正確な名前を知らなくても写真家エルスケンのファンか、彼の数多の写真集、とくに『サンジェルマン・デ・プレの恋』『Love on the Left Bank』を見た人は、エルスケンが生み出した世界的に知られたフォト・ストーリーや写真で、震えるような美しさを発揮していた女性を覚えているとおもう。2002年に恵比寿の東京都美術館でエルスケンの大きな展覧会があった時、エルスケンが20数年ぶりにイタリアの電気も通じていない山地で共同生活を送る彼女に会いに行くというドキュメントフィルムを流していたが、そしてその期間中に偶然に彼女は72歳でこの世を去ったという情報がはいってきた。彼女の名前はVali Myers(ヴァリ・マイヤーズ)、オーストラリア・シドニー出身で19歳の時(1949)にパリにダンスを踊るために行ったが、当時は戦後でそうした場所も見つからず絶望しサンジェルマン・デ・プレのラテン.クウォーターで路上生活をしたりぎりぎりの暮らしをせざるおえなくなったが、ジューイッシュとジプシーたちの避難キャンプ(アーチストや作家たちがいた)や皆が屯するカフェでその日の食事を摂って過ごさざるをえない状況だった。それでもLeft Bank のアーチスト、ダンサーとしてなんとか活動もしはじめていた。気づけばジャン・コクトーやジュネ、テネシー・ウィリアムスとも友達になっていた(パリに住んでいたのは3年間だけだった)。そんな時にエルスケンがサンジェルマン・デ・プレにやってきたのだった。ヴァリ・マイヤーズの公式サイトには、エルスケンの写真集に登場したことなど一切ふれていないことから、また20年以上音信不通だったことから当時の彼女の状況・心境から写真集から知った者とは真逆にあの記憶に残るシーンは彼女の中にほとんどないようだ。その直後、ヴァリはハンガリーのジプシーRudi Rapportとイタリアに向かった。そして1970年(40歳)の時、New Yorkへ。シカゴ・セブンの一員だったアビー・ホフマンに紹介されチェルシー・ホテルの居住者になる。その頃からヴァリはボヘミアのQueenとなっていく。アンディ・ウォホールやサルバドール・ダリ、ミック・ジャガーにも彼女の独特な色彩の絵画は賞賛され、チェルシー・ホテルの部屋でその絵は次々に売れていった。まだ若いパティー・スミスに会ったのもチェルシー・ホテルでのことだった。マリアンヌ・フェイスフルやデボラ・ハリーにもインスピレーションを与えた。エルスケンのことなら、Art Bird Books