは、と思うのだ。
このアニメでは結局「タイムリープしただけ」で終わってしまっている、といっても過言ではないと思う。
強いて言えばヤツの身勝手さによりボーイフレンドが一人消えたのであるが。
見え隠れするテーマとしては「友情と恋」なのかもしれないが、じゃあそれがこのアニメを通して最終的にどうなったんだ?と再度ふかーく考えると「うーん」なのである。
一番不快感を覚えるのはいじめられっ子の描写である。
たしかに「イジメ」というのは非常に現実的であり社会問題でもあるが、このアニメの中で描写してなんの意味があったのか、と。そこに行き着くのである。
別に主人公は「イジメ反対!」とかいう団体に所属しているわけでもないし、いじめられっ子でもいじめっ子でもない。
いわば第三者なのである。
アニメの中ではそこに中途半端に介入することでいじめられっ子の人格を崩壊させ…というのは言いすぎかもしれないが、まあその端々は見えてしまう。
このアニメのテーマは「イジメ」ではないだろうし。
何かしらそのエピソードのおかげで主人公が大きく成長し最終的に得るものがある、というのならば多いに納得できるのだが、果たしてそんなのものはあっただろうか。
ちょっと後悔したかなー、程度だった気がする。
もし、いじめられっ子であった人がこのアニメを見たらどう思うだろう。
何も共感できないだろう。
いや反感さえ覚えるかもしれない。
「学校っていえばイジメっスよね。だからそういう描写入れるとリアルっぽくないですか?」
とかテキトーなこと言ってホンを書いたのではないだろうか。
まあとにかくイジメってのはそんなに軽々しく描写していいものではない。
(注:決して描写するな、と言っているのではない。重いテーマなのである)
確かに主人公は後悔するような描写があった。
しかし、何に後悔していたのであろう。
「やっぱりイジメに対しては傍観者のままの方がよかったナ☆」
とでも思っちゃったりしちゃったりしたのだろうか。
少なくとも私にはそう見えてしまった。
つまりはそこなのである。
---------------------------
続く。。。。
かもしれない。
私が見たときちょうどTVの途中だったんで、イジメのシーン有無は正直覚えてません、もしあったとしてもわざわざDVD借りてもう一度見ようとは思わないので、結果こういう作品も面白いかな程度で満足です。いきいきと描かれていて躍動感があって面白いとは感じました。
しかしながら、実際hさんや他のレビューの指摘なんかは結構的を突いてるなーとも思えました。生身の人間の利害がクッションなしで衝突する恋愛ものなんかと比べるとペラペラだなって思えます。他の恋愛小説なんかと比べると月とスッポンですね。
製作者サイドも大衆の意見を積極的に取り入れてステップアップしてもらいたいってのはありますけど、逆にジブリなんか見てみるとアホらしく思えたり。ま、表現の自由ってヤツです。
アニメだけでなく、エンタメとかでもある分野に精通している層と、割りとライトに楽しんでる一般大衆層って、絶対に温度差がありますからしょうがない。
モノや作品の価値ってなんなの?っていつもおもいますけど、最終的に行き着くところは結局個人レベルでなにか得るものがあったらいいんじゃないの?って自分に言い聞かせてます。私には何かを作り出す技術がないからかなー。
エンタメなんか世の中に不必要なほど溢れかえってますから。これも表現の自由ってことで。
長文失敬!
知り合いの某女史に感想を聞いたら「よく動いてる」とのことですが、突っ込んで聞いたらやっぱり「主人公がDQN」とかいうのがぼろぼろ出てきましたとさ。
となると、つまりは「動き」とか「見せ方」で「ごまかしちゃった」りしてんのかなあと。
逆にいえば見てる側がごまかされちゃったりしてんのかなと。
たとえるならば、とても良い素材があるんだけどあぶり焼きの実演でダンスしたり強烈なスパイスぶっかけで本当の味なんかわかんねーよみたいな。
>そりゃ探せばいいものはある
俺の方が世代が上なせいかもですが(実際の年は知らんがw)、すでにその域を超えてしまたんですよね。
まー、だから俺は18から音楽やってんだけど。
誰かが良い音楽作ってくれるんなら喜んで音楽やめますわwその方が楽だし。
で、そんなクソなエンタメをどうやって楽しむかといったらとりあえず粗探しするんですな。
楽しむ=面白い、ってわけじゃないんで、俺の場合はこれでおk
>もしあったとしてもわざわざDVD借りてもう一度見ようとは思わない
つーか、もうこの一文にAさんの本音が表れているような気がしないでもないフリ。
ちょっと上の話に戻るけど、これがアクション映画なら動いてどかーんやってりゃいいんですよ。
でもこれはアニメであって「時かけ」なんで。
音楽ならロックバンドはロックやれって話でさー。