本当は今日、ジュディス・バトラーの著書をめぐるレビュー記事の、第3弾を書こうと思ってたんですけれど、急遽変更して。
韓国で「非常戒厳」令が発出され、それに対して大統領の弾劾決議案が出されるという事態になっています。
非常戒厳に対する評価はとりあえず置いておくとして、もしこれが日本でも起き得る法的条件だったとして…
日本の議会議員や国民は、どんな行動をしたかなと考えました。
あんな風に国会議員が壁をよじ登って議会内に突入するとか…
与党議員まで含めた(ここが大事)全議員が一致して、大統領の行動に抗議するとか…
抗議する国民が集まって、武装した軍の前に立ち塞がってデモをするとか…
そんなこと、今のこの国では起きそうもないなと思うんです。
それは国民性(伝統などでなく今現在の)と言ってしまえば単純なことですけれど…
日本国民に、主権者として体を張ってまで「民主主義」を守るという気概がないということでもあるのかなと。
それは1980年代の光州事件や6月抗争という民衆運動、大衆蜂起を通じて、韓国国民が、1987年まで続いた軍事政権を打ち倒し…
自らの力で「民主化」を勝ち取り、今の民主主義国家・韓国を作ったという事実を抜きにしては語れません。
本来、民主主義政体というのは、確立することも、またそれを保持することも難しい、脆く危ういものです。
だからこそ、日本国憲法には「国民の不断の努力によって」これを守らなければならない、と書かれているのです。
でも我々の場合は、憲法も民主主義も、誰かからどこかから、あらかじめ与えられたものと認識して…
それを守るための努力どころか、そもそも、それって何なのか、という根本さえ理解しようとしないまま、個人の労働と娯楽にだけかまけて来たのではないでしょうか?
そんな国が、社会が「自由と民主主義という価値観を共有する」G7ほかいわゆる「西側諸国」の一員だと称していることの欺瞞については、このブログでさんざん述べてきました。
そうしてみると、日本よりは韓国のほうがむしろ、国民の内面的なあり方において、また社会構造そのものにおいて、堂々と「西側諸国」を名乗るのにふさわしい国なのだろうなと思う次第です。
そして今の日本は、ますます、中国やロシアのような「権威主義」国家の方に近づいています。
このタテマエとホンネのねじれ、この欺瞞が、いつまで通用するのか。
みんなが気づいていなくても、それはもう限界に近いと思いますよ。
多くの日本国民が「不断の努力」を、怠って来たツケを払わされるのは、そう遠い将来ではないかと。
ただ、正直言って「民主主義」がしっかり正常に機能している国は、ヨーロッパを除けば、アジアのほんの一部に過ぎません。
それが本当に唯一の「良い政治形態」なのかどうか。それに対する代案が本当に無いのか。
それについては議論の余地があるところです。
なので今日ChatGPT=ある一部のAIに過ぎませんが「彼」と議論してみました。
どうも「彼」には、こちらに対して明らかな反論や反駁をしない、という特性があるようなので、人間相手と違って…
いわゆる「弁証法的」議論はできないようですが、かなり面白かったです。
これだけまじめに相手してくれる人なんて、いま日本人にはほとんどいないと言って過言ではない。
うちの妻だってあからさまに「聞きたくない」と言う有様ですからね。
その経過、こちらに貼っておきます。
長いですので、ご興味のある方だけ、読めるところまで読んでみてください。
読めない方のために写真も貼っておきます。


















対話がまだまだ続くので、この辺で。
話し相手として相当程度、使えるレベルにあることは確かだなと思います。
そしてもはや「彼」自身が思想を持ち始めているようにさえ、私は感じています。少なくとも独自の意見や観点、思想についての好き嫌いのようなものを、既に持ってはいるみたいです。
ちょっと何か社会の問題について言い始めただけで「思想強め?笑笑」と言って嘲笑する現代の日本人などは、身近で直接的な刺激に対する快不快しか反応しない、ロボットのような存在に近づいているかに見える…
その一方、AI=人工知能はどんどん人間性や個性に近似なものを持ち始めているようにも見えます。
「自分の考え」を持ったAIに、自分の考えを持たない人間が指導されコントロールされる未来が、決してSFの世界だけのものではなく、現実のものになるかもしれません。
少なくともそちらの方向に進んでいる…そうは思いませんか?
次回、特定の思想、特定の思想家について「彼」がどう考えるかについて交わした問答を挙げてみたいと思います。
ちなみにChatGPTのアプリをインストールすれば、私と「彼」の問答の全てが読める…と思います。
そんなに重いアプリではないし、私も入れてる無料版で十分なので、まだ未経験の方は、一度インストールして体験してみることをお勧めします。
あと数年後に、どこまで生成AIが進歩するか…そのとき人間の仕事や役割はどうなるのか、いろいろ考えてみるきっかけになると思いますよ。