遡ること約3500年前、エブス人(エビス・殷人のことを漢民族は夷と呼んだ・シュメール人)とヒッタイト人(鉄族)は、フェニキア人と共に九州東側海上(日向灘・豊後水道)を通って国東半島に上陸した。彼らは、国東町重藤の海岸に莫大な砂鉄層が存在していることを発見すると、この地にコロニーを設けて、先住民に農業文化を普及させると共に殷文明(シュメール文明)のための製鉄基地を建設し始めた。同地の砂丘に大量に存在していた砂鉄を原料とし、地元の薪を燃料とし、西南の風をタタラとして縄文鉄の「ナマコ鉄」を造り、武器や農具の鍜鉄製品に仕上げていった。その際、湊川人など縄文人を奴隷として使った。そして、この鉄製品を中国商人との交易に支払う「貨幣」として活用した。これが北九州における水田稲作農業の始まりであった。水田稲作にとって、鉄器は、なくてはならないものであった。水田を作り、大量に稲を刈り、脱穀するのには、鉄製道具が、最も適切であるから。それらの需要をまかなうため、国東半島の重藤に造られた製鉄基地は、重要な役割を果たしたが、その資源も無尽蔵というわけにいかず砂鉄や燃料資源の豊富なサブ工場の適地を求めてヒッタイトは、各地に移動を繰り返したと思われる。そのサブ工場で良質の「縄文鉄」を生産し、これを国東半島の基地に転送し加工して鍜鉄製品に仕上げたのだろう。各種の鍜鉄製品を運んだのはエブス人(恵比寿・胡・蛭子・戎)やユダヤ(大物主の命・米俵を担ぐ大黒さん)の商人たちであり、その由来は、「エビス・大黒」として現在も各家庭に祀られている。日本は古代から太陽崇拝(アマテラス)と、されてきた。北王国イスラエルもまた太陽礼拝が盛んだった。これが神武以前の先王朝であり、天の王朝であった。 製鉄基地は殷の東表国となりエビス王家として続いていった。
東表国=天の王朝の列島支配は、1000年以上も続いていたという。彼等の伝導による世界最古の縄文土器も発掘されている。
東表国=天の王朝の列島支配は、1000年以上も続いていたという。彼等の伝導による世界最古の縄文土器も発掘されている。