自分の気持ちをサクサクと篩いにかけていろんなものを取り除いていったら、北京のとき、天地様の最後に納刀してリンクをあとにする、あのときの羽生くんがキラリと光る結晶になってあらわれた。そうか。私はあのときの、あの表情に、落ちたのかもしれないな。
春よ来いで衝撃を受けて、あとから動画で辿ったオリンピック。なんてひたむきで、正直で、美しい心を持った人だと、どことも言えず、漠然と北京落ちでいたけれど。彼の生きた道が、志が、人間性が、あの美しい去り際に詰まっていた。
胸が鈍く痛んで、GIFTを観てさえもあまり見返すことができなかった北京での演技だったけれど、あのときのために羽生くんが捧げてきたものたちの輝きを、改めてしっかりと目に焼き付けたいと思う。
「今回報われなかった想いは、今後どんな幸福に巡り逢っても彼の中から消えることなどないんだろう。きっと、そんな想いにフタをすることなく大切に抱いたまま、彼は進んでいくんだろう。それが、羽生結弦という人なんだろう」
「普通の人であれば取り繕って見せたくないような、そんなところまでファンと共有してくれるんだなって。強い、というよりも、羽生結弦という人の不思議な透明な輝きを見た気がした」
これらは、北京オリンピックを咀嚼したときに私が書いた言葉であり、私が羽生くんのことを好きでいる理由。
もう、知らなかったときには戻れない。彼のスケートがこれからも私の毎日を彩っていく。羽生くんが好き。羽生くんのスケートが好き。彼がその全てを注いで磨き上げた美しいスケートが、大好き。ただ、それだけ。そんな想いだけ。