・藩札を大量に発行して、家臣や領民に貸し付けて借銀を返済させる
・借用した藩札は、一貫目につき毎年米七俵の数年間にわたる上納によって返済させる
・上納米は、領内での入札販売によって藩札を回収したり、領外に販売して幕府発行の金貨や銀貨を取得したりすることに使う
であった。藩札を流通させるために芝居や相撲の興行が盛んに行われ、歓楽街(現在の中州)は大いににぎわったという。
しかし、藩札の発行高は天保五年だけでも銀三万八四七九貫余もの膨大な額になり、藩札の価値は発行から三カ月あまりで半分以下に下落したという。当時の福岡藩は、英国の軍艦フェートン号の長崎港侵入事件に伴う長崎警備のため、財政は苦しかった。改革が成功すれば余裕を生むはずだった藩財政も、藩主隠居のために建設される江戸屋敷への支出などで大幅な赤字になり、改革は失敗におわる。
藩札は藩の信用を後ろ盾とする「紙切れ通貨」と言える。現在の「円」も金(きん)と兌換できず、国家の信用を後ろ盾とする「紙切れ通貨」だ。現在の日本も財政状況は悪く、景気の浮上を日本銀行の極端な金融緩和策に頼ろうとしている。福岡藩の天保の改革は、日本のそう遠くない将来を考えるうえで参考になる政策だろう。
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