父の卆(卒)寿=九十歳のお祝いをしました。
うちの夫婦と義母、それに加えて息子も駆けつけてくれました。
中華料理店の半個室を借りて。
相変わらず父は息子に向かって、さっき訊いたのと同じ質問を何度も繰り返してしまったり…
つじつまの合わない、頓珍漢な話をしてしまったり…
彼女とのことなど、若者からするとかなり「うざい」質問や答えにくい質問をしてしまったり。
先月の末にも会って、1月は2度も会っているのに…
「〇ちゃん、ずいぶん久しぶりだね。1年ぶりぐらい?寂しいからたまには顔を見せてよ」
などと言って、一同苦笑する場面も。
それでも嫌な顔をせず、笑顔で辛抱強く話に付き合ってくれる息子は、気が練れていますね。
私より気が練れているかも。
父も、息子より孫の方が、百倍くらいかわいいのでしょう。目じりが下がりっ放し。
でもそんな優しい青年に育ってくれたのは、親だけでなく、祖父母も含めいろんな人と接して…
お年寄りに慣れているということと…
そして、たくさんの人から愛をもらってきたおかげでもあるのでしょう。
父にも感謝しなくては。
あらかじめ、卒寿のお祝いだということをお店に伝えてあったので…
サービスで、食後に桃まんじゅうを出してくれました。
それにしても、私が小学生のころ、つまり父が40代前半のころから狭心症を患い…
発作が起きた時のために、ニトログリセリンを医師から持たされていた、うちの父。
「お父さんは長生きできないんじゃないか」と子ども心におもっていたものですが…
なんのなんの、90まで生きて来れました。
逆に、病気一つしないで元気いっぱいだったのに、早くに病死してしまう方もいます。
ひとの寿命というのはわからないものです。
人間死んだら終わりだと思ってきた父。
人一倍、生に執着はあるようです。
それに対して「いつ死んでもいいんだ俺は」と言っていた義父は、70代前半で亡くなりました。
生への執着心と寿命は、やはり関係があるのでしょうか。
ただ、数年前まで「真面目な話、俺だけはずっと死なないんじゃないか」と…
びっくりするようなことを、まじめな顔で言っていた父も…
最近は脚の衰えを実感して、だいぶ心細くなってきた様子。
息子と会うことが最大の生き甲斐の様子です。
親に代わって、祖父孝行をこれからもしてもらいたいです。
よろしくね。