平群に縁のある人は多いですが、
倭建命、聖徳太子、役小角、行基、嶋左近と松永久秀など
今回は長屋王の話です。
長屋王は奈良時代の皇親政治家。
藤原氏の息子たちは聖武天皇夫人である、光明子を皇后にしようとしましたが、
これまでに、皇族以外を皇后にした前例がないことから、
長屋王に計画を反対されることが予想されました。
そのことが「長屋王の変」と呼ばれる事件のきっかけとなりました。
また、長屋王邸の遺跡から「平群廣足」や「平群廣成」の木簡が見つかり、
長屋王と平群氏の絆が感じられます。
吉備内親王
草壁皇子と元明天皇の娘であり、長屋王の夫人です。
長屋王の変で、自殺に追い込まれました。
長屋王の変のあと、平群の人々が手厚く葬ったのではないかと言われています。
(へぐり 自然と歴史の玉手箱より)
紀氏神社(正式名は平群坐紀氏神社)
長屋王の御墓の近く平群町上庄に「紀氏神社」があります。
紀氏の創建で、平群氏の祖・木莵宿禰を祀り、中世には天児屋根命を祀る春日大社(春日大明神)とされていた。
平群氏と紀氏の関係は武内宿禰から始まる。
武内宿禰は景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。
紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる。
経緯は詳らかでないが平群谷では紀氏の集住が認められており、当社はその氏神として祀られたとされる。
なお、付近に所在する三里古墳(平群町三里)には和歌山県紀の川下流域に多く分布する
石棚付石室が認められており、当社と合わせて紀氏との関連性が指摘される。
(ウィキペディア(Wikipedia)より)
神社から西(大阪方面)を眺める
あさちゃんカフェ・工房
奈良県生駒郡平群町吉新4-2-8
0745-43-6652
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