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百日維新:俺の屍を乗り越えてゆけ:光緒帝の涙 祖の二

2012-07-30 21:55:52 | 日記







/////////百日維新////////////////////////////////////////////////

1898年6月11日 光緒帝は軍務会議を開いた。

その中で清の光緒帝は「変法自強」を宣言する。

そして 正式に西洋文明を学び取り 新政を行う事を宣言した。

これを日本の諜報機関は聞き及んだので 長谷等を通じて

康有為に言い伝えた。

日本としては西太后だけを排除したかった。

日清戦争で戦友を惨殺された事が恨みとして存在していたからである。

日本側は戦闘以外では捕虜などは皇后など日本赤十字社が手厚く保護していたので

西太后のように手足を切り達磨にしていたぶるような非道な事はなかった。

長谷「君抜きで維新が進もうとしているぞ。」

康有為「、、、。」

宮崎滔天「君ら 漢人なしでの維新はありえない。 もう光緒帝は君とは面識があるのだから 直接訴えてみてはどうあろうか?」

李燕「その通りだ。俺は武術だけに力を注いでいたが やはり君のような学のある人間が この国を変えていくことが必要だ。俺は君等に協力する。」

これを聞いた康有為は居ても立っても居られずに 16日 早朝に イ和園の勤政殿にやってきて 光緒帝に面会を求めた。

屋根づたいに李燕などが康有為の後をつけて 彼を見守った。

本来なら4品(官位)以下とは面会してはいけないのだが 時期が時期だけに面会した。

康有為は叩頭すると膝をついて 「中国は今危機に陥っています。 清人 漢人を超えて中国を守っていくべきです。」

光緒帝「確かに 君の言うとおりだ。あの忌々しい保守派の人間を排除せねばならない。 例え 同じ清人だとしてもだ。国が滅ぶよりも漢人を採用する道を取るべきだ。」

康有為はここでも維新の必要性を説いた。

そして維新をすぐに実行するように懇願した。

光緒帝はそれに同意した。

そして光緒帝は康有為をいきなり総理衙門章京上行走に任命した。

粱啓超を大学堂の事務に当たらせ
譚嗣同、楊鋭、劉光第、林旭を軍機四卿に任命した。

譚嗣同


ここに百日維新と呼ばれる維新が動き出す。

そして北京で日本人と李燕と黄空悟などは康有為の出世を祝った。

だが 当人の康有為らはそれを祝う暇もなく 次から次へと改革を実行した。

まず 不要な機構の廃止を実施した。

次に制度局の設立を実施し 奏上分を直接皇帝へ送ることを提唱し 満州八旗の特権を廃止した。

また工商局を設置して実業を推進させた


1898年上海の小麦粉工場


1900年の上海の紡績工場

そして鉄路鉱務総山局や郵政局なども設立した。


1909年完成の京張鉄道


1910年完成の広州~九竜鉄道

また財政の改革に着手し 収支報告を公表させた。

予算 決算書の編成にも手をかけた。


軍 方面にかけてはヨーロッパ方式の陸海軍の訓練を実施させて 軍需工場を設立させた。

教育部門においては西洋文明を積極的に取り入れさせて 書院から学校への改革に着手した。

また北京に京師大学堂を設置し 各地に小中高を設置させ 留学生を派遣させ 訳書院を設立し 新聞を奨励し 各分野における学会設立を許可するようにした。

また科学技術発明を奨励した。


京師大学堂

だが これを快く思わない人間がいた。

それらは保守派官僚の栄禄や清人であった。

彼らは改革の詔が出されると 西太后などに嘆願してこれらの 改革を潰すように頼み込んだ。

これに呼応して 改革の詔の4日後に 光緒帝の師匠的な存在でもあった翁同ワ が西太后により解任され 彼の地元へと帰郷してしまった。

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