その時歴史は始まった

歴史を勉強しながら古代からたどりたいと思います。

秦の始皇帝はユダヤ人

2005-10-08 14:26:04 | Weblog
渡来人については、もう少し詳しく調べたい。この時期に、いろんな民族が流入してきてるのと、その民族によって歴史が展開し、現在があるのだとしたら。
紀元前、74年頃、秦韓のユダヤ人亡命者らが対馬経由で北九州博多へ移動し、伊勢湾と協定して、吉野ヶ里と鳥楢の地に倭奴国を建てた。これを伝え聞いた秦王が率いる苗族達も合流してシメオン族の長、大国主命を推戴して倭奴国王とした。 シメオン族というのは、ユダヤの失われた10部族のうちの一つ。
紀元前10世紀、古代イスラエル王国はソロモン王が死ぬと国力は急速に衰え、内乱が勃発、ついには分裂する。ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、ナセナ族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、の10部族とレビ族から成る「北朝イスラエル王国」が成立する。
ユダ族、イッサカル族とレビ族は「南朝ユダ王国」を形成し、聖地エルサレムを守り、ソロモン神殿と契約の箱を継承した。
そして紀元前722年、メソポタミア地方を支配していたアッシリア帝国が侵攻し、北朝イスラエル王国は滅んだ。イスラエル10部族はアッシリアに連行され、やがて歴史から消える。これが世に言う「失われたイスラエル10部族」である。さらに紀元前587年、新バビロニア王国の攻撃によって、エルサレムが陥落し、ソロモン神殿は破壊され、財宝のことごとくを略奪された。南朝ユダ王国の人々もまたバビロンへ連れ去られ、以後50年間に及ぶ奴隷生活が始まった。これを「バビロン捕囚」という。そして契約の箱も消えていた。
日本の神代史に出てくる高天原とはユダヤ人がアッシリア帝国に幽閉されていたバビロンの古代地名である。それは「タガーマ州のハランという町」のことで、この高天原からユダヤ人10部族は「亡命集団」となって流浪し、世界中に拡散した。
やがて秦の始皇帝としてシメオン族が中国を統一する。
また10部族の内のガド族は「銅鐸文化」を持って日本海寄りに南下して対馬に移動し、さらに北九州糸島半島に上陸して伊勢国(イスラエル人の王国)を建てた。そして204年ガド族の長、ニギハヤヒ命が白丁軍団を率いて日本海寄りに移動し南下して九州熊本の多波羅国に合流した。白丁軍団は隼人、後の漂白の民になる。秦の流れを汲む(シメオン族)倭奴国王となった大国主命が神武天皇(扶余王)と戦い、戦死するとシメオン族は、出雲へ逃れ大社に大国主命を祀った。