銕焼地蔵様
紫苑の思いつくまま
我が家に来た古い琴
9月15日(水) 午後雨
今日は急激に気温が下がり、重ね着をする。
もう10年以上も延び延びになっていた県道の拡幅工事がやっと始まり、実家もそれにかかり家も象徴だった松の木もバッサリ無くなってしまった。
普段はだれも住んでいない家だけれど、それぞれが四季折々に東京から来ては楽しんでいた。
皆東京に家を構えているので、結局すべて始末することになった。
後の人が坪庭と蔵は使うというのでそれだけが救いだ。
この蔵の片づけが大変で、最後の片づけを私が立ち会うことになった。
必要なものを全部出した後、万感の思いを込めてぞうきんがけをした。
東京へ持って行かれない物、古い琴が私のところに来た。
百年以上は蔵のなかにあったと思われる琴を丁寧に拭きながら、どんな歴史があり何を見てきたのだろうと、育った家に思いを巡らせた。
実家が無くなる・・・割り切って物分かりの良い叔母を演じてはいるけれど、子供のころから見慣れた琴に触れていると何とも言えない感情が起こってくるのを抑えられない。
今度は我が家の蔵で何年眠るのだろう。
今日は急激に気温が下がり、重ね着をする。
もう10年以上も延び延びになっていた県道の拡幅工事がやっと始まり、実家もそれにかかり家も象徴だった松の木もバッサリ無くなってしまった。
普段はだれも住んでいない家だけれど、それぞれが四季折々に東京から来ては楽しんでいた。
皆東京に家を構えているので、結局すべて始末することになった。
後の人が坪庭と蔵は使うというのでそれだけが救いだ。
この蔵の片づけが大変で、最後の片づけを私が立ち会うことになった。
必要なものを全部出した後、万感の思いを込めてぞうきんがけをした。
東京へ持って行かれない物、古い琴が私のところに来た。
百年以上は蔵のなかにあったと思われる琴を丁寧に拭きながら、どんな歴史があり何を見てきたのだろうと、育った家に思いを巡らせた。
実家が無くなる・・・割り切って物分かりの良い叔母を演じてはいるけれど、子供のころから見慣れた琴に触れていると何とも言えない感情が起こってくるのを抑えられない。
今度は我が家の蔵で何年眠るのだろう。
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