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【動画紹介】♬10月25日生まれの作曲家♬

2023年01月13日 | 動画紹介
☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
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 1838年10月25日に生まれたのは、ジョルジュ・ビゼー(1838-75)です。
 声楽教師の父、ピアニストの母の下に育ち、4歳で文字と同時に音符を教わるなど、早くから音楽に親しみます。

 10歳になる直前にパリ音楽院に入学し、ピアノ、オルガン、ソルフェージュ、フーガの技法などをグノーやアレヴィから学びました。
 イタリア音楽や宗教音楽を通して古典の伝統を習得したビゼーは19歳の若さで作曲したカンタータがローマ大賞を与えられ、ローマに留学することになります。
 ローマでイタリアの美術、歴史のある文化を味わった後、彼は一人前の作曲家として活躍するために努力します。

 初めは、ドニゼッティやロッシーニを思わせるような作風のオペラを作曲していましたが、1863年、ビゼーの最初の出世作《真珠採り》が完成します。
 この作品は今日ではフランス・オペラの重要なレパートリーの1つとなっていますが、当時はあまり評判にならなかったようです。
 その後に劇音楽として作曲した《アルルの女》も、劇としては成功しませんでしたが、その中の4曲を管弦楽組曲の編曲として上演すると、ビゼー自身も驚くほどの大成功をおさめました。
 この時、編曲した4曲は「第1組曲」として知られ、ビゼーの死後、友人のギローが新たに4曲を選んで編曲したものが「第2組曲」として知られています。

 ビゼーといえば、代名詞のように思い浮かぶのは、1875年にパリで初演された4幕のオペラ・コミック《カルメン》です。
 メリメの同名の小説に基づいて作られたこのオペラは、現在では世界的な人気を誇る作品ですが、19世紀のフランスでは奔放なジプシー女や密輸入者のような犯罪者が登場する、野蛮で品のないオペラと捉えられ、また演奏者やスタッフ間のトラブルなど、作品の完成度とは関係のない問題が続発し、観客の反応は冷たく、批評家からは辛辣に攻撃される結果に終わりました。

 ビゼーは《カルメン》が傑作として熱狂的に支持されることを知らないまま、36年の生涯を閉じます。


♬10月25日生まれの作曲家♬


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