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アルファロメオと小倉唯

F1史上最強のマシンは?

前回の記事で「史上最強というのは、それぞれの人の心の中にだけ存在するもの」と書きました。

 

ではモータースポーツの世界で「私自身の中にだけ」存在する、史上最強とは何でしょう。

 

ドライバーとしては、やはりサーキットでの活躍から私生活まで…

 

生まれた家とその生い立ちから、亡くなった家と最後の言葉までをがっつり取材した…

 

タツィオ・ヌヴォラーリに、やはり思い入れがあります。彼だということにしましょう。

 

 

では私的な、F1史上最強の「マシン」は何か。

 

モータースポーツファンのかなり多くがマクラーレン・ホンダMP4/4を挙げるでしょう。

 

そうでなければフェラーリF2002か、F2004。

 

もしくはウィリアムズ・ルノーFW14Bか、メルセデスW07あたりでしょうか。

 

では、そのうちいくつかの、リザルト=戦績を比較してみましょう。

 

《1988年のマクラーレンMP4/4》

16戦出走 年間勝利 15回(確率.937) 

     ポールポジション=予選1位 15回(.937)

     ファステストラップ 10回(.625)

     1-2フィニッシュ 10回(.625)

 

《2002年のフェラーリF2002》

17戦出走 年間勝利 15回(確率.882)

     ポールポジション 10回(.588)

     ファステストラップ 12回(.705)

     1-2フィニッシュ 9回(.529)

 

《2016年のメルセデスW06》

21戦出走 年間勝利 19回(確率.904)

     ポールポジション 20回(.952)

     ファステストラップ 9回(.428)

     1-2フィニッシュ 8回(.380)

 

いずれも立派な記録ですが、ドライバーは2名体制で、二人を総合した実力と、その実力差にもよりますから…

 

マシンそのものとしての強さ、という観点から見ると、どれが一番とは言い切れない部分があります。

 

しかし、多くの人が気が付かないところで、無敵と言って良いパフォーマンスを見せたマシンがあります。

 

アルファロメオの、ティーポ158。

 

 

F-1グランプリが、FIAの世界選手権として始まった、1950年シーズンのチャンピオンマシンです。

 

今日私たちが見る記録上では6戦に出走して全勝。ポールポジションとファステストラップも全て取り…

 

いわゆる「スウィープ」を果たしています。確率はすべて、当然10割。

 

1-2フィニッシュは4回で、確率は2/3。

 

加えて、今はスターティング・グリッドの1列目には2台のマシンが並びますが…

 

かつては、1列目に3台というのが普通でした。

 

 

1列目の3つのポストを独占することを、当時「ロックアウト」と呼んでいたのですが…

 

ティーポ158は「ロックアウト」を4回達成しています。全戦の3分の2を「ロックアウト」したことになります。

 

このシーズン、ファンの関心事は、ティーポ158以外のマシンが勝つかどうか、ではありませんでした。

 

アルファのワークスチーム、アルファコルセの、レギュラードライバー3人…

 

ファン・マヌエル・ファンジオ、ジュゼッペ・ファリーナ、ルイジ・ファジョーリ…

 

「3F」と呼ばれたドライバーうちの誰が勝つか。また「3F」がロックアウトを達成するかどうかだけだったと言います。

 

 

そうはいっても何しろF-1初年度だから、きっと参加台数やチームが少なかったのだろう、と思うかもしれません。

 

ところが、さにあらず。

 

なんと、延べ30ものコンストラクターが参加し、出走したドライバーは、6戦で合計50名を越えました。

 

第1戦イギリスグランプリの出場台数は23台でした。

 

最終戦イタリアグランプリでは、少し増えて、26台のマシンがグリッドに並んでいます。

 

エンジンは、メーカーの数だけで、9社のものが使われました。

 

十分に多い数だったのです。

 

しかもこれだけが、この年に行われたF1グランプリではありませんでした。

 

当時は、世界選手権のポイントにカウントされない、F-1グランプリも行われていたのです。

 

ティーポ158は、そのノンタイトル戦に5戦出場して、これにも全勝しています。

 

世界選手権とノンタイトル戦を合計した、1950年のF-1グランプリでの戦績は、次の通りです。

 

11戦出走 年間勝利 11回(確率1.000)

     ポールポジション 10回(.909)

     ファステストラップ 10回(.909)

     1-2フィニッシュ 7回 

    (11戦のうち1戦は1台だけの出走だったため、確率は7/10で.700)

 

 

これだけではありません。

 

実はF-1が世界選手権になる以前、FIAは1947年にF-1レギュレーションを作って、グランプリを開催していました。

 

ティーポ158は47年~48年の間に、世界選手権ノンタイトルのF-1GPに13戦出場し、全てに優勝しています。

 

(49年はレギュラードライバー全員がシーズン前に事故死、または病死したため参加とりやめ)

 

全部を合計すると24回のF-1グランプリレースに出走して、24勝無敗。

 

なんと3シーズンに渡り、文字通り無敵を誇ったマシンだったのです。

 

私は筋金入りのアルフィスタなので、当然アルファロメオ・ティーポ158が、私の中での「最強マシン」です。

 

 

というわけですが、もちろん、野球でいえば白人選手しかいなかった時代のメジャーリーグと…

 

ジャッキー・ロビンソンが出て、有色人種も参加するようになってからのメジャーリーグを一緒に語れないのと同じで…

 

F-1だって、1950年代と現代とを一緒にするのには無理があります。

 

でも、何年度から後を「現代F-1」と見なすかは、そう簡単に答えが出ないことでもあります。

 

まあ、ティーポ158を賞賛するのは、ベーブ・ルースや、ミッキー・マントル、ジョー・ディマジオを讃えるのと同じですね。

 

私は、アルフィスタなりの、そしてオールド・モータースポーツを知るものとしての視点を持つだけのこと。

 

みなさんには、昔のスポーツ選手やスポーツチームの中に「自分の中の頂点」と見なすものがありますか?


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コメント一覧

angeloprotettoretoru
@kuwa16madaowa さま
いいですね、変態系ラリーマシン。ランチア037ラリーやプジョー306maxiは、フロントにズラリと並んだおばけライトが印象的です。でも037ラリーはピニンファリーナですから。DTMマシンは「ハコのF1」と称されて当時人気を博しましたね。アルファのレーシングマシンに関しては、105系ツーリングカーも強かったけれど、アルファコルセでなくアウトデルタだったし、ブラバムのアルファF1エンジンは情けない代物だったし…。クアドリフォリオを掲げたアルファのレーシングマシンという意味で、確かにV6TIはティーポ158の直系の後継車と言えるかもしれません。
kuwa16madaowa
最強マシンとはちょっと違うかもしれませんが、ランチアの037ラリーやプジョーの306Maxi、シトロエンのクサラF2キットカーら偏ったマシンに魅力を感じます。
また、当時のF1の後継レースこそ90年代前半のDTMだと記事を読んで思い、またティーポ158の後継車も155 V6 TIだと思いました。
angeloprotettoretoru
@nerotch9055 さま
コメントありがとうございます!
とにかくF1レギュレーションのグランプリレースで1つも取りこぼしがなかったというのは、恐ろしいほどの強さですよね。速いだけでなく信頼性も高くないと出来ないことです。基本設計が戦争中なのですが、逆にその分マシンの熟成が進んで弱点が修正・改良され、完成度が上がっていた結果なのかもしれません。
プジョー205、砂漠のライオン、かっこよかったですね。あの時はうっかり市販車買ってしまいました💦
nerotch9055
こんばんは!
とんでもないリザルトですね!!
いや、これは世界最強の称号を与えても申し分ないマシンだと思います!!
圧倒的とは、まさにこのマシンを語るための言葉なのかもしれません。

私個人の中では、WRCで活躍したスバルのGC8・GDBのWRカー、そして三菱のグループA絶対王者の
ランエボⅤ、Ⅵあたり、あとはプジョー206WRカー、そのあたりのクルマ達は最強の部類かと
思います。(多過ぎ!!)
あと、ラリーでもツーリングカーでも強かった、フォードシエラコスワースも捨てがたい・・。
(*⌒▽⌒*)
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