幼い頃
鏡が怖くもあり好きでもあった。
鏡の中にはこことそっくりな別の世界があると信じてた。
そして時々何かが顔を出したり、向こうの世界と入れ替わったりしていると思ってた。
子どもの頃鏡の向こうに何かを見たような気がするけど、残念ながら良く覚えていない。
誰か覗いてたような気がする。
人じゃない何かが。
昔の人は三面鏡は開いたら閉じるだとか、一面鏡には布を被せたりしてた。
鏡はこことは違う場所に繋がる入り口みたいな気がしてた。
これは誰もいない時に向こうの世界から何か出てきたり、変なことが起こったりするのを防ぐためなんだろうか、そんな気がしてた。
今の物理法則になる前には、そうだったのかもしれない。
時々 鏡文字といわれるような、反転文字を書く子どもがいる。
そんな子たちはあちらの世界の子なのかもしれないし、この世界が反転して見えているのかもしれない。
身近にそんな子がいたけど、周りの大人は無理に直させようとしてた。
そんな大人の様子を見たその子どもは、不思議そうな顔を してた。
その表情は本当に訳がわからないといった様子だった。
恐らくその子は自分が見えたままの形の文字を書いていたのだと、その表情から理解した。
その子が学校へ行くようになると案の定発達障害の疑いのため通院を勧められたり、特別学級へ入るよう言われたりしていた。
その子は他にも変わったところがいくつもある子で、幼いながら五七調の歌がいくつもとめどなく口から出てきたり、見た景色やモノを精密に瞬間記憶していたり、何かを強要されることをとても嫌う自由な精神の持ち主だった。誰にも理解できないような不思議な言葉で話したり、危機予測をしたりもしてた。
その後に対する周囲からの圧もすごくて、成長したら普通っぽくなってたからとても残念に思った。
自分の育った家は普通じゃなかったから、普通のことを教えてもらえなかったから家を出てからすごく苦労した、そう話していた。
こんなふうに子どもの才能は潰されてしまうんだな、そう思った。
世の中の「フツウ」に。
自由でいさせてくれない社会
この世界、本当はわたしたちが思ってる「フツウ」とは本当は違う。
でもその「フツウ」じゃない世界を知ってる人たちは、その世界を独占してわたしたちをその人たちが作った「フツウ」の世界に閉じ込める。
1980年代ころまでは、そんな「フツウ」じゃない世界を知らせようとしてくれてた人たちがある程度自由に表現できてたと思う。
今よりももっと。
でも思う。
この世界の法則の外へ出るのは、その場所によってはとても苦痛だったりもする。
苦痛にならない場所もあるのだろうから、苦痛を感じるのは何者かが意図的に苦痛を与えてくるのかもしれないとも思ったりもする。
たぶん‥
電脳空間的異世界はわたしは苦手なのかもしれない。
今日は鏡について書いたけど、鏡の他にも別の空間への入り口はけっこうあったりする気がするし、自分の経験では誰か何かをが守ろうとしてそんな現象を引き起こしたりすることもあるのだと思う。その他の超常現象も。
いくつも重なっていて繋がることもある世界。
いつでも好きな時に戻って来れるなら、いろんな世界に行ってみたい。
今日もそんな妄想してます。