写真家・アーチストたちが愛した女優・モデルたち

写真家・アーチストたちが愛した女優たち(モデル・詩人・歌手・愛人たち)を動画などで紹介するサイト

木村伊兵衛が愛した舞妓

2009-10-09 | 日記
The Secret Life of Geisha - NBC

木村伊兵衛は小説家や役者、女優たちも数多く撮ったが京都や銀座の舞妓さん・芸者さんたちも多く撮った。粋な写真家には知的で美しい舞妓さんはまた似合ってしまうのだ。この動画で言及される小説『Memoris of the Geisya』(アーサー・ゴールデン著)とその映画化『さゆり』のモデルとなった芸者中の芸者-伝説の芸者である岩崎峰子氏を、木村伊兵衛氏が撮っていたかは今手元では分からないが、「木村伊兵衛の世界」(東京都写真美術館)では木村伊兵衛氏の舞妓の写真の多くが1950年代半ば(~70年代)になっているのでまったく可能性がないわけではなさそうだ。しかし国内にいると、お座敷をもたないかぎり舞妓さん芸者さんと会ったり深く知ろうということにならないが、外国人からすればもの凄い関心の対象になるようだ。1990年代後半、日本では「ブリジット・ジョーンズの日記」が話題になっていた頃、「『Memoris of the Geisya』は30数カ国に翻訳されたので、同じくらいの超話題の本になっていたらしい。そこで21世紀にはいってからの外国人の芸者ブームが到来することになったようだ。とにかく一度、外国人の立場にたって芸者さんのことを感じてみよう。芸者さんは女優やモデルとはまったく異なり閉ざされた空間で、交わされた話もすべて他言しないことを誇りにし、踊りも唄もできる、世事の事にも通じている。そうした閉じられた世界が、あまりに開かれてきた世界にはこよなく魅惑的に映るのは当然だろう。
祇園の教訓―昇る人、昇りきらずに終わる人
岩崎 峰子
幻冬舎

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京都 舞妓と芸妓の奥座敷 (文春新書)
相原 恭子
文藝春秋

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映画『欲望/Blow Up』のヴェルーシュカは、このシーン

2009-10-09 | 日記
Blow Up

映画「欲望』でのヴェルーシュカの撮影シーンをアップしておきます。この時、27歳頃で、モデルはもう7年近くやっていて、そろそろ本性のアーチストとしての魂がマグマのように沸き上がってきている頃。あらためてみるとただならぬ妖気を感じざるをえません...最後のあのモデルにまたがって撮る有名なシーンですが、流れをおさえてしっかりみれば、じつはフォトグラファーがまたがる前に、すでにヴェルーシュカは蛇のようにどうしようもなく身体をくねらせていて、フォトグラファーの方が誘いこまれるようにその姿を上から撮りはじめ、じょじょに身体を沈めていき、ついには誘惑に負けて体を前のめりにさせて頬にキスをしてしまう、といった方が近いのでは?とおもうのです。ある意味、日本語タイトルでいえば「欲望」の矢がここで交差した、ともいえるでしょう。撮影スタジオは、高度消費社会への入口として、その欲望がアレンジされセットアップされる場所です。映画ではフォトグラファーはモデルたちの過剰な欲望から逃亡するようにスタジオの外に身をひるがえします。そして煌煌と照明されたスタジオの外、公園の暗い茂みの中、ネガを引き延ばし(Blow-up)...と映画は反転していきます。無いものが見え、あるはずのものが見えない...ヴェルーシュカはボディーペインティングで、身体から消されてしまった野生の色と匂いを、全身をつかって顕わそうとしたのだろうか。それは彼女の魂と身体の深部(じつは表にあらわれでてもいるのだ-得体の知れない欲望として)にある闇の声だ。

ヴェルーシュカのボディ・ペインティングを撮ったピーター・ビアード

2009-10-09 | 写真 女優 芸術
Veruschka in Africa with Peter Beard

ヴェルーシュカはただのモデルじゃない、自身アーチストでもあり、この動画で分かるようにボディ・ペインティングも振り付けも自分でやる。ヴェルーシュカの異様な写真集「変容/Transfiguration』は、20年以上前だが日本語版もでるほど話題になったが、ピーター・ビアードによって撮られたヴェルーシュカの、しかも当時の動画は当時は誰もそうはふつうに見ることはなかっただろう。アートフィルムの映画祭でもその機会は限られていたはずだ。私は1982年にまだ四谷三丁目にあった頃のイメージフォーラムで8ミリ映画を勉強したり撮っていたりした口だったがこの動画は見たことなかった。昨日、デビッド・ベイリーとジーン・シュリンプトンからスタートしたが、その流れでヴェルーシュカはベイリーをモデルにした映画『欲望』で、フォトグラファーにまたがられてパシャパシャ写真に撮られていた女性、そうその人なのだ(知ってる人はとっくに知ってることですが)。それはそうとヴェルーシュカの半生はじつはなかなかすごくて、ドイツ人の父上はトム・クルーズが主演した(ドイツの英雄-クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐を演じた)映画『ワルキューレ』(ヒットラー暗殺計画の映画)で、ナチ・レジスタンスをおこなったグループに所属していて(相当上の階級の人物-Heinrich Graf von Lehndorff-Steinort というのが父の名前)1944年7月20日、暗殺が未遂となり処刑され、ヴェルーシュカの家族は収容所に送られ、終戦後はホームレス同然になっている。1959年、20歳の時、写真家Ugo Mulasに見いだされフルタイム・モデルになった。サルバドール・ダリと仕事をしたり、「ヴォーグ』の新任編集長グレース・ミラレバと対立しファッション界から離れたり、とにかくそんな半生を送ったモデルはヴェルーシュカだけだ。
Veruschka: The Ultimate Collection

Editions Assouline

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Veruschka: Transfigurations

Olympic Marketing Corp

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デビッド・ベイリーが愛したスウィンギング・ロンドンのイコンJean Shrimpton

2009-10-08 | 写真 女優 芸術
Jean Shrimpton -Little Miss Sad One

ニックネームは"The Shrimp"。60年代の海老ちゃん。Swinging Londonのスターフォトグラファー・デビッド・ベイリーが、コーンフレークのコマーシャル撮影で一緒になって意気投合しその後通年感つきああっていたジーン・シュリンプトン。1960年、17歳の時Lucie Clayton's modelling schoolを卒業『ヴォーグ』『ハーパース・バザー』などでカバーガールになり、翌年にはすでに世界的に有名なモデルに。オーストラリアではミニスカートと、ノー・ストッキング、帽子なしのチャーミングな姿で、ツィギーなみのセンセーションを巻き起こした。ジーン・シュリンプトンは、ベイリーと別れてから俳優のテレンス・スタンプと一緒になり世紀のカップルと言われたが破局後、写真家Michael Coxと結婚。一児を生みのんびり暮らしたようだ。妹はミック・ジャガーとも浮き名を流した Chrissie。