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ワーナー・ブラザーズ… Warner Bros. ёжψ

2013-07-30 09:38:47 | 日記


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ワーナー・ブラザーズ - Wikipedia
http://p217.pctrans.mobile.yahoo-net.jp/fweb/01207V0BoA4W2y6C/4H?_jig_=http%3A%2F%2Fwww.google.com%2Furl%3Fq%3Dhttp%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%2525E3%252583%2525AF%2525E3%252583%2525BC%2525E3%252583%25258A%2525E3%252583%2525BC%2525E3%252583%2525BB%2525E3%252583%252596%2525E3%252583%2525A9%2525E3%252582%2525B6%2525E3%252583%2525BC%2525E3%252582%2525BA%26sa%3DU%26ei%3Dngb3UcnhMILykQWv_oHgDA%26ved%3D0CC8QFjAD%26usg%3DAFQjCNFvtXvIUo7cJR7rrTbJtgre2O6Etw&_jig_source_=srch&_jig_keyword_=Google&_jig_xargs_=SKeywords%3Djmobv%2520Google&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fonesearch%3Ffr%3Dm_top_y%26p%3DGoogle&guid=on



ワーナー・ブラザーズ


ワーナー・ブラザーズ
Warner Bros. Entertainment, Inc.

ハリウッドのワーナー・ブラザーズのスタジオ

略称 Warner Bros.
本社所在地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州バーバンク
設立 1918年(ワーナー・ブラザーズ・スタジオ)
1923年(ワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズ)
業種 情報・通信業
事業内容 映画配給事業
映像事業
テレビ事業
代表者 バリー・マイヤー
主要株主 ワーナー・ブラザーズ=セヴン・アーツ(1967年 1970年)
キニー・ナショナル・カンパニー(1969年 1972年)
ワーナー・コミュニケーションズ(1972年 1989年)
AOL(2001年 2003年)
タイム・ワーナー(1989年 現在)
主要子会社 ワーナー・ブラザーズ・テレビジョン
ニュー・ライン・シネマ
ワーナー・ホーム・ビデオ
The WB
CWテレビジョンネットワーク
DCコミック
関係する人物 ハリー・ワーナー
アルバート・ワーナー
ジャック・ワーナー
サム・ワーナー
外部リンク http://www.warnerbros.com/


ワーナー・ブラザーズ・エンターテインメント(Warner Bros. Entertainment, Inc.、略称 Warner Bros.)は、アメリカ・ハリウッドの映画会社・映画スタジオ。タイム・ワーナーの子会社。本社をカリフォルニア州バーバンクに置いている。


概要[編集]
映画スタジオのワーナー・ブラザーズ・スタジオ(Warner Bros. Studios)、映画製作会社ワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズ(Warner Bros. Pictures)、テレビ番組製作会社ワーナー・ブラザーズ・テレビジョン(Warner Bros. Television)、アニメーション製作会社ワーナー・ブラザーズ・アニメーション(Warner Bros. Animation)、ワーナー・ホーム・ビデオ(Warner Home Video)、アメリカン・コミックス出版社のDCコミック、2006年にCBSとともに立ち上げたテレビの全国ネットワーク・CWテレビジョンネットワーク(The CW Television Network)を所有する。 日本法人はワーナー エンターテイメント ジャパン株式会社(Warner Entertainment Japan, Inc.、東京都港区西新橋1丁目2番9号日比谷セントラルビル)。同社は「ブラザーズ」ではなく「ブラザース」と表記している。
年表[編集]

ワーナー映画の予告編に登場するハリウッドのワーナースタジオ(1936年)

1923年 ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー4兄弟によって設立される。

1927年初のトーキー『ジャズ・シンガー』を発表し、公開する。

1930年代経済恐慌のあおりを受けて経営難に陥るが、世相を受けたギャング映画のヒットで乗り切る。

1956年1950年代以前の作品をアソシエイテッド・アーティスツ・プロダクション(a.a.p.)に売却する(カサブランカ、ルーニー・チューンズ、等)。

1967年独立プロダクション「セブン・アーツ」と合併する。

1969年駐車場会社「キニー・ナショナル・サービス」の傘下となる。

1989年親会社「Warner Communications(キニー・ナショナル・サービスより改称)」が巨大出版社「タイム」と合併し、タイム・ワーナーが設立される。

1995年1950年代以前のワーナー、1985年以前のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー、RKO、a.a.p.の主なフィルム・ライブラリーとCNNを所有していたターナー・コミュニケーションが会社の傘下に入る。

2000年親会社タイム・ワーナーがインターネットのプロバイダー最大手のAOLに買収され、「AOLタイム・ワーナー」となる。

2002年、ITバブル崩壊、新興勢力の拡大を受けAOLが業績不振となり、親会社内での影響力が衰退、社名が「タイム・ワーナー」に戻される。2009年12月、AOL部門は正式に分離される。

歴史[編集]

創業期[編集]
ハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー4兄弟はポーランドからの東欧系ユダヤ人移民労働者であった。19世紀末に両親とともにドイツ・ハンブルクを経て、アメリカ大陸に渡りカナダのオンタリオ州ロンドンに移住し、全部で8人の兄弟姉妹が貧困の中で父の経営する靴修理屋を手伝いながら生活していた。 兄弟はそれぞれの趣味と才能を伸ばし、長兄ハリーは店を拡大、ジャックは歌手として修行に励み、サムは職業を転々とするが、20世紀初頭の映画の創生時、ハリーはその魅力に取り憑かれて映写技師となった。彼は1903年に兄弟と興行会社を組み、ジャックのパフォーマンス付きで映画興行業を開始、オハイオ州やペンシルベニア州の鉱山町を巡業した。同1903年にはペンシルベニア州ニューキャッスルに劇場をオープン、その後1904年、ピッツバーグで配給会社を設立しエクスチェンジ業(→スタジオ・システム)に進出して収益を上げた。しかし1908年、発明王トーマス・エジソンが、映画配給を独占するトラスト「モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー」(Motion Picture Patents Company, MPPC,
別名エジソン・トラスト)を設立したことで映画館は大きな打撃を受ける
。エジソンは、保有する多数の映画関係の特許をたてにし、トラスト参加各社の作る映画を上映する度に映画館から料金を徴収した。トラストの圧力によって多数の映画業者が配給網を絶たれ、ワーナー兄弟も一度は業界から手を引く。
1922年のハリウッドのスタジオ群

しかし映画製作の夢を秘め続けたサムは、再び兄弟を説得して1918年にハリウッドに映画スタジオを構え、ハリーたちはニューヨークで資金調達や配給を行った。1923年、ワーナー兄弟はワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズを会社登記する。 映画製作の最初の一歩は、脚本家アヴェリー・ホップウッド(Avery Hopwood)の1919年のブロードウェイ演劇『ゴールド・ディガーズ(The Gold Diggers)』の権利購入であったが、会社成長のきっかけは第一次世界大戦後にある兵隊がフランスから連れ帰った一匹の犬リン・チン・チン(Rin Tin Tin)であった。この犬を主人公にした映画「名犬リンチンチン」シリーズは1924年以降26本作られ、ワーナー・ブラザーズをハリウッド有数のスタジオへと押し上げた。 これらの成功によりウォール街からの投資を受けるようになり、1924年には同じユダヤ系資本のゴールドマン・サックスから巨額の融資を得た。この資金で、1897年以来の歴史を持つハリウッドの先発スタジオで全国規模の配給網も所有していたヴァイタグラフ(Vitagraph Company)を1925年に
買収、さらにラジオ放送にも進出し、ロサンゼルスのKFWBをはじめいくつかの都市に放送局を誕生さ
せた。また映画業界を荒れ狂っていた劇場建設・買収の競争にも参入した。
トーキーとカラー映画の導入[編集]

『ジャズ・シンガー』

ヴァイタグラフが進めていた音声と映像が同期したディスク式有声映画システム、ヴァイタフォンの開発を引き継いだワーナーは、1926年よりこのシステムを利用して音楽や効果音のある有声映画の製作を開始した。1927年10月、ワーナーはこれをさらに進めて部分的にせりふのある世界初の映画である『ジャズ・シンガー』を配給した。これがトーキーの始まりであり、映画界にセンセーションを巻き起こす出来事であった。しかしながら『ジャズ・シンガー』公開前にトーキー開発に熱心だったサム・ワーナーが死去、彼の葬儀のためワーナー兄弟は『ジャズ・シンガー』のプレミアに出席することはできなかった。 この映画の成功による得た資金でワーナーは、大手配給会社スタンレーを1928年に買収する。スタンレーが3分の1を所有していたワーナーのライバルである大手映画製作・配給会社ファースト・ナショナル(First National Pictures)の買収に王手をかけた。ウィリアム・フォックス率いるフォックス・フィルム(20世紀フォックスの前身)との激しい買収合戦の末、1929年にファースト・ナショナルの経営権を得
ることに成功した。しかし大恐慌が映画業界を直撃、ワーナーはファース
ト・ナショナルと合併し、ファースト・ナショナルがロサンゼルス近郊のバーバンクに所有していたスタジオに移転した。裁判所は合併を認めたものの、1938年まで毎年何本かの映画をファースト・ナショナルの名義で製作・配給するようワーナーに要請し、その後30年間にわたり「ワーナー・ブラザーズ=ファースト・ナショナル(A Warner Bros. - First National Picture.)」名義での製作が行われた。 1928年、ワーナー・ブラザーズは初の全編音声付きトーキー『Lights of New York』を製作し成功を収めた。これ以後、映画業界はトーキー製作になだれ込む。1929年にはアメリカのメジャー映画スタジオはみなトーキーを製作するようになっていた。1929年、ワーナー・ブラザーズはテクニカラーを使用した『エロ大行進曲(On with the Show)』を製作、それまで二色式カラー映画や無声テクニカラー映画は発表されていたが、全編音声付・全編カラー映画はこれが最初だった。同年、同様のカラー映画『ブロードウェイの黄金時代(Gold Diggers of Broadway)』を製作しこの年一番の人気を博し、1939年まで各地の劇
場で続映され続けるほどのヒットになった。これ以後、ワーナーは1931年
までの間に数多くのカラー映画を製作する。これらの映画はいずれもミュージカルであったが、1931年に各地の観客がミュージカル映画に飽きてしまい、ワーナーは多くのミュージカルの製作を中止し、すでに製作した映画をコメディとして宣伝するはめとなった。観客はカラー映画をミュージカルと同一視してしまったため、ワーナーほか各社はカラー映画の製作を行わないようになった。ワーナーはテクニカラー社とあと2本カラー映画を製作する契約が残ってしまっていたため、ミステリー映画初のカラー作品『ドクターX(Doctor X)』(1932年)と『肉の蝋人形(Mystery of the Wax Museum)』(1933年)が製作された。
ギャング映画とヘイズ・コード[編集]

ダリル・F・ザナック

『リン・チン・チン』シリーズ以来多くの脚本を手がけ、プロデュースも行っていたダリル・F・ザナックの下で、大不況の影響を受けていた1930年代のワーナーは、ギャングの抗争を報じる新聞の見出しを切り抜いたような('torn from the headlines')ギャング映画で名をはせるようになった。ワーナーは1920年代の都会的で洗練されたスター達に代わり、ジェームズ・キャグニーやエドワード・G・ロビンソン、ジョーン・ブロンデルなど、乱暴な語り口の労働者タイプのスターを多く起用し、リアルなギャング路線で成功をおさめる。一方、こうしたギャング映画のヒットにより宗教団体などが青少年への悪影響や表現規制を叫ぶようになり、1930年に制定された自主規制規定のヘイズ・コードが1934年には厳格適用されるようになってしまった。 ザナックが1933年に退社し20世紀映画(20世紀フォックスのもうひとつの前身)を設立したあとは、ワーナーはより洗練された路線に方向転換し、女性向けメロドラマ、剣戟映画、ベストセラーの映画化などを製作し、ケイ・フランシス、ベティ・デイヴィス、エロール・フ
リンらを起用した。1934年以降のヘイズ・コード強化による検閲により、コード
適用以前もっとも成功していたスタジオのひとつだったワーナーは打撃を受けた。検閲を避けるために歴史映画や倫理的・理想的人物を描いた映画などに方向転換するが、コード強化以前のスターらは次第に出番が少なくなり、ワーナーらしさやワーナーの輝きは薄らいでいった。
カートゥーン製作[編集]
ワーナーのアニメーション(カートゥーン)映画製作は1930年より、レオン・シュレジンガー(Leon Schlesinger)所有の独立スタジオの下で開始された。シュレジンガーのパシフィック・アート・アンド・タイトル社はワーナーの映画のタイトルやサイレント映画の字幕などを製作していたが、ヒュー・ハーマン(Hugh Harman)とルドルフ・アイジング(Rudolf Ising)というディズニー出身の有能なアニメーターを社外から招き、カートゥーン製作に乗り出した。彼らはジャズを使って過激なギャグ(この後のヘイズ・コード適用後は不可能になった)を交え、黒人少年ボスコを主役にした『ルーニー・テューンズ』(Looney Tunes)、および『メリー・メロディーズ』(Merrie Melodies)などのヒットシリーズを作り上げた。1933年にハーマンとアイジングが製作環境や契約でもめてシュレジンガーのもとを去った後はジャック・キング(Jack King)やフリッツ・フリーレング(Friz Freleng)らが白人少年バディを主役にカートゥーン映画を作り続けた。 やがて漫画家志望の青年テックス・エイヴリー(Tex Avery)
が加わりターマイト・テラス(Termite Terrace)という小さなスタジオをシュ
レジンガーから任されると、ターマイト・テラスは数々の過激なアニメーションを製作し、バッグス・バニーやダフィー・ダック、トゥイーティーなどなど現在知られる人気キャラクターが次々と生み出された。シュレジンガーのアニメーション会社は1944年にワーナー本体に買収され、以後バッグス・バニーやダフィー・ダックはワーナーのイメージキャラクターとなるに至っている。
黄金時代の終わり[編集]

カサブランカ (1942年)

1940年代のワーナーはベティ・デイヴィスやジョーン・クロフォードらを起用した女性向け映画によって、第二次世界大戦下でも多くの観客を集めた。またハンフリー・ボガートがスターとなり、戦後はローレン・バコールやドリス・デイらが新たなスターとなった。1948年1月5日、パサデナで1月1日に行われたローズボウルとTournament of Roses Parade(ローズパレード)の模様を伝えるニュース映画をカラーで提供し、これが最初のカラーでのニュース映画となった。 1940年代を通じ、ワーナーは反トラストをめぐる「アメリカ合衆国対パラマウント映画」裁判の当事者となった。この裁判は、映画スタジオと映画配給網をあわせて所有していた寡占大手五社が、競争を抑制するトラストを組んでいるとして司法省と連邦取引委員会が起こしたものだった。連邦最高裁判所は1948年に審問を行い、映画会社側が敗訴した。この結果、ワーナーを含む五社は垂直統合を禁じられ配給網を切り離し売却することを強いられた。これがブロック・ブッキング制度を終わらせ、撮影所システムの崩壊の始まりとなり、1970年代半ば(『ジョーズ
』『ロッキー』『スター・ウォーズ』などブロックバスター映画の
時代)まで続く凋落の一因となった。 1953年、ワーナー・シアター・ホールディングスはスタンレー・ワーナー・シアターズとして分離された。ワーナーの映画だけで年間上映スケジュールを埋める映画館網を失った以上、年に多数の映画製作は不要となり、高い契約キャストやスタッフを抱えることもできなくなった。ワーナーは創業50年目で撮影所システムの崩壊に直面し、バーバンクの広大な製作スタジオを、銀行を中心とした買手グループに売却した。1956年、スタジオ売却取引が完了した直後、ハリー・ワーナーとアルバート・ワーナーは、銀行主導のグループの背後にいた投資家がワーナー四兄弟の末弟、ジャック・ワーナーだったことを知った。ファミリービジネスだった映画会社を自分ひとりの管理下に置いたジャックに対し兄弟は怒り、家族関係に亀裂が入り、以後生涯にわたりハリー、アルバート、ジャックは互いに口を利くことはなかった。1956年、さらにワーナーはアニメも含む1948年以前の作品を配給会社アソシエーテッド・アーティスツ・プロダクションズ(Associated Artists Productions、a.a.p.)に売却してしまう(a
.a.p.は1958年にユナイテッド・アーティスツに買収
され、1981年にはユナイテッド・アーティスツは破産しMGMに買収された。さらにテッド・ターナーがMGM/UAを買収して直後に売却したが、古いワーナー作品の版権はターナーが手許に残した)。 ワーナーは『悪い種子(The Bad Seed)』『軍曹さんは暇がない(No Time for Sergeants)』『メイム叔母さん(Auntie Mame)』『ジプシー(Gypsy: A Musical Fable)』など、ヒットした演劇やミュージカルの映画化に再び専念したほか、『サンセット77(77 Sunset Strip)』『マーベリック(Maverick)』などのヒットドラマを放つテレビドラマ製作部門が成功したことで立ち直った。1958年には音楽出版社ワーナー・ブラザーズ・レコードを立ち上げてこれも成功させたが、1960年代初頭には映画部門の不振は誰の目にも明らかだった。スタジオがプロデュースする映画はほんのわずかで、ほとんどはワーナーと他社の共同出資(施設提供、資金出資、配給の実施)による映画やインディペンデント映画の配給などであった。 1967年、ジャック・ワーナーは老化と時代の流れに屈し、映画会社の経営と音
楽ビジネスを7800万ドルでカナダ人投資家のエリオット・ハイマンとケネス・ハイマン兄弟に売却し
、彼らが経営する独立プロダクション、セヴン・アーツ・プロダクションズ(Seven Arts Productions)と合併する。彼らは、1956年にワーナー作品の版権を買ったアソシエーテッド・アーティスツ・プロダクションズの当時の経営者であった。社名はこの後、ワーナー・ブラザーズ=セヴン・アーツ(Warner Bros.-Seven Arts)に変わる。
スティーブ・ロスの時代[編集]
2年後の1969年、資金難のハイマン兄弟はスティーブ・ロス(Steve Ross)が率いる複合企業群「キニー・ナショナル・カンパニー(Kinney National Company)」の買収提案を受け容れた。 スティーブ・ロスはニュージャージーの葬儀場チェーン経営者の娘と1954年に結婚して業務を拡大し、駐車場経営のキニー社を買収合併。以降、キニー社はレンタカー、オフィス清掃、建設業、芸能エージェンシーと手を広げ大企業となっていった。キニーは自動車盗難の多発地帯としても知られるニューアークの地名である。またニュージャージー州は1950年代にギャングのアブナー・ツヴィルマンが政治家と労働組合へ絶大な影響力を持った土地としても知られる。ロスの周囲にも「いかがわしい連中」が集まっており、仲間を裏切れない彼の弱点は後にキニーの財務スキャンダルという事態を招く。 1967年にスティーブ・ロスはハリウッドの芸能エンジェシー大手だったアシュリー・フェイマス(Ashley-Famous)を買収した。ア社のテッド・アシュリーは芸能ビジネスよりケーブルテレビ事業が儲かると考え、映像事業へ転進するための資金力あるパ
ートナーを探していた。アシュリーは資金難にあったワーナ
ー・ブラザーズ=セブン・アーツを買収するアイデアをロスへ打診、ワーナーはキニー社に買収されて以降アシュリーが経営者となり、社名は再度ワーナー・ブラザーズ(Warner Bros. Pictures)に戻った。 駐車場経営をめぐる財務スキャンダルの後、1972年に親会社キニー・ナショナル・カンパニーは葬儀場や駐車場など娯楽以外の分野を分離し、社名をワーナーにちなんでワーナー・コミュニケーションズ(Warner Communications)に変更した。これ以降のロスは超人的な精力を傾け『買収ゲーム』を繰り広げることになる。ロス語録は数え切れないが最も有名な一つがこれである。 "If you're not a risk-taker,you should get the hell out of business." 失敗しない奴はクビにする。 ワーナー・コミュニケーションズは娯楽事業への投資を進め、1976年にはビデオゲーム会社アタリを、さらに遊園地経営会社シックスフラッグスを買収した。ただしロスは性格的に活字とコミックは関心が薄かったので買収したDCコミックは会議の議題になっても熱心ではなかった。1980年代初期には乗っ取り王のルパード・マードックがワー
ナーに対するM&Aを狙ったことで「ポイズンピル」「ホワイトナイ
ト」を駆使した攻防戦も世間をにぎわせる。アタリはワーナー傘下に入って以降、ワーナー・コミュニケーションズの利益のかなりの部分を占めるグループの稼ぎ頭になったが、企業文化の違いで創業者が追い出され、経営が迷走した。後に、ゲーム市場の崩壊(日本で言ういわゆる「アタリショック」)が起こると、ワーナー・コミュニケーションズ自体の株価も低落した。 しかし映画観客の減少はやまず、ワーナーの新経営陣はスターの集客力に頼る戦略をとった。当時の大スターたちとの映画共同製作を進めたが、その中にはポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、バーブラ・ストライサンド、ジョン・ウェイン、クリント・イーストウッドらの名もあった。この努力によりスタジオは1970年代と1980年代を乗り切った。 1971年から1987年末まで、ワーナーの国際配給はコロンビア映画との共同事業であり、いくつかの国ではワーナー・コロンビア連合は他社の映画も配給していた。ワーナーは1988年以降ウォルト・ディズニー・ピクチャーズと組み、1993年にディズニーが独自にブエナ・ビスタ・インターナショナルを設立するまで続
いた。 ロスは人当たりがよく腹が太く情熱的であり
、最も親しい関係にあったスティーブン・スピルバーグは、もし選べるならば実の父よりも父であって欲しい人物であるとしていた。スピルバーグの人間的な成長にとってもロスは欠かせなかった。
タイム・ワーナー[編集]

ワーナー・ブラザーズ・スタジオズ

1989年、派手でスター頼みのワーナー・コミュニケーションズと、タイムで有名な上流階級的な出版グループ・タイムとが統合し、メディアグループ・タイム・ワーナーが誕生したことは世間を驚かせた。1995年、タイム・ワーナーはCNN創業者テッド・ターナー率いるターナー・ブロードキャスティング・システムと合併、これによりタイム・ワーナーはターナーが持っていた1948年以前のワーナーのフィルム・ライブラリーを取り戻したほか、MGMやRKOなどの旧作のライブラリも手に入れた。一方、アタリゲームズやシックスフラッグスなどの事業は売却した。タイム・ワーナーは2000年にAOL社に買収されAOLタイム・ワーナーとなったが、その後ITバブル崩壊でAOLの資産は減少、社内の影響力も衰退し2002年、社名がタイム・ワーナーに戻された。AOLは社内の1部門となったが、2009年12月、正式に分離された。 1995年、ワーナーはシカゴの新聞・テレビ網グループトリビューン・カンパニーと、地上波テレビネットワークワーナー・ブラザーズ・テレビジョン・ネットワーク(WB
ネットワーク)を設立、ニッチ市場であったティーンエイジャーを狙った『バフィー ~恋する十字架~』や『ドーソンズ
・クリーク』などの学園ドラマでヒットを飛ばした。さらに『チャームド』『7th Heaven』などの家族向けドラマの成功でWBは脚光を浴びたが、三大ネットワークやそれに次ぐ躍進を見せたFOXとの差は縮まらなかった。2006年、CBSとタイム・ワーナーは、CBS傘下のUPN(United Paramount Network)とワーナー傘下のWBの両地上波ネットワークを解散して新たなネットワーク、CWテレビジョンネットワークを立ち上げた。 映画事業では、1990年代末に『ハリー・ポッター』シリーズの映画化権を買い、2001年の『ハリー・ポッターと賢者の石』以降ワーナーのドル箱シリーズとして10年間続いた。また、ワーナーは有力な監督やプロデューサーが率いる多くの中小プロダクションと共同製作や配給を行ってきた。アンブリン・エンターテインメント(Amblin Entertainment)、モーガン・クリーク・プロダクションズ(Morgan Creek Productions、現在はユニバーサルと製作)、リージェンシー・エンタープライズ(Regency Enterprises、現在は20世紀FOXと製作)、ヴィ
レッジ・ロードショー・ピクチャーズ(Village Roadshow Pictures)、レジェンダリー・ピクチャーズ(Legendary Pictures)、シル
バー・ピクチャーズ(Silver Pictures、ダークキャッスル・エンタテインメントDark Castle Entertainmentはその一部)、ゲフィン・フィルム・カンパニー(Geffen Film Company)など、多数のヒットメーカーがワーナーと組んで映画製作を行っている。

7月29日(月)のつぶやき

2013-07-30 02:19:22 | 日記

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クラークの次男の遠田静治=蓙甌(蔵王)惺貮(齎慈・靜邇)の孫の 統山夷峯(横濱えり・野島えり) 藏王慧黎南-Seylena Zaohです。

長野県庁に「JR長野」「白馬」「adidas」「ガンダム」「崋月」について御確認下さい photozou.jp/photo/show/237…


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#ккк #ТО "#桑田佳祐"氏 & "#奥田民生"氏 に歌って貰いたい。"#朝鮮工作員"の犯罪のヒントが沢山のHPです。 蕃野慈恩 「性転換」に関連した英語例文の一覧 p217.pctrans.mobile.yahoo-net.jp/fweb/01207V0Bo…



プロフィール等の画像…「何故、使える?」の愚問は御確認を。

2013-07-29 09:19:28 | 日記


ψ

クラークの次男の遠田静治=蓙甌(蔵王)惺貮(齎慈・靜邇)の孫の 統山夷峯(横濱えり・野島えり) 藏王慧黎南-Seylena Zaohです。

長野県庁に「JR長野」「白馬」「adidas」「ガンダム」「崋月」について御確認下さい。


http://yaplog.jp/cannonbell/
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"崙" 亂盂酒靈 崙亂崘葵宗嶺鑄 日神呼
崑崙嶐嵩嶺夷峯
崙盂執饉蠡・崙繿繻儷・盂崙繻靈衣…

#チザキの藤井麻里子と中学校は同学年 #朝鮮工作員「朝鮮総連のアミ」は小学校時代の同級生「北区北10条西4丁目鈴木あゆみ」 #条野みはるは小学校と中学校の同級生 #実家の裏に天理教

7月28日(日)のつぶやき

2013-07-29 02:19:20 | 日記

@19640811Eri @Eve_Toyama_ele @eve_eleana_eri @wwwfootballwww #ккк #люх タマタマ効いた話。痛くて腫れていたら 縫い針をライターで炙ったり、消毒して 腫れた所に刺して搾る様に膿を出すと楽。何処でもニキビや吹き出


@19640811Eri @Eve_Toyama_ele そして、おじいさんには毛皮のついた、紫色の服を着せてあげて、聖ヤコブ教会の礼拝堂にある、「聖家族」の肖像画みたいな絵を描こう。And he thought how he would fold his grandsire


@19640811Eri @Eve_Toyama_ele Thought how fold grandsire in furs purples, portray old man portrayed in Family chapel of St.Jacques 『フランダースの犬』


信仰によって,彼は異国人のように,自分のものではない土地にいるようにして,約束の地に住みました。同じ約束を共に相続するイサクやヤコブと共に,天幕に住んだのです。- 電網聖書『ヘブライ人への手紙 11:9』 #ккк #ナール #ナスカ #ヤギ #山羊飼い #ユバ #ユダ #ヤコブ


He lived alien in land of promise,in a land not his own,dwelling in tents, with Isaac & Jacob,heirs with him of same promise. #JPAN #ккк


ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ…彼らにボアネルゲスという異名を付けた。雷の子らという意味である。James son of Zebedee;John,brother of James& he surnamed Boanerges,means,Sons of Thunder;

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erotomaniac;erotomania;lustful

2013-07-28 08:10:05 | 日記


#ккк #war12 #люх #МКИАОМЧХФ

erotomaniac;erotomania;lustful - 飢血骸 - http://p217.pctrans.mobile.yahoo-net.jp/fweb/01207V0BoA4W2y6C/1f?_jig_=http%3A%2F%2Fwww.google.com%2Furl%3Fq%3Dhttp%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%2525E3%252581%25258D%2525E3%252581%2525A1%2525E3%252581%25258C%2525E3%252581%252584%26sa%3DU%26ei%3Dm0n0UerVM4b6kAW1uoD4Dg%26ved%3D0CB4QFjAB%26usg%3DAFQjCNFkihfO0cN3CghevelUhMA9PA2avg&_jig_source_=srch&_jig_keyword_=Google&_jig_xargs_=R&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fonesearch%3Ffr%3Dm_top_y%26p%3DGoogle&guid=on

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飢血骸

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飢血骸とは、本来は叭凶した人間、端的に状態が著しく常軌を逸した人間。漢字では○違い、○ぐるい、瘋とも表記する。

○が違う、○がくるう、キ印、狂人とも表現する。

動詞にすると、「○違いじみる」(自上一)などと使われる。

転じて統合失○○○者、知的○○者、または理性が欠如した者に対する、俗称として使われる[要出典]。

現代社会において、差別用語とされる。


概要

この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため偏った観点から記事が構成されているおそれがあります。議論はノートを参照してください。(2008年5月)

江戸時代に精神病の呼称として平安時代からの「物くるい」に加えて「きちがひ(幾知可比)」としてこの言葉が生まれた[1]。

当時の公文書、少なくても仕置に関する公文書(たとえば判例集の御仕置裁許帳)では、江戸時代はじめ1670年代から1680年代までは「○違」が使われていたが(のちに「乱気」や「乱心」が使われるようになる)[2]、罵り言葉としてもしばしば使われる一方で、「○○○チガイ」といった表現は「○○愛好家」「○○マニア」といった肯定的な意味で使われている[3][4]。


テレビ等の日本のメディアで使用が忌避される単語だが、特に法律で使用が禁止されているわけではない。


特に1970年代ごろまではテレビや書籍、漫画などのメディア媒体や一般の会話でも日常的に使われていた。

1974年以降一時期、統合○○症、気分障害などの精○○害者の家族らで構成される精○○○害者家族会の会の一部から、家族は萎縮し、回復治療期に、テレビ・ラジオでこの語を聞いた精○○○者がショックを受けることにより、治癒を妨げる等の医学的根拠を理由に大阪の各放送局が激しい抗議を受けたことが発端となり、以降使用自粛につながった。

テレビ・ラジオを一日中モニターする体制を整え、NHK、民放を問わず、時には団体幹部の独断でも抗議するという激しさであった[5]。

このため、現在ではほとんどの放送局で放送禁止用語とされるか、あるいは放送を自粛すべき言葉とされている。

これが転化して放送禁止用語=差別用語とみなされるようになった。

スタジオには「○違いは禁句」と書いた紙を貼り出して誤って使用したりすることがないように努めている。

例えば『新・荒野の素浪人』第22話「くノ一情話」(1974年5月28日放送)でこの語を使用していたため、放送局で最初に抗議を受けた毎日放送では謝罪し、1974年8月からスタジオに「○ちがいというコトバは禁句」の掲示板を常設することになった。

一般社会においても差別用語とされる。

現在ではテレビはもちろん、書籍や漫画、一般の会話でも使用されることは減っている。

昔の名作ドラマや、アニメがソフト化などされる際によくこの言葉が入っているので、以前はカットされる動きがあったがボイス部分に不自然な空白(無音)が生まれるため、最近では「原作を尊重する」意味で手を加えないことも多くなっている(冒頭に「お断り」のテロップが入る)。

昔の漫画や書籍が近年になって復刻される際にも、「○ちがい」や「○が狂う」という表記は「気が変になる」「気がおかしくなる」など、比較的穏当な表現に差し替えられるか、全く別のセリフに置き換えられることが多い。

ただし、一部の復刻本では「当時の表現を尊重」し、断り書きを載せた上であえてそのままにしている場合もある。

現代の漫画や書籍においては「○ちがい」と堂々と書かれることはほとんどないものの、「き○がい」など一部を伏字にした上で書かれる例もある。

一方当事者らは、一部ではあるが精○○○者患者会やその会員の中には、自らを○ちがいを元に造った造語「キーサン」と名乗ったり使用することがある[6]。

「気」という言葉の意味は日本語的に広い解釈があり(たとえば「病気」「気が弱い」など)、「気」という物の概念の広さから、ほかの人と違う考えを持っている、あるいは若干ずれた考えを持っているという意味も含むという本来の趣旨とかけ離れ、単に世間から見て異常な行動を取る人物、または社会的に容認されない行動、もしくはその人物そのものを指す意味に(悪意的あるいは過剰的に)理解された事情もあり、この言葉を用いることにマスコミ・報道関係が過剰に反応するのはナンセンスであるという意見や、単なる言葉狩りという意見もある。

沖縄国際大学の山口真也准教授はJ-CASTニュースの取材に対し、団体が言ってくる言ってこないで対応を変えるのはおかしいとし、差別とは何かをしっかり考えて言葉を使うべきとテレビなどの自主規制の方法に疑問を投げかけている。

日本民間放送連盟も同じテーマの取材に答えており、状況に応じて必要があれば使われてもいいはずとした一方、表現で傷つく人もいる以上放送できないのは仕方がないと回答している[7]。


医学的根拠

理由の出典元の「封印作品の謎」で記述されている医学的理由の出典元は『「続・差別用語 用語と差別を考えるシンポジウム実行委員会編 汐文社 ISBN 9784811300979』である。

関東学院大学法学部教授丸山重威のWebサイト「ジャーナリズム・マスコミュニケーション・世界の平和と私たちの暮らし」の中の『また「戦友」を失った…「ジャーナリスト・江上茂さん」のこと』(2010年2月25日閲覧)によると、「用語と差別を考えるシンポジウム」は1975年に日本新聞労働組合連合、日本出版労働組合連合会、日本民間放送労働組合連合会、映画演劇関連産業労組共闘会、日本放送作家組合、日本俳優連合、放送芸能者協会、全日本視覚障害者協議会の8団体が主催したシンポジウムで、その記録に用語タブーの実態や資料を紹介し、本質的な問題を加えたものが江上茂(ジャーナリスト)と丸山重威が手で出され、その後の「続・差別用語」、「新・差別用語」は実質江上茂が手がけた。

「続・差別用語」に寄せられた精神科医、吉川修のコメントによると、あくまで毎日放送の説明であって医学的には合点がいかないとしている。

第一にこの言葉がストレス、病状悪化、ショックを与えるか否かはその情況によるからで、一般に、自分とは場面や状況で言われたこの「言葉」「音声」が患者の病状を悪化させるとは考えられないとしている。

精神病者も軽い調子で使っている[8]。


抗議団体の実態

当時、大阪の放送局に対し激しい抗議をした精○○○者家族会の一部の団体の実態は、大阪府や大阪市など行政機関に絶大な影響を持っていた。

団体幹部には精○○病院内で激しい闘争を行なっていた経験があり、若い頃から部○解放同盟での活動を行なっている[9]。


参考

三河物語

大久保彦左衛門の『三河物語』に、「波切孫七郎ト申は、無レ隠武辺之者、又ハ○チガ(イ)者ナレバ」とある。三河一向一揆の際に、主君の徳川家康に逆心した家臣を指していたようである。


趣味

趣味などに常識を超えて没頭する者のことを「○○キチ」と表現するが、現在ではこれらも望ましくない表現とされている。

「オトキチ」、「カーキチ」[10]、「碁キチ」、「雀キチ」、「パチキチ」、「トラキチ」など(参照:マニア)。

この使用法が一般には浸透しており、侮蔑の意味でもなんでもないため、テレビなどで素人が言ってしまう放送禁止用語としては最もよく見られる。

古いテレビ番組や映画などでも顕著に見うけられ、放送ではよく削除されている。

例外として「釣りキチ三平」があり、このことから熱烈な釣り愛好家のことを釣りキチ、あるいはツリキチと自称する例は多い。


イタリア

イタリアでは狂人を表す語としてfolle(フォッレ)、matto(マット)、pazzo(パッツォ)があるが、屈辱的なニュアンスはほとんどない[11]。


表現使用と対応他

放送関連での対応

ジャン=リュック・ゴダールの名作『気狂いピエロ』は、テレビではフランス語タイトルの『ピエロ・ル・フ』で放映されることが多い。こういったメディアの過剰反応に対しては、単なる言葉狩りではないかという批判的な意見もある。

横溝正史の『獄門島』では、主人公である金田一探偵が「季違い」と「○違い」を混同するというこの作品のトリックに関する重要なシーンがある。

過去に映画やテレビドラマとして制作されたことはあるものの、この語が放送禁止用語として指弾されてからはテレビではそのまま放送できない。

それらを放送する場合は苦肉の策としてその部分のみ削除を行い、新たにドラマ化される場合はストーリーを改変している。

2007年5月1日にNHK-BS2「衛星映画劇場」で放送された際には、上記のような処理はまったく行なわれなかった。

本編終了後、現代からすれば配慮が必要な用語・表現などが含まれるが、「作品のオリジナリティーを尊重してそのまま放送」した旨の断りが表示された。

かつて放映されたテレビ番組などを後に再放送する際、「○ちがい」の語を含む部分は編集されるか音声を消去され、程度のはなはだしい場合は放送回自体を省かれる。

サブタイトルに「○ちがい」の語が含まれている場合は、サブタイトルを改題する場合もある。

テレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』の第39話「わたしは人殺しなの」(1965年12月31日放送)は、セリフに「○ちがい」の語が多数登場し、また「犯罪を犯しやすい」という差別的表現があるため、再放送時に欠番となった。

ただし、DVDには収録されている。

子供向け特撮ドラマ『怪奇大作戦』の第24話「狂鬼人間」(1969年2月23日放送)は刑法第39条第1項「○○喪失者ノ行為ハ之ヲ罰セス」の規定をテーマとしているため、後に円谷プロによって正式に「永久欠番指定」され、再放送は1984年に岡山放送で行われた時(この際にも一部がカットされている)を最後に、ソフト化は1995年の発売当日に店頭から回収となり予約分のみが流通したLDボックスを最後に、そのエピソードの再放送はおろか、ソフト販売も一切不可とされている。

子供向け特撮番組『ジャンボーグA』の第26話「グロース第2号作戦 ○ちがい星とノンビリゴン」(1973年7月11日放送)は、ソフト化の際に「グロース第2号作戦 謎! ノンビリゴンの正体」と改題された。

ただし、再放送は改題されていない。(TOKYO MX「円谷劇場」で2011年8月7日に放送されたときには改題されていた。

ただし、「番組のオリジナリティーを尊重するためそのまま放送します」と事前にテロップがあった)

子供向け特撮番組『クレクレタコラ』の第220話「気違い真似して気が触れたの巻」(1974年8月2日放送)は、そのサブタイトルと内容により再放送で欠番となった。

ただし、DVDには収録されている。

衛星放送にて旧作品を放送する場合、放送局によっては当該用語を消音にする局としない局がある。

2005年、塩川正十郎は日本テレビの生放送番組・真相報道 バンキシャ!に出演し、当時話題になっていた騒音おばさんの映像を見て「こりゃねえ、やっぱり狂ってますよこの人は。顔見てごらんなさい。目はつり上がってるしね、顔がぼーっと浮いてるでしょ。これきちがいの顔ですわ。」と発言し、即座に司会の福澤朗が「塩川さん、そういう発言はふさわしくないと思います。」と述べ、視聴者に謝罪した。

プロレス団体大日本プロレス所属の"黒天使"沼澤邪鬼は、「キチ○イの神様」と自称し、チーム「045邪猿気違's(ゼロヨンゴ・ジャンキーズ)」でタッグを組む葛西純とともに「キチ○イ」をキャッチフレーズとしている。

そのため同団体の中継番組「大日大戦」では、地上波放送の際に「キチ○イ」の部分に「ピー音」がかぶせられる。

当選手のマイクパフォーマンス中に観客からの「キチ○イ」コールは修正できないため、CSは修正なしのパターンもあり、地上波はシーン自体がカットとなる(キチ○イの表記については"黒天使"沼澤邪鬼を参照)。

ニュースや報道でのインタビューで一般人が「○ちがい」といった場合、字幕テロップでその発言の「○ちがい」の部分が別の単語に差し替えられることがある。(例:子供が行方不明になった母親を見た人がインタビュアーに対し「○ちがいのように子供を捜していた」と言う部分の『○ちがい』を『夢中になって』に差し替えた。)

ニュース番組・報道番組やドキュメンタリー番組等で、沖縄の基地問題を取り上げる際に使う例として「基地外」ではなく『基地の外』(きちのそと)と、言い換えて表現している。


放送関連以外での対応

日本語入力システムによっては「○違い」と変換されないよう、初期設定では単語登録されていないことがある。

そのため「基地外」と誤変換され、これがインターネット掲示板の「2ちゃんねる」などで使用されている。

他に、「キティ・ガイ(略してキティ)」などの片仮名を用いたスラング的な表現も用いられている。

詳しくは2ちゃんねる用語参照。

逆に、米軍基地や施設の敷地外を指す場合に、「○違い」を連想させないよう「基地外」ではなく「基地の外」(きちのそと)と言い換えられることもある。

THE BLUE HEARTSの楽曲『終わらない歌』の歌詞に「終わらない歌を歌おう○チガイ扱いされた日々」というものがあるが、歌詞が該当するボーカルの部分にギターを被せ聞き取り辛くしている。

また歌詞カードの表記についても「…」と表記されている。

同楽曲が使用されている日本映画「リンダ リンダ リンダ」でも同様の措置がとられた。

2007年7月21日、当時の外務大臣麻生太郎が「酒は『○ちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言したことに対して毎日新聞が「問題発言である」と主張(毎日新聞2007年7月21日付)。

本来「○ちがい水」という言い回しそのものは、古典落語にもある江戸時代からの伝統的な言い回しであるが、この時期は政府関係者からのさまざまな問題発言が注目されていた時期のため、ほかと同様に過剰に問題視する人もいた。

任天堂のゲーム「どうぶつの森」で、手紙や掲示板に「○ちがい」または「○チガイ」と入れると、自動的にその部分が削除されるようになっている。

スクウェア・エニックス(旧エニックス)のドラゴンクエストシリーズでは名前変更時に「○ちがい」と入力すると命名神を怒らせたとして警告を受け、それを無視して変更を強行すると以後名前が容易に変更できなくなる。

再変更時には、ゲーム上の所持金から多額の料金を請求されることになる。なお、下品な言葉でも同様である。


その他

東海地方(特に名古屋弁)では、年齢の高低関係なくごく一般的な言葉として登場することがままある。

熱烈な中日ドラゴンズファンを指して、尊敬の念をこめて「ドラキチ」と呼ぶことがある。

俳句の世界には「季ちがい」という言葉があり、季節外れの題材或いは季語を用いた際に用いられる。

この言葉は誤解を招くとして、マスコミ・出版物では「季節違い」「季語違い」と言い直されている。

非常に危険であることのたとえとして、『○違いに刃物』という慣用句がある。

酒(日本酒)について、『○ちがい水』と言う俗語がある。

黄色のことを『○ちがい色』と称する場合がある。

チョウセンアサガオに『○チガイナスビ』という異名がある。


脚注

^ 精神医学の歴史 小俣和一郎 第三文明社 ISBN 9784476012521p120

^ 江戸時代後期における精神障害者の処遇[3] (PDF) 板原和子 桑原治雄 社会問題研究・第49巻第2号 2000年 p196

^ テレビ番組『ウルトラマン』の第2話(1966年)では科特隊のイデ隊員が自分自身を「宇宙語に関してはきちがいだ」と自慢するシーンがある。

^ 釣り漫画『釣りキチ三平』の「釣りキチ」とは、釣りの愛好家を指す「釣りキチガイ」の略である。

^ 「封印作品の謎」安藤健二 太田出版 ISBN 978-4872338874

^ 『喜びも悲しみも ニクマンも一七年』「精神病」者グループごかい 2010年2月5日閲覧。「やくざがヤーサンなら、キチガイは、キーサンだ」との記述がある。

^ 『女優の「キチガイ」発言で謝罪「放送禁止用語」とは何』 J-CASTニュース 2009年3月8日付 2010年2月10日閲覧

^ 続・差別用語 用語と差別を考えるシンポジウム実行委員会編 汐文社 ISBN 9784811300979 p260-261

^ 続・差別用語 用語と差別を考えるシンポジウム実行委員会編 汐文社 ISBN 9784811300979 p11

^ オトキチはカミナリ族の勃興期、カーキチはモータリゼーションの加速期によく使われた言葉で、共に現在では自虐や冗談以外で用いられることはほとんど無い。

^ 精神病院を捨てたイタリア捨てない日本 大熊一夫 岩波書店 2009年 ISBN 9784000236850 「はじめに>用語について」

関連項目

言葉狩り

差別用語

精神疾患

精神病質(サイコパス)

放送禁止-放送禁止用語-放送問題用語-放送事故

三上寛- 「気狂い」というタイトルの曲を歌った。

奇人

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メンタルヘルス
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