思いつくままに断章伊東

昔の出来事や最近の出来事から思いつくままに書きます。

郷土の短歌人鈴木忠衛さんを悼む

2018-11-28 06:27:43 | 日記

鈴木忠衛さんが亡くなられた。郷土の短歌にとって貴重な存在であった。私の手許には「越路の涯に」と「星霜」の歌集がある。鈴木さんは「文芸せきかわ」に集う人たちなどを指導した。文芸の編集委員もした([投稿者少なき事を嘆きいる過疎地の文芸編集会議」)。故郷関川村を心から愛した([過疎の村なれど八千三百の人達がおる溌溂として」)。鈴木久司村長とは同級生で、よく酒を汲み交わした(「潔く村長の職を辞すという友は郷土の蘇生果たして」)。信念の人でもあった(「節をまげ生くるを潔しとせぬ思いは今も若き日のまま」)。原爆、日本国憲法や沖縄にもきちんと向き合ってきた(「嘆きとも怒りともつかず込み上ぐる五十五回の原爆忌の朝」 「鴻毛の軽きを教えられし身は憲法9条くり返し読む」「沖縄の真の傷みを知らずして安保保堅持をたわやすく説く」)。                        小学生の頃長塚節の「土」を 読み,農民作家を夢見たが苦労の人生で,短歌を志したのは中年過ぎ。朝日歌壇の選者近藤芳美の「未来短歌会」会員になった。「人道主義」に惹かれたからと詠んでいる。そして、何といっても鈴木さんの真骨頂は、質実な生活詠ではなかったかと思う。([皺の無き紙幣を包み喪の家へ出で行く未だ春浅き日に」 「視聴覚機器の保守にと通いいし山の校舎も廃校となりぬ」「死ぬ時は素直になりて逝きたしと悟りを開くように呟く」 「戦いのなき世を希い残照に染まる荒川峡谷に佇つ」)。鈴木忠衛さんのご遺業を偲び、御霊の安らかならんことを。(2018.11.28:伊東正夫)