SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても

16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

東海大四高についても、ちょっと書かせて。

2015年04月03日 | 高校野球

今年の選抜大会は、
敦賀気比高校の初優勝で幕を閉じました。

輝かしい『北陸勢の初優勝』という金字塔は、
今大会の思い出とともに永遠に残るものです。

その今大会で、
敦賀気比とともに我々の記憶に深く刻まれた学校、
それが優勝を争った東海大四高だと思います。

大沢投手の見事な投球と粘り強い攻守。

初戦から接戦続きの苦しい戦いが続きましたが、
一戦ごとにナインが成長しているというのを実感するような、
この選抜大会でした。

まだ記憶に新しい、
昨夏の”小さな大投手”であり”魔球の使い手”でもあるエース西嶋投手の熱闘。

そこから半年で、
今度は『全国制覇まであと一歩』まで迫ったナインには、
大きな拍手を送りたいと思います。

今年の札幌地方は雪も少なかったと聞いていますが、
それでも【雪国】【北国】であることは間違いなく、
センバツを戦ううえでの練習の苦労などは、
推して知るべしです。

そんな中での、北海道勢52年ぶりの決勝進出という快挙。
素晴らしかったですね。


北海道と言えば、
なんといっても04年から06年までの駒大苫小牧高校の『ありえないぐらい凄い』快進撃が思い起こされます。
北海道勢初の全国制覇を成し遂げたと思ったら、
翌年には戦後高校野球での初の連覇を達成。
そしてさらに翌年には、
3連覇を狙って決勝に進出するというすさまじさでした。

エースの”マーくん”田中将大投手は、
いまや『世界のエース』の階段を着々と登っているところです。

その時は、
北海道こそが高校野球界を引っ張っているという感じでしたが、
その後はまた、北海道勢は上位進出を阻まれ続けるという大会が続いています。

ワタシは北海道の野球のレベルは飛躍的に上がったと思いますが、
駒大苫小牧の後の次の優勝(全国制覇)、あるいは上位進出こそが、
北海道の高校野球にとってはとても大事なこと。
ずっとそれがないと、
『やっぱりコマトマの時代は特別だったんだ』
ということで、
元の『上位進出は厳しい』という時代に戻ってしまうのではと思っていました。

実は2013年、
大串投手を擁した北照にものすごく期待していたのですが、
残念ながら上位進出はならず。

そんな時に、
突如出現してきたのが、
『かつての名門』東海大四だったのです。

ワタシは昨秋の明治神宮大会の浦和学院戦という、
東海大四にとっては屈辱の試合を間近で見ていたため、
正直この大会での東海大四にはさほど期待していなかったのですが、
初戦、第2戦の21世紀枠校との対戦で苦戦しながらも終盤に決勝点を挙げて勝ちきったことで、
今大会完全に乗っていくことが出来ましたね。

準々決勝の健大高崎戦、
準決勝の浦和学院戦、
そして敗れたとはいえ決勝の敦賀気比戦は、
本当に見事な戦いぶりでした。

大沢投手の球のキレとピンチでも動じないハートの強さ。
そしてそれを支えるバックの一体感。
ベンチの盛り上がりかた。
”勝ち進んでいくチーム”の要素がギュッと詰まった、
東海大四の今大会での快進撃でした。


その東海大四。

学校創立は東京オリンピックの昭和39年ですが、
甲子園の初登場は昭和51年(1976年)夏。

その当時はまだ、
北海道にはストライプのユニフォームのチームは多くなく、
しかも胸に『TOKAI』の文字。

東海大相模が高校野球界をまさに席巻していた時期でもあったので、
子供だったワタシは、
単純にそのストライプのユニフォームをまとって出てきたこの初出場校を『カッコいいなあ』と思って見ていました。


そしてその初戦。

今でもワタシの頭の中にある【甲子園大激戦アルバム】の1ページを飾るような試合でした。

相手は春の選抜を圧倒的な強さで制して、
何人も後のプロ野球選手を抱えた超大型チームの、広島代表・崇徳高校。

何しろこの大会でも当然に【優勝候補の一角】に数えられていたこの高校。(ちなみに4強と言われたのは、この崇徳に東海大相模、酒井投手の海星、九州の強豪・柳川でした)
北海道から初出場の東海大四にとっては、
かなり荷が重い相手との初戦。

ワタシのうっすらとした記憶をたどっていくと・・・・・・・

序盤は予想通り、
一方的に崇徳が攻める展開。

崇徳は2番手投手が先発を務めていました。
それは、”大エース”の黒田が朝の発熱で先発を回避したから。

和気投手という名前だったかな?
その2番手投手が好投して、
試合は一方的な展開になると思いきや、
ベンチは試合中盤で、
エースの黒田を『大丈夫』と判断してマウンドへ。

予想通り東海大四打線は黒田に抑え込まれるも、
ある回に異変が。

ムリを押してマウンドに上がったのが祟ったか、
黒田が体調を崩してドクターストップ。

今と違ってベンチ入り人数も14人と制限されていたため、
各チームともにそんなに何枚もピッチャーを持っていないという時代。

困った崇徳は、
本来は投手でないものの、投手経験のある兼光外野手(?)をマウンドへ。

そこから何回かは兼光投手が東海大四打線を抑えていった記憶があるのですが、
8回、9回に至るともう余力は残っておらず、
ヒットを打たれ、四球を連発。

”優勝候補”の崇徳がこれほどアタフタとした試合は見たことがないというぐらい、
試合は予期せぬ大乱戦になっていったのです。

最後の最後、
11-8の2死満塁というピンチを何とか兼光投手が抑えて逃げ切った時は、
甲子園の日はとっぷりと暮れて、
カクテル光線に映し出された両校のコントラスト、
なんとも鮮やかなものでした。

何年も記憶に残るという戦いで敗れ去ったものの、
東海大四は甲子園に鮮烈な記憶を残して、
去って行ったのでした。

*ちなみに今年のセンバツ1回戦、今治西vs桐蔭戦を観戦しながら、最後の回、ワタシはこの試合を思い出していました。


そこからワタシの中にこのチーム、
『なんかやるぞ!』
という印象が強く残っているのです。

次の登場は78年センバツ。
この年の東海大四、
左腕の好投手、田中投手を擁していました。

しかしこのセンバツの初戦で対戦したのは、
あの『炎のストッパー』津田投手を擁する南陽工業。

初出場同士の戦いとなったこの試合でしたが、
南陽工は既に初戦を戦っているという試合でしたので、
そこは久々の試合となった東海大四が不利だった。

田中投手は、
津田投手に負けない剛球を投げていましたが、
初回に少し浮いたところをあろうことか4番の津田投手にレフトに先制2ランをたたき込まれ、
剛腕に対して重い2点を背負ったところからの試合となってしまいました。

そしてその2点が返せず終盤に突き放されて1-7の敗戦。
センバツのデビュー戦も厳しさと悔しさの残るものとなってしまいました。

ちなみに東海大学の付属の学校。

やはりなんといっても『総本山』は東海大相模。
原貢監督に率いられて全国制覇した後、
原辰徳・津末・村中のキラ星を中心として3年連続で甲子園に進出。
優勝には届かなかったものの、
【東海大相模フィーバー】を巻き起こしました。

それに続いたのが、
静岡の東海大一(現東海大翔陽)。
太田投手という”小さな剛球投手”を擁して甲子園にさっそうと登場してきました。

ちなみに同じ静岡県には東海大工(現東海大翔陽)もあり、
両校で切磋琢磨して静岡・浜松商・静岡商の3強が牛耳っていた県の高校野球界に、
風穴を開けていきました。

東海大二は熊本県、東海大三は長野県、東海大五は福岡県代表として、
堂々と甲子園に進出してきた、
昭和時代の流れでしたね。

その後の各系列校の活躍は紹介するまでもないでしょう。
昨年は東海大相模、東海大四をはじめ4校が一挙に甲子園に進出し、
”東海大野球の祖”原貢氏の薫陶を受けた各監督が、
聖地で奮闘しました。

ちなみに東海大系列とよく比較される日大系列ですが、
こちらは日大高(神奈川)、日大一・日大二・日大三の東京の3校は特別な付属校で、
残りの日大〇〇高校とつくのは直系の付属校、〇〇日大高校とつくのは系列高校(わかりやすい言葉で言えば、フランチャイズのような感じのとらえ方)ですね。

特に強豪と言われている日大三を中心として、
こちらの活躍も高校野球界にあって、忘れてはならないところですね。


そんな東海大四高。

このチームの特徴はやはり【好投手の存在】でしょうかね。

昭和55年(80年)春の西本投手(元西武)も忘れられません。

この年の好投手三羽烏に挙げられていた西本投手。
ちなみに残り二人は、高知商の”球道くん”中西投手(元阪神)と、
柳川の”テルシー”中島投手(元日ハム)です。

グーンとひざ元で伸びる西本投手のストレートの球道は、
まさに今年の大沢投手のような感じでしたね。

しかしこの年の選抜でまたもその東海大四の前に立ちはだかったのは、
優勝候補の一角であった広島・広陵でした。

広陵は渡辺-原(元広島)の強力バッテリーを擁し、
現在の広陵の中井監督が2番を打っていました。
『名門高らかに復活』というチームでしたね。

西本投手は広陵の主砲・原の一発を序盤に食らって、
またも追いかける展開での苦しい戦いでした。

そして追いついて流れを呼び込んだかに見えたものの、
最後は力尽きてサヨナラ負け。
この時もまた、
甲子園はカクテル光線に照らされて、
幻想的な最後でした。

このあたりは、
毎年のように東海大四が甲子園に進出してきて、
完全に北海道の高校野球界を引っ張るリーダー的な存在でした。

そして忘れられないのが昭和61年(86年)夏。

初戦の相手は、
好投手伊良部を擁する尽誠学園。

伊良部は2年生でまだ覚醒する前の段階でしたが、
何しろガタイが大きいのとそのふてぶてしさで、
その頃から異彩を放っていました。

対する東海大四のエースは大村巌。

ロッテのファンならば誰もが忘れられない、
あの『イワイワオ~』です。

この時に伊良部からホームランを放ち、
『投手よりも打者』で注目された選手です。


まだまだ昭和の年代ですから【四国の野球の全盛期】とも言われる時期。

北海道の代表が四国の強豪を破ったということは、
非常に驚かれるトピックスとして報道されていたことが思い出されます。

実はこの勝利が、
東海大四が春夏通じて6回目の甲子園で初めてあげた勝利です。
長い間の悲願を達成した、
輝かしい瞬間ですね。

そして89年、93年、01年と、
平成に入ってからは出てくるたびに1勝を挙げ、
甲子園での実績を少しずつではあるが残してきました。

しかし出場が10年に1度程度で、
どんどん新たなる強豪チームが出現してくる北海道の高校野球界にあって、
その存在感は失われていたといってもいいでしょう。

01年の選抜に出場した後昨年の選手権まで出場はなく、
全国のファンには忘れられた存在になりかけていました。

しかし昨年、
21年ぶりの選手権出場で、
西嶋投手が全国のファンを魅了する投球を披露して優勝候補の九州国際大付属を破り、
久々に全国に『東海大四』の文字が踊り、
そのいい流れを引き継いだ今年の後輩たちが、
どでかいことをやってくれたということです。

強豪が多い北海道にあって、
この東海大四にとっての”いい流れ”が続いていくのかどうかは、
まだまだ分かりません。

しかし、
長いこと破れなかった『甲子園2勝以上の壁』を突破した現在、
また東海大四が北海道の高校野球界のリーダーとして君臨していくことは、
十分に可能ではないかと見ています。

『好投手を中心に、粘り強く戦う』
という伝統を引き継ぐチームが、
また甲子園で大暴れすること、
願ってやみません。

『北海道勢2校目の全国制覇は、俺たちの手で!』

大いに意気込んで、
また夏に会いたいですね。


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