YAHOO!の見出しのつけ方に異議や疑問を感じることはかつて指摘した通り。
相変わらず客寄せパンダ的発想は収まることはなく、事実以外の着地点をあわや見出してしまう危険性をどう感じているのかはなはだ疑問である。
例えば「マクドナルド賞品にウィルス」との見出し。
賞品と商品を見間違える人はいないだろうが、発音が一緒なだけに誤解を生みやすい。
この見出しをパッと見て直感的に脳裏に浮かぶのは、商品に何らかの感染源を持ったウィルスが混入しているような感覚を抱いてしまうということ。
少なくとも私はそう感じてこの記事を読むことになるわけだ。
全文を読めば景品にウィルスが混入していて、食べるほうは全く安全だと分かるのだけどBSEなどが問題になっている今日、誤解を招くような見出しのつけ方は下手をすれば企業にダメージを与えかねない。そこまでして目を引く見出しを意図しているのなら将来、こ程度の発想しかできないのならポータルサイトなどタブロイド的なサイト以上になりきれないだろうし、ネットの世界がいつまでも軽視されるのに一役買っていると見られても仕方ないだろうと思う。
久米宏がNHKのアナウンサーのニュースの体言止めは良くないと指摘したのもなかなかうなずける話。
日本語はかなり優れていて活字自体が意味を成していて、言葉の前後を省略してもかなり正確には伝わる。しかし「次はお天気」というのと「次はお天気です」というのにさしたる違いはない。だとすれば意味もなく体言止めをするのはやはり言葉の文化を変えることになる。
非常に細かいことだけど何でも縮めれば良いというものではない。大人の間にも蔓延している「ですね。」という言い方。「そうですね」と何故言えない?と突っ込んで見たりもする。
外国でもそうなんだろか?
「I think so」は面倒くさい。「me to」と軽く済ませてしまっているのだろうか?まあ英語なんかその程度でいいけども日本語はそうなってほしくないと切望してやまないのである。
このブログを書いているgooや教えてgooの運営元のOKwaveにしてもそう。
おそらく運営スタッフの年齢は相当若い。会社自体ではなく運営スタッフの平均年齢は相当若いのは想像するに容易く、当然ながら日本語の表現や倫理基準を厳格に運営しているとはとても思えないフシは多々ある。
ソニーに始まったことではないがソフトウェアの運営に関しても明らかに技術の低下は間違いなく、それは行き着くところ言葉のボキャブラリーの低下が原因だと思われるフシが多々ある。
言葉を知らなければ聞けばいいのだが、それを知っている常識人をオールドタイプと決め付け排除しているので一向に向上しない。倫理や判定の基準はマニュアルに沿ってのみ行われ、またそのマニュアルを策定した人間も相当にレベルが低い上、そのマニュアルのチェックサムは誰がどのようにして行われているのか?開示情報も全く不十分なことが殆ど。
サイトのトップ項目に何故ポータルの理念やディスクロージャーのボタンがなく、ページの末尾にひっそりと表示されているのかは全く疑問。突かれたくない腹を触られたり、藪を突いて蛇的な発想なのだろうか?それとも自信がないのか?ならばポータルなんか止めればいい。
その程度のレベルなので一切は「事なかれ主義」で例外も認めないし、無難な着地点以外は是としない。
いよいよ末期的なポータルの運営スタッフなのだけど、何でもそう。早めに処方箋を与えないと化膿はひどくなるばかり。そのうち東スポや大スポ並みの見出しがポータルの一面を飾る日が来てしまう。そしてそれに違和感を持たなくなる恐怖感は耐え難いものがある。
日本人であることを止めたくなる瞬間は歳を重ねるごとに多くなる。残念ながらこれも事実。メジャーリーグやモンゴル人力士、格闘技選手の中に大和魂を見たりするのはなんとも複雑な気分。
少しスローダウンして物事を整理して表現する癖をつけるだけで済むのにね。
相変わらず客寄せパンダ的発想は収まることはなく、事実以外の着地点をあわや見出してしまう危険性をどう感じているのかはなはだ疑問である。
例えば「マクドナルド賞品にウィルス」との見出し。
賞品と商品を見間違える人はいないだろうが、発音が一緒なだけに誤解を生みやすい。
この見出しをパッと見て直感的に脳裏に浮かぶのは、商品に何らかの感染源を持ったウィルスが混入しているような感覚を抱いてしまうということ。
少なくとも私はそう感じてこの記事を読むことになるわけだ。
全文を読めば景品にウィルスが混入していて、食べるほうは全く安全だと分かるのだけどBSEなどが問題になっている今日、誤解を招くような見出しのつけ方は下手をすれば企業にダメージを与えかねない。そこまでして目を引く見出しを意図しているのなら将来、こ程度の発想しかできないのならポータルサイトなどタブロイド的なサイト以上になりきれないだろうし、ネットの世界がいつまでも軽視されるのに一役買っていると見られても仕方ないだろうと思う。
久米宏がNHKのアナウンサーのニュースの体言止めは良くないと指摘したのもなかなかうなずける話。
日本語はかなり優れていて活字自体が意味を成していて、言葉の前後を省略してもかなり正確には伝わる。しかし「次はお天気」というのと「次はお天気です」というのにさしたる違いはない。だとすれば意味もなく体言止めをするのはやはり言葉の文化を変えることになる。
非常に細かいことだけど何でも縮めれば良いというものではない。大人の間にも蔓延している「ですね。」という言い方。「そうですね」と何故言えない?と突っ込んで見たりもする。
外国でもそうなんだろか?
「I think so」は面倒くさい。「me to」と軽く済ませてしまっているのだろうか?まあ英語なんかその程度でいいけども日本語はそうなってほしくないと切望してやまないのである。
このブログを書いているgooや教えてgooの運営元のOKwaveにしてもそう。
おそらく運営スタッフの年齢は相当若い。会社自体ではなく運営スタッフの平均年齢は相当若いのは想像するに容易く、当然ながら日本語の表現や倫理基準を厳格に運営しているとはとても思えないフシは多々ある。
ソニーに始まったことではないがソフトウェアの運営に関しても明らかに技術の低下は間違いなく、それは行き着くところ言葉のボキャブラリーの低下が原因だと思われるフシが多々ある。
言葉を知らなければ聞けばいいのだが、それを知っている常識人をオールドタイプと決め付け排除しているので一向に向上しない。倫理や判定の基準はマニュアルに沿ってのみ行われ、またそのマニュアルを策定した人間も相当にレベルが低い上、そのマニュアルのチェックサムは誰がどのようにして行われているのか?開示情報も全く不十分なことが殆ど。
サイトのトップ項目に何故ポータルの理念やディスクロージャーのボタンがなく、ページの末尾にひっそりと表示されているのかは全く疑問。突かれたくない腹を触られたり、藪を突いて蛇的な発想なのだろうか?それとも自信がないのか?ならばポータルなんか止めればいい。
その程度のレベルなので一切は「事なかれ主義」で例外も認めないし、無難な着地点以外は是としない。
いよいよ末期的なポータルの運営スタッフなのだけど、何でもそう。早めに処方箋を与えないと化膿はひどくなるばかり。そのうち東スポや大スポ並みの見出しがポータルの一面を飾る日が来てしまう。そしてそれに違和感を持たなくなる恐怖感は耐え難いものがある。
日本人であることを止めたくなる瞬間は歳を重ねるごとに多くなる。残念ながらこれも事実。メジャーリーグやモンゴル人力士、格闘技選手の中に大和魂を見たりするのはなんとも複雑な気分。
少しスローダウンして物事を整理して表現する癖をつけるだけで済むのにね。