T・Mさん(83)、Yさん(78)ご夫妻は、昭和52年、お二人揃って献体登録をしたというおしどり夫婦です。
都内の医科大学の献体の会の会員番号はいずれも30番台。現在数千人が登録している会の中では古株です。
お二人が登録した当時、解剖実習で使用されるご遺体のうち、献体が占める割合は全国で3割未満と、
まだまだ、献体についての認識が低かった時代に、ご夫妻揃って登録するにあたって、どのような思いがあったのでしょうか。
当時、彫金の職人として働いていたT・Mさんは、都内の「話し方教室」に通っていました。
引っ込み思案で人前で話すことが苦手だったというT・Mさんですが、教室を通して様々な出会いがあったと言います。
共に学ぶ仲間、文化人との交流、新しい仕事も得ました。
そしてなんと言っても大きな収穫は、奥様のYさんとの出会いです。
生後しばらく、祖母に昔ながらの「おもゆ」で育てられたYさんは、1歳になっても立つことが出来ませんでした。
心配したお父様が近所の医師に相談。
「一週間牛乳を飲ませるように。」とアドバイスを受け、見事1週間後に立ち上がることができました。
「これからは、栄養について学ばなくてはいけない」というお父様の強い考えから、長女のYさんは栄養士へ。
仕事柄人前で話すことの必要性から「話し方教室」へ通うことになったのだそうです。
「話し方教室」は、ご夫妻を結びつけただけではありません。
やはり「話し方教室」に通っていた、大学附属病院の婦長をしていたSさんと親しくなります。
Sさんは、なにかにつけて、お二人に親身に寄り添ってくれたと言います。
恩返しをしたいとの気持ちが強くなり、「私たちで、お役に立てることはありませんかと、こちらから尋ねてみたんです。」とT・Mさん。
そこでSさんから話されたのが献体についてでした。
医師を育てるために解剖実習が必要なこと。
でも、提供されるご遺体が少なく、新しく就任した教授が施設などを回って奔走していること。
そして、大学の独自の献体の会を作ろうということになり、会員を募集していることを聞かされます。
献体について初めて知ったというT・Mさん。自分は何をしたらよいか尋ねたところ、
死後、ご遺体を提供してくれるだけでいいと伝えられます。
「宗教的な考えは持ち合わせていないし、元来ものぐさですから、何もしなくてよい上に、お役にたつのであれば、やりましょうと思ったんです。」
と穏やかに語ります。
妻のYさんは、かねてよりお父様から「死後は一切無になるので、こだわっちゃいけない」と聞かされてきました。
その影響もあって、死後、宗教的にとらわれる必要はないと考えてきたそうです。
「亡くなったら焼かれるだけですからね。解剖実習によって、ちゃんと体の中を見て、知っていてくれるお医者さんが育って欲しいです。」
と、笑顔で話されます。
自身が亡くなったあとの価値観の一致が、お二人の絆を一層深めます。
かつてに比べて、献体登録希望者も増えました。
大学独自の献体の会発足当時から理事を勤めてきたT・Mさんは、少し寂しげに、こんな話をしてくれました。
「昔から不献体はありましたが、会員が増えたことで、相対的に不献体が目立つようになってきました。」
献体登録するには、ご本人以外の同意が求められます。
親族、後見人、同居人、地主や知人など、求められる同意者の範囲は、故人を取り巻く状況や、大学によって様々です。
親族の場合も、たとえば、3人とか4人といった人数を指定している大学もあれば、
可能な限りの親族の同意を必要とする大学、そして、2親等以内の全ての親族の同意を必要としているところもあります。
周りの同意を得て登録しても、実際亡くなられた後、献体されない場合、不献体となる場合があります。
事情を知らなかったご親族が反対されたり、一度は同意したものの、そのときを迎えてご親族の心が揺れたりして、
結局、大学側に連絡がないまま葬儀を終え、不献体となることもあるのです。
お二人が献体登録したのは40代。
子供たちはまだ成人に達しておらず、登録時の手続きも緩やかだったこともあり、それぞれ互いに承認して登録の手続きをしたと言います。
40代といえば働き盛り、献体もまだまだ先のことと思っていたのでしょう。
ここにきて、T・Mさんがとても親しくしていた友人が不献体となりました。
「家族が反対したようですね。」
また、家族の同意を得て登録を済ませた知人から
「最近、家族から反対されている。このままだと不献体になってしまうのでは。」と心配する電話もあったといいます。
妻のYさんは、改めて、家族の理解が必要と真剣な眼差しで話します。
「二人でいるときはいいのですが、最後に一人だけ残されて献体ができるかどうかは、子供にかかっています。
二人の子供たちには、折に触れて献体のことを話してきました。子どもたちは仕方ないとは思っているようです。
でももっと理解してもらうために、献体の会の総会に、一度、一緒に出てもらって雰囲気を知って欲しいと思います。」
「献体」の話をしながら、時折笑い声も上がって、和やかに2時間半。
時々顔を見合わせて時系列を確認したり、時には漫才のように掛け合ったりして、
さすが「話し方教室」で出会ったお二人らしくポンポンと会話が弾みました。
そこには、献体登録で特別な選択をしたという思いは感じられません。
献体によって何がしかのお役に立てばという、静かで真摯な思いがあるだけです。
また、「話し方教室」で様々な出会いがあったように、献体登録をきっかけに、
あらたな出会いを楽しんでらっしゃる様子が伺えます。
「献体の会の総会で医学部の学生さんと話をする機会があります。みんないい子達ばかりですよ。
しっかり勉強して、いいお医者さんになって欲しいと思います。」と妻のYさん。
そして、
「献体登録は早かったのですが、なかなかお役に立てていなくて・・・」と明るく話すT・Mさん。
いえいえ、お元気でいらっしゃることがなによりです。
ここのところ、立て込んでいて、すっかり更新が遅れてしまいました。
色んな方々にお会いしているのですが、具体的にインタビューをもとに綴るときは、
ご本人に原稿を確認してもらった上で、UPしようと思っています。
先日、都内のある大学で行われた、献体された方を供養する慰霊祭に参列いたしました。
ご遺族や献体登録者、そして解剖実習が始まったばかりの学生たちや大学関係者など、
多くの方が参列されました。
そんなお話も、いずれは・・・と思っています。
都内の医科大学の献体の会の会員番号はいずれも30番台。現在数千人が登録している会の中では古株です。
お二人が登録した当時、解剖実習で使用されるご遺体のうち、献体が占める割合は全国で3割未満と、
まだまだ、献体についての認識が低かった時代に、ご夫妻揃って登録するにあたって、どのような思いがあったのでしょうか。
当時、彫金の職人として働いていたT・Mさんは、都内の「話し方教室」に通っていました。
引っ込み思案で人前で話すことが苦手だったというT・Mさんですが、教室を通して様々な出会いがあったと言います。
共に学ぶ仲間、文化人との交流、新しい仕事も得ました。
そしてなんと言っても大きな収穫は、奥様のYさんとの出会いです。
生後しばらく、祖母に昔ながらの「おもゆ」で育てられたYさんは、1歳になっても立つことが出来ませんでした。
心配したお父様が近所の医師に相談。
「一週間牛乳を飲ませるように。」とアドバイスを受け、見事1週間後に立ち上がることができました。
「これからは、栄養について学ばなくてはいけない」というお父様の強い考えから、長女のYさんは栄養士へ。
仕事柄人前で話すことの必要性から「話し方教室」へ通うことになったのだそうです。
「話し方教室」は、ご夫妻を結びつけただけではありません。
やはり「話し方教室」に通っていた、大学附属病院の婦長をしていたSさんと親しくなります。
Sさんは、なにかにつけて、お二人に親身に寄り添ってくれたと言います。
恩返しをしたいとの気持ちが強くなり、「私たちで、お役に立てることはありませんかと、こちらから尋ねてみたんです。」とT・Mさん。
そこでSさんから話されたのが献体についてでした。
医師を育てるために解剖実習が必要なこと。
でも、提供されるご遺体が少なく、新しく就任した教授が施設などを回って奔走していること。
そして、大学の独自の献体の会を作ろうということになり、会員を募集していることを聞かされます。
献体について初めて知ったというT・Mさん。自分は何をしたらよいか尋ねたところ、
死後、ご遺体を提供してくれるだけでいいと伝えられます。
「宗教的な考えは持ち合わせていないし、元来ものぐさですから、何もしなくてよい上に、お役にたつのであれば、やりましょうと思ったんです。」
と穏やかに語ります。
妻のYさんは、かねてよりお父様から「死後は一切無になるので、こだわっちゃいけない」と聞かされてきました。
その影響もあって、死後、宗教的にとらわれる必要はないと考えてきたそうです。
「亡くなったら焼かれるだけですからね。解剖実習によって、ちゃんと体の中を見て、知っていてくれるお医者さんが育って欲しいです。」
と、笑顔で話されます。
自身が亡くなったあとの価値観の一致が、お二人の絆を一層深めます。
かつてに比べて、献体登録希望者も増えました。
大学独自の献体の会発足当時から理事を勤めてきたT・Mさんは、少し寂しげに、こんな話をしてくれました。
「昔から不献体はありましたが、会員が増えたことで、相対的に不献体が目立つようになってきました。」
献体登録するには、ご本人以外の同意が求められます。
親族、後見人、同居人、地主や知人など、求められる同意者の範囲は、故人を取り巻く状況や、大学によって様々です。
親族の場合も、たとえば、3人とか4人といった人数を指定している大学もあれば、
可能な限りの親族の同意を必要とする大学、そして、2親等以内の全ての親族の同意を必要としているところもあります。
周りの同意を得て登録しても、実際亡くなられた後、献体されない場合、不献体となる場合があります。
事情を知らなかったご親族が反対されたり、一度は同意したものの、そのときを迎えてご親族の心が揺れたりして、
結局、大学側に連絡がないまま葬儀を終え、不献体となることもあるのです。
お二人が献体登録したのは40代。
子供たちはまだ成人に達しておらず、登録時の手続きも緩やかだったこともあり、それぞれ互いに承認して登録の手続きをしたと言います。
40代といえば働き盛り、献体もまだまだ先のことと思っていたのでしょう。
ここにきて、T・Mさんがとても親しくしていた友人が不献体となりました。
「家族が反対したようですね。」
また、家族の同意を得て登録を済ませた知人から
「最近、家族から反対されている。このままだと不献体になってしまうのでは。」と心配する電話もあったといいます。
妻のYさんは、改めて、家族の理解が必要と真剣な眼差しで話します。
「二人でいるときはいいのですが、最後に一人だけ残されて献体ができるかどうかは、子供にかかっています。
二人の子供たちには、折に触れて献体のことを話してきました。子どもたちは仕方ないとは思っているようです。
でももっと理解してもらうために、献体の会の総会に、一度、一緒に出てもらって雰囲気を知って欲しいと思います。」
「献体」の話をしながら、時折笑い声も上がって、和やかに2時間半。
時々顔を見合わせて時系列を確認したり、時には漫才のように掛け合ったりして、
さすが「話し方教室」で出会ったお二人らしくポンポンと会話が弾みました。
そこには、献体登録で特別な選択をしたという思いは感じられません。
献体によって何がしかのお役に立てばという、静かで真摯な思いがあるだけです。
また、「話し方教室」で様々な出会いがあったように、献体登録をきっかけに、
あらたな出会いを楽しんでらっしゃる様子が伺えます。
「献体の会の総会で医学部の学生さんと話をする機会があります。みんないい子達ばかりですよ。
しっかり勉強して、いいお医者さんになって欲しいと思います。」と妻のYさん。
そして、
「献体登録は早かったのですが、なかなかお役に立てていなくて・・・」と明るく話すT・Mさん。
いえいえ、お元気でいらっしゃることがなによりです。
ここのところ、立て込んでいて、すっかり更新が遅れてしまいました。
色んな方々にお会いしているのですが、具体的にインタビューをもとに綴るときは、
ご本人に原稿を確認してもらった上で、UPしようと思っています。
先日、都内のある大学で行われた、献体された方を供養する慰霊祭に参列いたしました。
ご遺族や献体登録者、そして解剖実習が始まったばかりの学生たちや大学関係者など、
多くの方が参列されました。
そんなお話も、いずれは・・・と思っています。