しばらく小倉唯さんの記事を書いてませんが…
お元気の様子です。
ツイッターには、雑誌『声優グランプリ』の撮影で浅草に行ったときの写真が上がっていましたよ。
こんな素敵な和装で「ホッピー」(しかもプラコップ笑)というのも、なにかシュールですが。
シュールと言えば、テレビアニメのオンラインイベント番組に出演して…
またしても「不思議ちゃん」と思われる発言をして、笑われていた唯さん。
30秒程度の動画なので見てみてください。
「幸せを感じる瞬間て?」という質問をされて「温かい安全な場所で眠ることが出来て…」と答えてました。
彼女の言動に慣れてない人たちからは「何言ってんだこの子?」と思われてしまいますが…
普段から発言をちゃんと聞いている人は、むしろ彼女らしいな、と感じるでしょう。
家族(ペット)がいて、毎日の生活が無事に送れて。そんな当たり前のようなことが、実は「有難い」ことなんだと…
こんな若い女性で、それを常に実感して暮らしている人って、そんなにいないという先入観からみんな笑うのでしょう。
そうした「普通の平穏な日常が続くことが、何よりありがたい」という卑近な意味に加えて…
唯さんの場合は、ラジオなどで…
「私につらいことや悲しいことがあっても、世界で起きてることを考えたら、ちっぽけなことだと思える」
といったようなことを、もうずーっと前から、何度も口にしています。
今は「ウクライナが大変だ」ということで、マスコミが連日、詳細な報道キャンペーンを張っていて。
それを見て世間一般の人にも、平和が当たり前じゃないんだという考えが、とりあえずは広まっているところですが…
唯さんは、マスコミが特に騒がない「平時」から、同じ地球の上で生きている見知らぬ人たちに起きている…
様々な悲しいことについて、情報を入れて、それをちゃんと心に収めている人なんだ、とわかっていれば…
上のような、一見「不思議」と思える言動にも、笑う気持ちにはならないんですけどね。
もっとも、それを気に留める感性が持てなくて、聞き流しているリスナーの方が、むしろ多いとも思います。
外見が可愛らしくて、アイドルっぽい衣装なんか着てステージで踊ってたり、コスメが好きだったりするような…
キラキラ系の「若い女の子」は、そういう「難しいこと」は考えないものだ、という先入観があると…
彼女のそういった、オブラートに包みながら何気なく発する、大事な言葉を聞き逃してしまうと思います。
「みんな今年もちゃんと生きて、偉かったですね。誰でも生きているということ、もうそれだけで偉いんだよ」
「生き物の動画を見ていると、あまりにも尊すぎて、胸が苦しいような、悲しいような気持ちになって、正視できなくなる」
彼女はいろんな意味で賢い人だから、そういう感性や視点、考え方をあまり前面に出し過ぎると…
芸能人として「引かれてしまう」というのをおそらくわかっていて、あまり強く主張しないですけど。
唯さんの容姿とか、多岐にわたる才能とか、努力家であるところとかも、もちろん素敵だとは思いますが…
私としては、そういう感性の部分をいちばん評価したいですね。
彼女のような感性、視点、物の考え方があれば、人が人を馬鹿にしたり、いじめたり、差別したり…
ましてや、争って命を奪い合うなどということは、決してないだろうと思うのですが。
そうはいかないのが、現実です。
ところで先日、こんな映画を観て来ました。
『FLEE』というデンマークで作られた映画です。
以下は、ややネタバレありかもしれませんので、見に行かれる予定がある方はご注意ください。
映画のタイトルになっている単語は、FREE=自由なとか、無料の、という方の単語ではなく…
FLEE=逃げる、避難する、消え去る(幸福や夢などが)という意味です。
アフガニスタンの内戦と、政府の弾圧から逃れて、苦難の末にやっとデンマークに難民としてやってきた少年が…
青年になり、それまでの自分の来し方について、心理カウンセラーに語って行く、という内容。
アニメーション映画なのですが、フィクションではなく、ノンフィクション・アニメということになってます。
主人公やその他の人が、顔を出さない方がいい、という事情もあるのかも。
それこそ、平穏だった日常、「自分の家で安心して眠れる」生活が破られて、命懸けで逃亡し続ける人たち…
官憲から逃れ、身分を隠し、偽のパスポートまで作り、法を犯し……
そうしなければ、生きている事さえもできない立場に追い込まれてしまった人たちの話です。
ちなみに主人公はセクシャルマイノリティで、それに悩む話もサブストーリーになっています。
イスラム法が現実に生かされている国では、同性愛は、下手をすると殺されかねないことですから。
彼はカウンセラーから「君にとって故郷とは?」と訊かれて…
「安心して、ずっといられる場所。それが自分にとっての故郷」と答えます。
故郷とは、必ずしも「生まれ育った場所」ではない。祖国、も同じことでしょう。
ただ、彼は偶然ながら、デンマークに「FLEE」したために、なんとか自分の人生を立て直しかけている。
でも、逃れた先が、もし日本だったら……
と、私は思ってしまいました。
私たちの国の「入管」が行っている非人道的行為は、国連の人権委員会から再三非難されています。
この映画の主人公のような人たちを、帰ったら殺されることがわかっている国に強制送還し…
それでなければ、刑務所よりはるかにひどい環境で、拘置し、虐待し、はずかしめている。
それなのに、なぜかウクライナからの難民だけは歓待し、援助し、それをテレビニュースで大々的に宣伝する。
ウクライナ人ならよくて、イラク人やシリア人、ミャンマー人やソマリア人はだめなんですか?
偽善。
これでいいのでしょうか。
プーチンや習近平の人権侵害や暴力は、言うまでもなく、許せないものです。
でも米国がイラクでやったことや、その同盟国(サウジアラビアなど)が行うことには、目が向けられない。
昔の我が国がやったことも。
悪の勢力から人々を開放するため?
今プーチンも同じこと言ってますよ。
「何を」やったかではなくて「誰が」やったかで正邪を判断するのは、とんでもない間違いです。
良い事と悪い事に、敵も味方も、こちら側もあちら側もないのです。
私たちは何かに騙されていませんか?
そして、自分自身をも騙し、自己欺瞞の中に安閑として過ごしていないでしょうか?
でも、いつか我々の子や孫たちが、故郷を失い「FLEE」する日が来ないとは限らない。
もしそうなったら、それは「人道」や「人権」について真剣に考えず…
現実から目を背け、慢心と自己欺瞞に浸っていた、親や祖父母たちへの天罰かもしれません。
ひとりの日本人としては、そういったことを考えさせられる映画でした。
小倉唯さんに、あの映画を見せて意見を求めたら、何を語るでしょう。