久しぶりにベトナムに帰っています。主な目的は仕事ですが、家族に会えるのは何より楽しみです。
「年取っているから、環境の良いところに」と、両親がホーチィミン市の郊外に引っ越ししました。その新居に泊まるのは、今回が初めてです。
家に帰っている間は、朝多少ゆっくりしても良いのですが、せっかく身につけた早起きの習慣を守ろうと、アラームを5時に設定しました。そのアラームの音で目が覚めて、しばらく日誌を書いたりしたら、窓から優しく暖かい日差しと、鳥の鳴き声が響いて来ました。
窓を開けて見上げてみたら、爽やかな水色の空と、手をのばして触ったら解けてしまいそうな、軽くフワフワした雲たちがありました。違う方向へ向いて見たら、なんとそこに月がありました。薄い青色の、半月です。寝坊してしまって、夜が明けたのにまだゆっくり動いていて、まるでベトナム流のスローライフを楽しんでいるような月です。
暫くしたら、青空を大きな飛行機が音を出して過りました。やっぱり新しい一日が始まったから、あまりのんびりしないで動き出しましょうとの合図でしょうか。空が、とてもいとしく見えました。
青空を見上げるのは、久しぶりのように感じました。最近ウオーキングを始めましたが、朝歩いている時はきっと空を見上げることがあるはずなのに、印象が薄くどんな空だったのか思い出せません。考えてみたら、日本で見上げる空は、夜空が殆どです。仕事が終わって、深夜の帰り道に空を見上げることが
しばしばあります。今日過ごした一日は充実したのか?気が利かない一言で人を傷つけてしまったのか?お客さまに対する心からのおもてなしができたのか?などと、星を眺めながら一日の反省を自分に呟くことがよくあります。
時には、遠くに離れて会うことのできない友人が、今何をしてどのように過ごしているのか、空を見上げて私のことを思い出してくれるのかと、思ったりすることあります。辛い時は、安らぎを求めて夜空を眺めます。どこまでも広がっているこの宇宙に、ちっぽけいな私の悩みや苦しみも、間違いなくちっぽけなものだ。だから深刻に考えずに、前向きに頑張りましょうと、自分を慰めます。
日本で過ごしている毎朝は、バタバタしています。5時前に起床し、6時から散策、8時半までに店に着くように、そしてその間にやることが、あれこれとたくさんあります。日本人特有と言われる時計をいつも見て時間を確かめるクセがいつの間にか身に付いてしまいました。(時間の整理が下手だからかもしれませんが)世の中がどのように動いているのか知りたくてもテレビを見る時間も新聞を読む時間もあまりないので、ラジオを最大に活用できるように心掛けています。目覚めるのにラジオアラーム、散歩するのに携帯ラジオ、シャワーを浴びるのに防水ラジオ。ラジオがうまくつかないと焦ってしまいます。ベトナムに帰ると、そのセカセカした気持ちが不思議なほどすっかり忘れます。このようにゆっくりと青空を楽しむのはとても贅沢に感じます。
空は、私の大好きな場所です。曙の空も、夜空も。いったい、空と、「天国」とは、同じ場所でしょうか。「天国」と言って、人々は空に指差します。同じ場所なら、私もいつか空へ旅立つことができるかもしれません。そうだ、暗い、暗い土の中ではなく、空へのパスポートをもらえるように、生きている間は、頑張って良い人でいましょう。