私たちの祖先は冬をどう過ごしてきたのでしょう
何千年或いは何万年と続いた暮らしは私たちの細胞に消えることのない記憶を刻んでいます
それが身体に宿る叡智です
冬が来れば細胞は冬支度をします
代謝を減らし食料の消費を抑えます
余計な思考を減らし感覚を研ぎ澄ませます
冬という厳しい季節を乗り越えるためです
乗り越えた経験がそうさせます
そのように内なる自然の動きと外の自然の動きは完全に調和しています
ただその境界にある人の自我だけが
自然の動きから外れて自分勝手に動くことこそ自由なのだと言いはります
自然の声を聴く自由と聴かない自由があるだけなのに
食料の消費を抑えるため代謝の落ちた身体に物を詰め込みます
この時期は忘年会、新年会など何かと食べる機会が多いのです
当然消化不良になります
またこの季節にはなるべく脂肪を蓄えようとする身体の知恵があるゆえに
体重も増加します
消化不良の腸内では様々な毒素が生み出されます
それは感覚を狂わせ
思考を狂わせます
自然の声とは道なのですが
感覚と思考の狂った人は道に帰れなくなります
もう自然の声を聴こうという気にもならなければ
聴こうとしても聴こえなくなっているのです
ゆえにそんなものは存在しないと結論付けます
狭い部屋で暖を取り
家族、親戚、友人が集まり
物語を紡いでいたころ
冬とは心が温まる季節だったのです
また簡単には外に行けない天候の中
他の人と仲良くする術を磨くこと
限られた空間と材料で出来る遊びを創り出すこと
話すこと聴くこと
歌うこと
そして祈ること
精神性霊性を高める絶好の季節だったのです
それらの環境による強制力は技術力の発達によって現在失われました
勿論技術がいけないわけではありません
私たちは選べるようになったのです
内外の自然の声を聴きその波を利用するのか
或いはそれを無視して生きるのか
無視して生きることにどんな利があるのでしょう
身をもって知ることが出来る自由を人は持っています
冬至、春分、夏至、秋分は季節の分岐点であり
冬に車のタイヤをスノータイヤへと変えるように
新しい季節に向けて身体が変化する時なのです
全ての細胞が知っているのにも関わらず
全ての細胞の王たるあなたが知らないでいることのないように
冬の身体の使い方をあなたの身体に教わりましょう
内なる自然の声に耳を傾ければ
それは誰でも教えてもらえるのです
自然の声と言いましたが
それは唄なのです
リズムがありメロディがあります
内なる自然の唄は
外なる自然の唄と調和しています
その中間たるあなたの生活という唄を調和させてください
調和の中で自由に歌えばよいのです
巧みな即興演奏のように
自然という伴奏の上で