今年で24回目の来日ダルシャン(抱擁)を予定しているインドの聖母アマチ。日程が決まり案内とプログラムが昨日送られて来ました。
相変わらず精力的に世界中の人々を抱擁行脚しておられるようです。
『抱きしめられて愛に気づく』
が今年のテーマだそうです。アマチのダルシャンに興味がある方は、こちらのサイトまで。
さて、あの神の化身と言われていたサイババが、今では真逆の悪魔の化身になっているような雰囲気が一部で漂っていますね。
アマチも私的な行動が密告されて聖母ハレンチ(笑)なんてことになる可能性のある、何でもありの世の中です。
マスターとしてあるべき姿とは?誰かが勝手に作っている、単なるイメージなのではないでしょうかね?
どのような人生を送るかなども含めて、すべては本人と神が決めることであり自己責任ですので、聖者の私的な行動なんてどうでもいいと思いますが。
なぜなら神として偶像化されている聖者たちも私たちと同じ人間だからです。
うん○こもすれば怒ることもある。ただ椅子に座って微笑んでいるだけの神なんて単なるお飾りに過ぎない。そのイメージに洗脳されているのは私たちなのです。
例えば仏陀は一国の王子で軍の最高司令官。インドのクリシュナも最前線で戦う戦士でした。イスラムの神ラムザも侵略者でしたので、悪く表現すれば彼らはみんな人殺しでした。人殺しが今では神となって崇められているのですから、サイババが変態だったとか聞いて何か驚くことがあるでしょうか(笑)
これがイエスが生きた時代だったら、イエスもホモか変態になっていたかもしれませんね(笑)
生前、神の化身として世界に君臨したサイババは、この世を去ってから悪魔の化身として君臨するという両側面を持ち初めました。むしろ多くの魂たちの学びや気づきに貢献していると捉えています。
そういう意味においてもサイババは偉大ですね。
これはあくまでも私の所見ですが…
日常でスピリチュアルな気づきのプロセスにおいて、どのようなレベルの愛に触れて、気づきがあったかが重要なのだと思います。
書籍も含めていろいろな出会いが日々ありますが、スピリチュアルな目覚めや気づきを生きる目的にしたいのなら、すべては気づきのために起こっていると受け止めるのが賢明です。
そう受け取るか受け取らないかで、人生というのは大きく異なるのでしょうし、それに相応しい導きや気づきも引き寄せることができるものです。
森羅万象すべてありとあらゆるものの中に神はおあします。なので、たとえ神格化された虚像の神の中にももちろん神はおあすのです。
要するに、八百万の神を信じるとか、森羅万象から神を見出すということとは、どんな変質した中からにも見出すことができるかが試されている…そういうことなのだと理解しています。
だから例えば教祖様がホモだとか(笑)何だとか性的趣向などがどうだとか、どうでもいいようなことが世間に広がり人格攻撃があっても、スピリットたちにとっては、それも含めて学びのプロセスに変わりはないのです。
観せていただいて、ただ感謝するだけのことなのではないでしょうか。
以上あまね流、現象界を楽しむ方法でした(笑)
現象界って本当にトリッキーで、面白い所ですね~^ ^
すべての存在にはそれぞれの役割がある。
あまねく人に愛と光を
あるがままで