碧い影(anna4321)

心の解放を求めて ハリウッド スターになろう!のDVDがレンタル中です 下巻でマキ高野役で出演!

法律の話

2009-04-12 23:40:28 | 真面目な話
小泉首相の2001年8月13日の靖国神社参拝は政教分離を定めた憲法に違反するとして日韓の戦没者遺族ら278人が「政教分離を定めた憲法に違反し、精神的苦痛を受けた」として国と小泉首相、靖国神社を相手に人一万円の慰謝料などを求めた訴訟の上告審判決が2006年6月23日、最高裁第2法廷であった。今井功裁判長は「参拝によって、損害賠償の対象となる法的利益が侵害されたとは言えない」と述べ、原告の請求を退けた2審・大阪高裁判決を支持、原告側の上告を棄却した。原告側の敗訴が確定した。
首相は公用車で訪れ、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し、共花料は私費で払った。小泉首相の参拝を巡っては、全国で8件の訴訟が起こされ、これまで地裁、高裁で出た計12件の判決はすべて原告側の請求を棄却した。このうち今回とは別の訴訟の大阪高裁判決など2件の判決が「参拝は違憲」と指摘し、原告側が上告せず確定している。

不登校

2009-01-06 22:06:22 | 真面目な話
冬休みも終わりに近づいてきた。そろそろ、学校の始まる時期である。不登校の生徒たちにとっては、又、悩み多き日常の鐘が鳴り始める時期である。
人には言えぬ辛い思いや悲しい体験をして傷ついた心は、三学期が開始したからといって、容易に足を校門には向けてくれない。
二つだけ不登校の方にお願いがあります。
�自分の身体を自らの手で傷つけないでください。あなたの流す血はあなたの涙だからね。
�一日一回は信頼できる誰かと話をしてください。孤立は寂しいからね。
 歌の文句ですが私の好きな言葉です。
「明日は明るい日と書くのね」


ヘルマン=ヘッセ 少年の日の思い出

2007-05-02 10:01:29 | 真面目な話
[少年の日の思い出」
少年の日の蝶の収集を題材にしたヘルマン・ヘッセの代表作である。
冒頭の 「昼間の明るさは消えうせようとしていた。窓の外には、色あせた湖が、丘の多い岸に鋭く縁取られて、遠くかなたまで広がっていた」の情景描写から、読者は薄暗いイメージへと吸い込まれてしまう。そして、読むにつれてヘッセの天才的な情景、心情表現に心が奪われ一気に読みおえる。ドイツ人に生まれていたならば、もっと繊細な表現まで味わえるのではないかと思う。しかし、日本を代表するドイツ文学者 「高橋健二」氏の訳のおかげで、この感激を感受させていただいている。
 主人公の少年時代、エーミールの部屋から蝶を盗みだす前後の心情は、いわゆる真犯人しか知りえぬ真実である。「少年の時代にしか味わえない、なんともいえぬ、むさぼるような、うっとりした感じ」は蝶の収集を夢中にさせた。誘惑と緊張と蝶への歓喜が交差する中、少年は罪を犯す。一方、盗まれたエーミールの心情と態度も、冷静に真実を見つめている。
 昔、読んだことがあったが、人の物を盗むのは悪いことぐらいしか読みとれなかった。
確かに、注意されたり怒られた方が、軽蔑されるより「まし」だと思う。
 主人公は、少年時代の残念ながら自らの手で汚してしまった思い出を告白した。そうすることで、軽蔑された自分を払拭したかったのだと思う。
違うかもしれない。アメリカ映画でハッピーエンドに馴らされた私は、主人公は今後、明るくこの思い出を語ることができるような気がするが。
 もう一回、慎重に読み返してみようと思う。
 



平常心が崩れる時

2007-05-01 08:26:39 | 真面目な話
人は普段は平常心でいられるが、外からの変化によりその平常心のバランスを損ねる場合が、内からの変化よりも圧倒的に多い。
外からの変化とは自分の地位・名声・立場等の進歩、衰退でもあるが、日常生活では他者からの発言による平常心の変動が大きい。
「人に言われて」である。日頃、一目置いていたり好意を持っている人物ならば、言われた瞬間「何でそんなことを言うの?」と脳裏にはいっても、直ぐに「まず聞いてみようか」と判断できる。しかし、日頃から面白く思っていない人物や自分より能力的に下(?)と思っていた人物に、言われると急に平常心が大嵐時の洪水のように崩れ去る。
言われた内容はまだ自分の自信のある箇所ならば、平常心に戻せる機会はある。だが自信が持てなかつたり痛いところをつかれると、平常心を保つことは至難の業である。最悪切れてしまい怒りが全身に広がり、感情一辺倒の世界に迷い込んでしまう。
その状態で怖いのは、未来に終止符を打ってしまうような言い方と相手を傷つけてしまうような返答である。人の口は塞げないが、口は災いの元でもある。一回、口から出たことばは戻れない。詫びてすむ場合もあるが90パーセントはしこりとして残るような気がする。
しかし、人間は感情の動物でもある、感情のなくなった人間は寂しい。
平常時には安定した感情が存在している。平常心を見失った時は一刻も速く荒れ狂う感情を押し沈め、論理的思考を回復させることであろうか。


代理出産

2007-04-11 18:29:11 | 真面目な話
代理出産の賛否については個人の事情で違うと思うが、我が国では分娩をもって出産と認めている。それ故、遺伝学的に自分の子であっても、戸籍上は他人の子である。
この代理出産問題は向井さんと高田夫妻が品川区役所と争っているのは知られている。
子が社会生活をする上で、遺伝的つながりを重視すべきか、分娩を重視すべきかを考えると前者のように思う。しかし、現状は元来の認識のまま、分娩による親子関係をもって実子とする意見が多い。

硫黄島に死す

2007-04-05 22:43:02 | 真面目な話
 私は今日時間があつたので、城山三郎著「硫黄島に死す」を読んだ。ご存知の方も多いと思うが硫黄島における戦闘は悲惨極まりなく、映画・本等に語り続けられている。
 主人公、騎兵隊将校「西」は自分の動けなくなった体を宮城の方に向けるように見習士官にたのみ、3月22日に自らのこめかみに引き金を引くのである。
空襲と砲撃の中、次々と死んでいく隊員達にも当然、それぞれの人生があった。運命とはいえ何と悲しい現実であった。
 西は最後に何を見たのであろうか、硫黄島の青い空か、愛する人の顔か・・幼い日の思い出のひとコマか・・
 西は最後に何を思ったのであろうか、戦争の愚かさか、硫黄島守備部隊は全員壮烈なる玉砕を・の大本営の発表か・・幸福への祈りか。
 篠山三郎先生は最近亡くなられた。もっと長生きをしていただいて戦争の現実を書いてもらいたかったと思うのは私だけではないはずだ。
 又、IT産業の経済小説ももっと書いていただきたかった。
 合掌。

願い

2007-03-31 13:12:50 | 真面目な話
瓶の中に自己紹介を書いた紙を入れ栓をして海に浮かべる。瓶は長旅をしながら、見知らぬ海岸にたどり着き、見知らぬ人に拾われる。そしてお友達になる。

子供の時に耳にした話です。その話が本当かどうかは定かではありませんが、人は辛い時、何をするのでしょうか。何を願うのでしょうか。それぞれの事情によりますが肉体的苦痛の改善と心の解放でしょうか。
もし今子供にもどれたら、瓶に小さな願いを書いた紙入れて、海に流したい。


感謝

2007-03-10 01:26:23 | 真面目な話
 人間であるならば話をする。話をしながら自分の気持ちを伝えたり相手の話の内容を理解しようとしている。感情が入り過ぎると支離滅裂になる場合もある。又は理論的過ぎると会話としては少し違和感を感じる時もある。
 話すことは難しいが黙して語らずでは前進できない。素直に話せばよいのだ。相手の眼を見ながら自分の言葉でゆっくりと話す。
 今日の午後、ありのままを話せた。

オーエンの業績(簡単な感想)

2007-03-07 22:49:27 | 真面目な話
 オーエン(1771-1858)はイギリスの幼児教育者である。
オーエンは階級社会の中で子どもの工場労働を禁止し性格形成学院の成立、幼児・初等学校の開設を成し遂げた。上流社会の人々を最初のうち啓蒙するには、大変な苦労があったと思う。
 労働条件を改善するために社会改革を行った。子ども(十歳以下)の長時間労働を禁止し、学校に通わせるように教育の改革に尽くした。貧困で苦しむ人々を人道主義的な考えから救済した。
 このような問題を通して、オーエンの教育思想は近代の学校教育や生涯教育にまで影響を与えた。その功績は偉大である。

「成年後見制度」

2007-02-27 02:14:11 | 真面目な話
 高齢化社会と少子化に伴い、中高年の人々は、老後に備えて自分自身の「成年後見制度」を注目している。彼らは自分達が痴呆症になる前に、財産や年金の管理、体が動けなくなった場合の世話や介護、遺言等を決めておきたいと思っている。
 また、障害を持った人々の親(特に知的障害)は親亡き後の我が子の生活が心配だ。障害者に姉妹・兄弟がいても親は、子どもに障害者の世話をさせ続けさせてよいものか考えている。
 これまでの日本は経済的に安定し治安もよく、60歳か65歳からの年金支給も確実であった。子どもは親の老後の面倒を看るのは当然という認識もあった。しかし、今般では情報化が急激に進み、リストラによる人員削除・給与減給で若い頃、描いていた普通の老後生活を考え改めなければならない時期にきている。
 又、最近は成人した子どもが親を殺す事件が多発している。今までのような日本独自の情による親子関係は消滅して行く危機感を親達はもっている。
 このように変化している社会で多忙な毎日の生活を送りながらも、人間は確実に老いへと向かっている。

ひきこもり2

2007-02-25 19:07:28 | 真面目な話
 現在は国家も経済的に豊かになったが、父親の権威も弱体化した。青少年は個室を持ち、15歳を過ぎても親が食べさせてくれるので、学校に行かなくても働かなくても済んでしまう。携帯電話からインターネットへ接続ができるので、どこにいても大体の情報を得られることが可能である。したがって外に出たくなければ、出ないで暮らしていける。国民の意識も個人主義に変化したので、「ひきこもり」であることを、ひきこもりの本人やその家族も以前ほど世間に隠す必要もなくなってきている。しかし、人間は一人ではいつまで生きていけない。人間によって傷ついた心は人間によって癒されるのが望ましいのではないだろうか。

ひきこもり1

2007-02-25 00:20:43 | 真面目な話
 ① 定義 ひきこもりとは15歳位から20歳代半ばの青少年で、6ヶ月以上、長いのは10年以上も、一定の居所にこもって、一切の社会とのかかわりを持たなくなっているものである。(ただし、精神の障害がその主たる原因とは考えられないもの)
② ひきこもりの推定人数100万人前後
 ひきこもり関係の本を2冊読んでみたが、どれもひきこもりは悪く暗いイメージで書かれていた。そう思うが、ひきこもっている人は、過去に自尊心を傷つけられて立ち上がれないまま月日が流れてしまったのだろう。性格が明るくて物事にこだわらず、勉強も運動もできて、友達もたくさんいて、自分に自信があって、他人に気になる事を言われてもプラス思考に考えて生きていける人・・・。そうだったらいいのにな・・・。。。



ルソーの教育論・私の感想

2007-02-20 23:45:57 | 真面目な話
 ルソーの幼児教育思想は重鎮であり、「エミール」を執筆した1962年から245年経った現在の問題をも鋭く指摘しえる。
 学歴社会・少子化・物質文明・都市化・能力主義・情報化の中で子ども達は「泥んこ遊び」さえ、自分から望む前に、大人から与えられている。
 公園の網の張られた砂場(砂は消毒液で殺菌され、犬猫は入れない)が人工的に造形され、その中で使われるスコップやバケツまで用意されている。子ども達が砂かけでもしょうものなら、大人達が「止めなさい」と大声で叫び、「目に入ったら目が見えなくなる、洋服が汚れる、○○ちゃんと仲良く遊ばないと皆から仲間はずれになるわよ」と付け加えている。乳幼児のころから大人に用意された中で教育を受けてきた子どもは自ら真理を発見できず成長する。その過程で挫折を経験すると、子どもは登校拒否・家庭内暴力・万引き・非行・薬物乱用へと進みやすい。
 ルソーの幼児教育思想は近代の教育課題を解決成しえる偉大な思想である。
ここ11年間、日本社会の成果主義偏重が及ぼす弊害をも警鐘しているように思う。

文豪・森

2007-02-13 02:16:16 | 真面目な話
私は昨日、森鷗外の住んでいた屋敷跡に行きました。
そこは上野駅の近くにあり、今はレストランとホテルになっていますが、旧邸としてあります。明治の雰囲気が漂います。
鷗外は27歳の時、その屋敷で「舞姫」を書き上げました。庭に茂る草木と池之端の空にエリスの姿は消えては現れたのでしょうか?
舞姫のハンカチを一枚記念に買いました。

舞姫・・・悲恋・国際恋愛
高瀬舟・・安楽死・人生の満足度
阿部一族・組織の崩壊・その後の生き様の構築
 私の独断と偏見の感想です。