Del Amanecer

スペインとフラメンコ、ビセンテ・アミーゴと映画とフィギュアスケートについて

Vicente y Toreo Ⅰ ~ビセンテと闘牛Ⅰ

2005-10-04 20:47:00 | Vicente Amigo
今年の春にリリースされたビセンテの新譜「音の瞬間」の2曲目「真実の野~Campo de la verdad」は、ビセンテが親友の闘牛士・ホセ・トマスに捧げた曲。
ソロ・デビュー前に彼が参加した、師匠・マノロ・サンルーカルのアルバムは「タウロマヒア」(tauromagia~tauromaquia=闘牛術)というタイトルだったっけ。
ビセンテは闘牛の熱心なファンで、セカンド・アルバムの「Blanco y Oro」という曲も闘牛に関わるテーマの曲らしい。ビセンテのフラメンコの中には闘牛のアルテが隠されているようだ

セビージャに住みビセンテとも親しい、フラメンコ関係の仕事をされているKさんから「ビセンテが
友人の闘牛士に宛てて書いたオメナヘ(オマージュ)が載ってる本が出たよ。」と教えてもらい、買ってきてもらった「Reflexiones sobre José Tomás」というタイトルの一冊の本。作家、脚本家、哲学者、新聞記者、シンガーソングライター/詩人、(ビセンテはギタリストで作曲家と紹介されている)など様々な職業の闘牛ファンの人たちが、ホセ・トマスという若き闘牛士へ詩や文章、手紙などでその熱い想いを綴った本だ。
本の中に「スタジオにある光の衣装」とかかれているように、彼の自宅のスタジオにはホセ・トマスから贈られた闘牛の衣装が飾ってあるらしい。(光の衣装というのは闘牛の衣装のことだ。)
以前ビセンテのセビージャ公演に行った時、彼は客席の誰か闘牛士を讃えるような言葉を述べていた。あとでKさんにそういうと、「ああ、クーロ・ロメロが来てたかな?」とのこと。クーロ・ロメロは
セビージャの闘牛士だ。闘牛士が聴きにくるフラメンコギターのコンサートなんて何だか濃いなぁ(笑)スペインならではの光景だと思う。
  
                        

インタビューではなく、ビセンテが誰かに宛てた手紙を読むというのはとても興味深い。
この本の中の他の人たちの文章に比べてビセンテの書いた手紙はわずか4ページなのだけど、
彼の冒頭の言葉を借りれば「Me gustaría decirte muchas cosas en pocas palabras para no cansarte ni cansar a nadie que lea esta pequeña carta・・・」(私は少ない言葉でたくさんのことを話したい。このささやかな手紙を読む君(ホセ)や他の誰も疲れさせないように。)・・・ということらしい。
ビセンテは詩人だけあって、その文章は手紙というよりは詩のようで少々難解な表現も多い。でもそれだけに声に出して原文を読むととても美しいリズムがあって心地よい。
意味の方は私には少々手に負えない部分もあったので、親友のVirginiaにも訳してもらい、自分でも訳してみて何とかビセンテの手紙の真実に(?)触れようと試みた。行間からはビセンテの
親友への友情のほか、闘牛への熱い想いが手に取るように伝わってくる。

最初ビセンテのような繊細なイメージの人が闘牛を愛するというのには面食らったけれど、でも
闘牛が好きなビセンテというイメージから入っていくと、自分が勝手に想像しているビセンテ像よりも、もっと生身の彼に近い新しいビセンテ像が浮かんでくる。それでもやはり彼の感性は繊細だ。繊細な感受性を持っているからこそ、闘牛という一見残酷なだけのような世界にもアルテ(芸術)としての見方をもって、その中にフラメンコの魂と同じ何かを見つめているのだ。

手紙の中にはマドリードのラス・ベンタス闘牛場が出てくる。私も昔、初めてスペインに行った時にここで闘牛を観たことがある。あの一種独特の雰囲気は闘牛場に行ったことがないと、なかなか
想像できないと思うけれど、本当に濃い世界だ。あの黄色いアレーナの上で繰り広げられる人と雄牛の真実の瞬間を観ながらビセンテが何を想い「痛ましく甘美に・・・」涙を流したのか・・・。
それが彼の心のどんなに深いところを揺り動かしたのだろうか・・・・。
たとえビセンテの隣に座って一緒に闘牛を観たとしても彼と同じ感情を共有することなど出来やしないのだけど、それでも彼のフラメンコに近づくためには、想像してみたいと思う。

~~続く

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