ベトナム料理 ANNAM

食文化を通じて母国であるベトナムの文化を静岡に伝えたい!

2009-10-11 06:55:24 | 日々の出来事

 久しぶりにベトナムに帰っています。主な目的は仕事ですが、家族に会えるのは何より楽しみです。

「年取っているから、環境の良いところに」と、両親がホーチィミン市の郊外に引っ越ししました。その新居に泊まるのは、今回が初めてです。

 家に帰っている間は、朝多少ゆっくりしても良いのですが、せっかく身につけた早起きの習慣を守ろうと、アラームを5時に設定しました。そのアラームの音で目が覚めて、しばらく日誌を書いたりしたら、窓から優しく暖かい日差しと、鳥の鳴き声が響いて来ました。
 窓を開けて見上げてみたら、爽やかな水色の空と、手をのばして触ったら解けてしまいそうな、軽くフワフワした雲たちがありました。違う方向へ向いて見たら、なんとそこに月がありました。薄い青色の、半月です。寝坊してしまって、夜が明けたのにまだゆっくり動いていて、まるでベトナム流のスローライフを楽しんでいるような月です。








暫くしたら、青空を大きな飛行機が音を出して過りました。やっぱり新しい一日が始まったから、あまりのんびりしないで動き出しましょうとの合図でしょうか。空が、とてもいとしく見えました。








青空を見上げるのは、久しぶりのように感じました。最近ウオーキングを始めましたが、朝歩いている時はきっと空を見上げることがあるはずなのに、印象が薄くどんな空だったのか思い出せません。考えてみたら、日本で見上げる空は、夜空が殆どです。仕事が終わって、深夜の帰り道に空を見上げることが
しばしばあります。今日過ごした一日は充実したのか?気が利かない一言で人を傷つけてしまったのか?お客さまに対する心からのおもてなしができたのか?などと、星を眺めながら一日の反省を自分に呟くことがよくあります。
 時には、遠くに離れて会うことのできない友人が、今何をしてどのように過ごしているのか、空を見上げて私のことを思い出してくれるのかと、思ったりすることあります。辛い時は、安らぎを求めて夜空を眺めます。どこまでも広がっているこの宇宙に、ちっぽけいな私の悩みや苦しみも、間違いなくちっぽけなものだ。だから深刻に考えずに、前向きに頑張りましょうと、自分を慰めます。
 
 日本で過ごしている毎朝は、バタバタしています。5時前に起床し、6時から散策、8時半までに店に着くように、そしてその間にやることが、あれこれとたくさんあります。日本人特有と言われる時計をいつも見て時間を確かめるクセがいつの間にか身に付いてしまいました。(時間の整理が下手だからかもしれませんが)世の中がどのように動いているのか知りたくてもテレビを見る時間も新聞を読む時間もあまりないので、ラジオを最大に活用できるように心掛けています。目覚めるのにラジオアラーム、散歩するのに携帯ラジオ、シャワーを浴びるのに防水ラジオ。ラジオがうまくつかないと焦ってしまいます。ベトナムに帰ると、そのセカセカした気持ちが不思議なほどすっかり忘れます。このようにゆっくりと青空を楽しむのはとても贅沢に感じます。

 空は、私の大好きな場所です。曙の空も、夜空も。いったい、空と、「天国」とは、同じ場所でしょうか。「天国」と言って、人々は空に指差します。同じ場所なら、私もいつか空へ旅立つことができるかもしれません。そうだ、暗い、暗い土の中ではなく、空へのパスポートをもらえるように、生きている間は、頑張って良い人でいましょう。


日本のパパ、ベトナムのパパ

2009-10-02 08:02:37 | コラム
 2006年に行われたある調査によると、日本の男性の、子供と接する時間は僅かで、この少なさは国際的にも顕著です。調査対象になった6カ国のうち、日本は2番目に少ないのです(最も少ないのは、なんとお隣の韓国の男性です)。

 日本の男性が昔から育児しないと思われがちですが、そうではないようです。
江戸時代の武士の日記には父親が子供の手習いを見てやったり看病をしたり、こまやかに子供の養育に関わっていた様子が描かれています。明治初期には父親は子供、特に男児のしつけに熱心でしたが、明治の終わり頃になると子供と距離をとるようになりました。これは儒教的な忠孝思想を柱に近代国家を作ろうとした明治政府の意図とも関係しています。戸主として家族に対する絶対的な権限を付与された家長=父親は、子供とも関わることなく絶対者として君臨することで育児から疎外されるようになりました。第二次世界大戦後の家制度が解体し、家父長制に支えられた絶対的な父親像や父親と子供との関係は大きく変わりました。
 1960年代の高度成長期に女性の主婦化が進み、企業中心社会が成立すると、男性は妻子を扶養するのに十分な報酬を得るようになりました。しかし、それと引き換えに企業に囲い込まれ、「父親は専ら扶養、母親は養育としつけ」という性別役割分業体制が定着しました。

 日本とは対照的に、ベトナムでは、殆どの夫婦は共働きですので、夫のある程度の家事分担は当たり前です。そして、子供の養育には父親の役割が大きいです。夕食後、母親が洗いものや片づけをしている間、父親が子供と勉強机に向かっているのはよく見られる光景です。
 以前の記事に述べたことがありますが、ある日本人研究者がベトナムに訪れた時、ハノイで妊娠検診に付き添って病院に来た夫の多さに、また、ホーチミンの小児病院に一人の病児に父母が付き添う家族の多さに驚いたといいます。
 日本人にとって不可解なことかもしれませんが、ベトナムでは妊娠検診を受ける妻に夫が付き添うことは常識です。そして、小さい子供がいる場合、その母親が遅刻出勤し、早く退社し、勤務時間中に抜け出したりすることさえ認められます。父親もある程度同じ周囲に大目に見てもらうことができます。

 このように、仕事の時間、空間と、家庭の時間、空間との間にはっきりとした線が引かれている日本と異なり、ベトナムでは少なくとも子供が小さい時、その区別が曖昧になります。仕事のために家庭の時間、空間を犠牲にすることがあっても、逆の場合は許されないのは日本の常識です。

 私が大学を卒業する前に半年ホーチミン市にある法律コンサルタント会社に実習したことがありました。会社の忘年会には家族連れの人も多く、同僚の結婚披露宴には夫婦で出席し、恋人の出来た若手社員はその場を借りて皆にその恋人を紹介します。社員旅行も家族連れは当たり前のことでした。上司の7歳の長女がパパの服をたたみながら、「ママが赤ちゃんの面倒見ないといけないから、私が代わりにパパの面倒を見に来たの」と、胸を張って責任感を示し、大人たちを笑わせたことがしばらく会社では話題になっていました。

 「私の家族」というテーマで小学生の子供に、「お父さんは夕飯終わったら新聞に夢中になってお母さんの家事を手伝わないし、僕の勉強も見てくれません」と、書かれた父親が慌てて子供に書きなおすことを要求した。それはベトナムでは馴染み深い笑い話の内容です。
 育児のことではないですが、日本の男性は家事をしても、「ヨソに言わないで」「皆に見られるからゴミ出しをしたくない」などと、妻に“苦情”を言うちょっと古い人が多いらしいです。
 このように、「やっていることを恥じとして隠す」日本の男性と、「やらないことを恥として隠す」ベトナム男性の事情の背景には、それぞれの社会事情や価値観が垣見できるかと思います。

 父親が子育てにかかわることは、家族の絆が深まり、子供の成長や社会性の育成、そして母親の精神的な健康の維持に重要な役割を果たしています。さらに、子育ての経験は、父親自身にとっても成長の材料になるという報告があります。その内容とは、「柔軟になった」「我慢強くなった」「家族への愛情が深まった」「視野が広がった」といった、人格的な成長であるようです。晩婚化、非婚化、少子化が進んでいる中、父親になる人口がますます減り続けていることは残念な現状です。 
 父親も母親も、家庭と仕事を両立し、よりワーク・ライフ・バランスがとれて、より健全な家庭を築くのに、仕事へと男性を囲い込むこの社会規範や企業風土が変わらなければなりません。何より当事者である父親たち自身に、「家族を養うことができれば充分」と、偏った固定観念から脱出しなければなりません。誰もが感じているようなことですが、実現できる日は、程遠いのです。

ひがん花

2009-10-01 21:10:11 | 日々の出来事
 最近は、体力作りと、気力作りを心掛けています。就寝時間と関係なく、朝は5時前に起きるようにしています。前日の日誌を書いた後、当日のやることを確認し、それから必要なメールを書きます。6時になったら、(雨天決行で)ラジオを聞きながら45分間のウォーングを開始します。最初は家の周辺を歩くことが多かったですが、気分転換でこの頃は自転車で街まで走って、自転車を置いて公園やお堀を一周回ったりしています。  早朝の優しい日光を浴び、すれ違う方々と挨拶を交わし、名の知らない草花や鳥たちを眺め、「今日も一日頑張ろう」と、清らかな空気を胸一杯まで吸って自分を励まします。
 先日、お堀の周りを歩いていたら、ひがん花がたくさん咲いています。この季節は、あちこちでひがん花を見かけていますが、お堀の大樹の陰に謙虚に咲いているひがん花の群がいつも特別な感動を与えくれる感じがします。 好きな詩人、金子みすゞさんの詩を思い出しました。  







村のまつりは 
夏のころ
 ひるまも花火を 
たきました。
 
秋のまつりは 
となり村、 
日がさのつづく 
うらみちに、 
地べたの下に 
すむひとが 
線香花火を 
たきました  

あかい 
あかい 
ひがんばな。








「小さいもの、弱いもの、無名なもの、無用なもの、この地球という星に存在する、すべてのものに対する、いのりのうた」、それは金子みすゞの詩です。心が温まるうたを、皆さんと分かち合いたいです。