『在るがまま』の『在る』を見つけることを、皆様かなり苦労しておられるようです。
そもそも、神=宇宙エネルギーは『在る』のであって、無であれば私たちは存在すらしておりませんね。『在る』という宇宙空間に遍満普遍している、純粋なるエネルギーを認めるのは基本中の基本。
例えば、『お金が無い』というのは【無い】という想念に基づいている。『もったいない』も【無い】という想念に基づいている。
ですから、【無い】という想念は神(の愛)から離れてしまっている。学びや気づきのプロセスにおいては、本質に戻るためには誰しも通る道です。無いを実感して、ようやく【在る】ことの意味が理解できるからです。
この世界には、全人類の空腹を満たす食糧が在ります。しかし、何故それが行き届かないのでしょうか。それは【無い】という想念に基づく現実を多くの人々(集合体)が、闇のマインドコントロールにより想像=創造してしまっているからです。恐れや貧困を無意識に選択しているのです。
この宇宙は愛によって構成され愛によって動かされているのに、生きていく、学びのため、気づきのために必要な物質が【無い】なんて、あり得ないのです。原因が何処かにあるはずです。
自分を満たすこと。生かされていることに感謝すること。
それによってあなたの宇宙が、満たされた人生を創造するために始動するのです。途中でまた不満や満たされない気持ちになると、また始めからやり直しで、全く現実に現れてくることができません。ですから、自分の理想の人生を実現したいのなら、内観し、思いを見張って修正しながら進むのが、一番成功する確率が高く手っ取り早いのです。
その中で【在る】という、宇宙のありとあらゆるところに遍在するエネルギーが、【在るがまま】だということの理解に到達します。
この部分は、以下の説明の方が皆様分かりやすいと思います。
お釈迦さまは、インドの中にある国の王子さまでした。地位も名誉も、たくさんの金銀財宝財産もあって裕福に暮らしていました。そんなお釈迦さまは、ある日その自分が所有するすべてを棄てて、山に入りました。悟りを得るためです。彼は厳しい修行を重ね、付き人が何度も止めるにも関わらず、かなりの断食や荒業を続けたそうです。しかし、悟りは得られず、悟りを得ようとする欲も棄てた時、エンライトメントしたと伝えられています。そして、その境地を多くの人々と分かち合うために下山したのです。
つまり、お釈迦さまは、悟りを得ようとする我欲を棄て、求めることをやめたということですよね。…ということは、【在る】がままでいい…ということを見つけたということではないでしょうか。そして、自分一人でその宇宙の叡智を楽しむのは個人利益(我欲)になるので、人々とシェアする、つまり全体利益を優先するために自分の気づきを広めたのが、現在の仏教の原型だったのです。
お釈迦さまだって人の子です。お釈迦さまに解脱できて、人類にできないことはないのです。それを出来ないと洗脳するのが宗教なのです。
あるがままで