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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

醍醐猛夫氏が死去

2019年12月13日 | プロ野球

師走となりあわただしい日が続きますが、
年の瀬が近づいていることを肌で感じますね。
今日は朝から気温も下がり、
いやあ、冬だなあ・・・・・という感じです。


さて、
さほど紙面を多く割いた記事ではありませんが、
寂しい訃報が載っていました。

主にロッテで活躍した醍醐猛夫さんの訃報です。

醍醐さんといっても、
古くからのロッテファンのほかは、
名前も思い浮ばないことでしょう。

早実では王さんの先輩として甲子園の土を踏み、
ロッテでは長きにわたり活躍。
現役引退後も、
長くロッテでコーチなどを歴任した野球人でした。

しかしワタシの印象はそこにはあらず。
ワタシが醍醐さんと言って思い出すのは、
何とっても解説者時代の姿です。

醍醐さんはテレビ埼玉が開局して、
西武ライオンズの試合を中継し始めたころのメインの解説者。

開局からずっと現在まで、
地元球団である西武ライオンズの試合を熱く放送してくれているテレビ埼玉。
いまでこそ「テレ玉」と呼ばれていますが、
その当時はTVSと呼ばれていて、

実況・上野晃(驚くことに、現在でもテレ玉のスポーツ実況を担当しています。)、
解説・醍醐猛夫、
ゲスト・森山周一郎(あの俳優・声優の)

というのがワタシの中にあるライオンズの中継でした。
(というか、高校野球などもこの3者のイメージがありますね。記憶違いかもしれませんが。。。。)

醍醐さんはその中で、
歯切れのいいわかりやすい解説をしてくれて、
とても楽しく見ていた気がします。

その当時はテレビの野球中継といえば巨人戦オンリーの時代。

そんな中79年に誕生した西武ライオンズは、
TVSが連日ホームゲームを中継してくれて、
これで一気にワタシの”ライオンズ愛”も熟成されて行きました。

その中でも醍醐さんの解説が、
船出間もない弱かった西武ライオンズを、
時に厳しく、時にやさしく見守ってくれているようで、
ワタシはとても大好きな解説者でした。

もう40年も前の話になるんですね。
本当にあの頃、
プロ野球でパ・リーグの試合を見るなんてこと、
なかなかできない時代でした。

巨人戦も3回を終わったぐらいの7時に始まり、
9時にはきっかり「さようなら~」ですもんね。
映画のオープニングとエンディングがすっぽり抜け落ちたような野球中継が定番でしたが、
そんな中でTVSの野球中継では最初から最後まで試合を見られるという事に、
言いようもない嬉しさを感じていました。

ライオンズができたおかげで、
「非日常」だったプロ野球というものが、
すっかり「日常」になった感じがして、
よりのめりこんでいったのかもしれません。

年に1,2回が関の山だった生観戦も、
行くのが近くて、しかもチケットも取りやすい西武ライオンズ球場が誕生したことで、
飛躍的に増えていきました。
(しかもファンクラブの「少年会員」は自由席がすべてフリーだったからなあ。。。。日ハムと西武は、まさに入り放題という時代でした。ただし中学生までだったので、高校生になった時に「これからどうやって球場に足を運べばいいんだよ~」と真剣に悩んだ思い出もあったりします。野球に何度も行けるほど小遣いもなかったしね。)

こういうことを考えていると、
醍醐さんのあの声が、
ワタシの野球への道先案内人だったような気もします。

ああ、
そういった人たちが亡くなっていくというのは、
寂しいものですね。

沢山のあの頃のシーンが、
蘇ってきます。

醍醐猛夫さん。
どうか安らかに。
ありがとうございました。


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