ありのまま日記

思考の虜

一人一人が持つ思考や価値観は、生を生きるプロセスにおいて習得されます。生まれる前にある程度それは設定しているが故に、引き寄せの法則などによって親や環境を選んで生まれてきます。

どうしても不幸になってしまうとか、破壊的な人生を選択してしまうのは、自分の思考パターンを客観的に知ることで、修正が可能です。しかし人間は誰しも自分は正しいと思って生きていますので、なかなか修正に至ることは困難なようです。。辛い苦しい状況を経て学び気づき、ようやく修正する心の準備が整います。
 
【自分の理不尽さに気づく?】
 
AさんとBさんは夫婦関係にあります。AさんはBさんに部屋に溢れている本を片付けて欲しいと長い間お願いしていました。しかし、Bさんは忙しいということと、他に片付け置く場所がないという理由でAさんの要求を聞き入れようとしませんでした。ちなみに押入れの下の段は何年も使っていない機材やガラクタでギッシリ。片付けようという誠意が全く見られなかったといいます。
 
ある日Aさんは、我慢できずについに片付けを始めたそうです。何年も放置し手をつけられていないものは有価物へ。
 
片付けた後、Bさんが帰ってきて大切なもなのが無くなっていると激怒しました。そして家を売って代わりに倉庫を借りると激昂したのです。家族が住む家よりも、書類や本を優先するというのです。
 
そんなに大切なものならば、もっと早く誠意のある対応をしていればいいことですね。
 
Bさんは、物が捨てられず『いつか使える』という『いつか』のために今や家族を疎かにすることは平気なようです。
 
要するに、それは心が貧しいということですね。
 
必要なものは必要な時に手に入ると設定をしていれば、たとえ今それを手放したとしても、必要な時にまた手に入るものです。物質化が必要な時にできるのは豊かさの証です。
 
そもそも素直に自分から進んで片付けていれば、重要なものを手放すことなどなかったのです。貧しい心は貧しい現実を創造します。自分の思考パターンを真摯に見つめること、そして何が自分をそうするかを検証してはじめて変容が起こります。
 
Bさんは片付けたAさんをとても厳しく責めました。しかしAさんはどんなに責められても、誠意なく放置しておくBさんにも責任があるといいます。
 
近年制定された空き家条例では、行政は放置されている空き家を処分することができます。
 
Bさんは、この空き家の持ち主と同じです。再三片付けてもらえるようお願いされていたのにも関わらず取り合わないのですから、処分されても仕方ないのです。
 
しかしBさんは、未だにそのことが理解できないようです。 
 
長い年月幾多の輪廻で習得した自分の破壊的思考パターンに向き合うことは、かなり高度な内観だということです。
 
また面白いのは、例えば棚を処分したいと再三申し出ても、返事が来ない場合、それは処分しても良いと言っているようです。誠意のなさは自分も棚の持ち主と同じだということに全く気付いていないようです。
 
まさに思考の虜ですね。
 
他を自分に、自分を他に置き換えることができないのは分離感によるものです。反面教師として他を自分の鏡にする習慣がないのです。
 
何でも人のせいにする癖のある場合に多い事例ですね。人のせいにすれば、すべてそこで簡単に解決します。しかし、問題の本質はそこにはありません。何かが起こるということの根本には、必ず自分がいることを忘れてはならないのです。
 
スピリチュアルに生きるというのは、ただ瞑想するだけならば初級中の初級です。
 
自分を観て自分を知って自分を愛して。自分をとことん愛するためには、他や家族・社会・世界にどのように対応していけばいいのか…そうやって自分の霊性を世界に反映させていくことで魂は更に進化していきます。
 
歪んだ思考・破壊的な感情、そういうネガティヴエネルギーの虜になっていることに気づくことは、一人一人が宇宙に影響を与えていることの現実を考慮すると、気づきは壮大なる宇宙への貢献なのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
あるがままで
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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