こんにちは。
少しでも「世間」のことを知った方がいい、と言われて、そうなのかなあと首を突っ込んでみたら、世の中の動きが早すぎて、激流に首がもげそうだったので、岸辺でゴホゴホ咳き込みながら死にかけています。
自分はやっぱり、そういうのは向いていないんじゃないかなあ。
閑話休題。
タイトルどおりの話です。
先週あたりからずっと、断続的にこの話を人にしたり、ブルスカで長文を書き殴ったりしていて、すっかり頭がおかしくなりそうなので、ここにまとめて、あっちを消して、もう口を噤みたい。
最初に書いておきます。
ここから下には、米津玄師さんの新曲『さよーならまたいつか!』の歌詞について触れますが、考察では全くないので、というか情緒がぐちゃぐちゃすぎて日本語にすらなっていないかもしれないので、歌詞考察でご覧になろうと思った方は、MVだけ視聴して、今すぐ引き返してください。
米津玄師 - さよーならまたいつか! Kenshi Yonezu - Sayonara, Mata Itsuka !
少しでも「世間」のことを知った方がいい、と言われて、そうなのかなあと首を突っ込んでみたら、世の中の動きが早すぎて、激流に首がもげそうだったので、岸辺でゴホゴホ咳き込みながら死にかけています。
自分はやっぱり、そういうのは向いていないんじゃないかなあ。
閑話休題。
タイトルどおりの話です。
先週あたりからずっと、断続的にこの話を人にしたり、ブルスカで長文を書き殴ったりしていて、すっかり頭がおかしくなりそうなので、ここにまとめて、あっちを消して、もう口を噤みたい。
最初に書いておきます。
ここから下には、米津玄師さんの新曲『さよーならまたいつか!』の歌詞について触れますが、考察では全くないので、というか情緒がぐちゃぐちゃすぎて日本語にすらなっていないかもしれないので、歌詞考察でご覧になろうと思った方は、MVだけ視聴して、今すぐ引き返してください。
米津玄師 - さよーならまたいつか! Kenshi Yonezu - Sayonara, Mata Itsuka !
それと、まともな文章を読みたい方も、引き返してください。
推敲はしてから上げるつもりですが、wowakaさんのことと、エイトラのことは、自分の中では今でも冷静に割り切ることができないので、文章がおかしくなる可能性が大です。
ただ、自分の気持ちの整理のために、ここに書き捨てていくだけです。
ぜったい、ぜっっっったい妄想なんです。
米津さんの新曲が発表されたと聞いて、この時期に、このタイトルで、新曲って…と思い、朝ドラの主題歌とは聞いたよ、聞いた
だけどさ、だけど、ってなって、歌もMVも、肝心なものは何も見ないで、歌詞だけ読んで、やっぱり、って思っちゃうのは…………妄想だよね、もう、そうだよね
でもさ、そうだって思いたいんだ
いやー分からないですよ。当たり前のように分からない。
米津さんが込めた想いも、聴いた人それぞれの解釈もあると思う
何より、朝ドラのことを考えて生み出された曲だろうから。
でもやっぱりそういう妄想を引き摺っている自分には、あの日に、5年前の4月5日に、星も太陽も失くした自分には、どんな意味でも、どんなに繕っても、あんなに軽やかに、可愛く、さよーならまたいつか!なんて言える日が来るとは、今は到底思えない
自分は、2008年からニコニコ動画を視聴し始めて、(年代が推測できるから書きたくないけれども)当時は高校生で、受験勉強なんて放り出して(塾の高い料金を支払ってくれていたのだから、本当に最低な親不孝者だと思う)、コメントとか一切したことはないけれど、見ているだけで、聴いているだけで楽しくて、2014年くらいまで、ボカロや歌ってみた、踊ってみた、ゲーム実況にハマっていた。
離れた時期もあったけれど、好きなPがニコ動に新曲を出したとなれば舞い戻ったりしていた。それは今でも。
wowakaさんの曲に、10年近く救われ続けてきた。人生の約3分の1。失くしたものが大きすぎた
まだあの日から、前に踏み出せていない
でも、それはそれとして、この曲もとっても素敵な曲でした、涙が溢れました
歌詞の個別の言葉で、どこがそう思ったのか書いていきますが
でもやっぱりそういう妄想を引き摺っている自分には、あの日に、5年前の4月5日に、星も太陽も失くした自分には、どんな意味でも、どんなに繕っても、あんなに軽やかに、可愛く、さよーならまたいつか!なんて言える日が来るとは、今は到底思えない
自分は、2008年からニコニコ動画を視聴し始めて、(年代が推測できるから書きたくないけれども)当時は高校生で、受験勉強なんて放り出して(塾の高い料金を支払ってくれていたのだから、本当に最低な親不孝者だと思う)、コメントとか一切したことはないけれど、見ているだけで、聴いているだけで楽しくて、2014年くらいまで、ボカロや歌ってみた、踊ってみた、ゲーム実況にハマっていた。
離れた時期もあったけれど、好きなPがニコ動に新曲を出したとなれば舞い戻ったりしていた。それは今でも。
wowakaさんの曲に、10年近く救われ続けてきた。人生の約3分の1。失くしたものが大きすぎた
まだあの日から、前に踏み出せていない
でも、それはそれとして、この曲もとっても素敵な曲でした、涙が溢れました
歌詞の個別の言葉で、どこがそう思ったのか書いていきますが
- 「燕が飛んでいた」は『飛燕』を指しているのかな、と思った
ナウシカのように、よりよい未来、美しいと思う未来に向けて邁進していく、自分もこういうふうに生きたいとずっと思ってきた、と過去のインタビューで仰っていました。
- 米津玄師「BOOTLEG」インタビュー|オリジナルってなんだ? “海賊盤”に詰め込んだ美と本質 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
- 米津玄師が語る、音楽における“型”と”自由”の関係「自分は偽物、それが一番美しいと思ってる」
それを思うと、その燕が気のない顔で飛んでいくのを見上げている、ということは、まだそうなりきれていない自分がいたりするのかな、なんて
「人が宣う地獄の先にこそ」も「這い回る修羅の道」に通ずるものを感じた
あと、それとは関係ないですが、ナタリーさんの方のインタビューでの「奇跡的な瞬間」で思い出したのが、wowakaさんが居なくなった数日後に書かれた『野暮』でした。
ああいうときにも、米津さんは、「奇跡的な瞬間」を感じていたりしたのかな。どうだったんだろう。
「人が宣う地獄の先にこそ」も「這い回る修羅の道」に通ずるものを感じた
あと、それとは関係ないですが、ナタリーさんの方のインタビューでの「奇跡的な瞬間」で思い出したのが、wowakaさんが居なくなった数日後に書かれた『野暮』でした。
ああいうときにも、米津さんは、「奇跡的な瞬間」を感じていたりしたのかな。どうだったんだろう。
- 「土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった」
あの日の東京は土砂降りでした
- 「しぐるるやしぐるる町へ歩み入る」
種田山頭火の有名な句を引用なさっているのかな。
だとしたら、あの句の解釈もそうなんだよ、大切な人を亡くし、晴れの日がない、時雨の降る中、薄暗い山へ、それでも進んで行くしかない。こちらは、山ではなく町だけれど。
だとしたら、あの句の解釈もそうなんだよ、大切な人を亡くし、晴れの日がない、時雨の降る中、薄暗い山へ、それでも進んで行くしかない。こちらは、山ではなく町だけれど。
- 「どこから春が巡り来るのか」「さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないで」「100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!」「100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!」は、もうそのまま
100年先の話は、上記のインタビュー記事でも仰っている「砂漠」のことみたいだなと思いました
- MVは、繰り返し、似たような日々を、でも異なる日々を送っていることを表現しているのかな、と思った。そうやって、時間が過ぎていく、というか、時を過ごしてきたというか。一人で活動を始めたけれど、いろんな人や物事と関わって、変わってきたよ、変化してきたよ、だから今なら言えるよ、ってことなのかなと
ごちゃごちゃ書いたけれど、春で、100年先で、さよーならまたいつか!って、まるで友達に言うみたいでさ、やっぱりそう思いたくなるんだ、歌詞だけでぼろぼろ泣いたよ
妄想なのにさ
その数日後、wowakaさんの歌詞集に、米津さんの帯コメントと、寄稿文があるということを知って、それだけで大泣きしてしまった
それで、帯コメントを読んで、また号泣
寄稿文を執筆してくださるほかの4人の方も、馴染みの方々ばかりで、発売されて拝読したら、寄稿文だけでたぶんぐしゃぐしゃに泣いてしまうと思う
2018年の6月15日にも思ったし、2019年の4月5日にも思った
神様は不公平だって、本当に真剣に痛感した
EIGHT OF TRIANGLE(エイトオブトライアングル、エイトラ)の君島零(Ray)さんも、wowakaさんも、才能がめちゃくちゃあって、これからどんどん活躍していって、もっといろんな景色を見せてくれて、もっと、あのときよりもっと沢山の人たちを惹きつけて離さないだろうって確信できる、そんな輝きを、眩さを持っている人たちで、そういう人たちばっかり、ある日突然、奪っていく
理不尽で、不公平で、沢山のファンを悲しみのどん底に叩き落とす
本当に命の価値が平等だっていうなら、たとえば僕の命で代わりになるなら、喜んで差し出すのに
今でも返してほしいと思ってるし、2人が居ないことを飲み込めていないし、まだあのときから進めてない
「EIGHT OF TRIANGLE SUMMER EVENT 2018 at avex」で零さんに宛てて書いた言葉3つとも、新曲『さんかくなラジオ』の歌詞に採用されていたの、すごく悲しくて、同じくらい嬉しかった
クレジットに自分の名前も載せてくださって、ありがとうございました
自分は今でも、遠藤和斗さんと、荒賀新音さんが、どこかで音楽に関わっていてくれたらと願わずにはいられないし、そう願わない瞬間は無いです
エイトラのCDや、3人が書いてくださったサイン入りのグッズは、あのとき確かに3人が居たことの証だから、これからもずっとずっと、宝物です
自分は今でも、遠藤和斗さんと、荒賀新音さんが、どこかで音楽に関わっていてくれたらと願わずにはいられないし、そう願わない瞬間は無いです
エイトラのCDや、3人が書いてくださったサイン入りのグッズは、あのとき確かに3人が居たことの証だから、これからもずっとずっと、宝物です
(どうしても対人恐怖が勝るので、実際にお話ししたりなどのリアルなイベントには参加できなかったけれど、ライブは、シビックホールも含めて全部行きました。とてもキラキラした時間をありがとうございました!)
『Inaikara』をどういう気持ちで、どういう意味でwowakaさんが書いたのか分からない
あのとき、こうなることを予見していたとも思えない
でも、「僕」が彼自身のことなら、これからもwowakaさんの、ヒトリエの、「てらすおと」を聴こうと思うし、自分からは、wowakaさんにこそ、「此処には君ではない 誰かなどはいらない」って叫びたいよ
『Inaikara』をどういう気持ちで、どういう意味でwowakaさんが書いたのか分からない
あのとき、こうなることを予見していたとも思えない
でも、「僕」が彼自身のことなら、これからもwowakaさんの、ヒトリエの、「てらすおと」を聴こうと思うし、自分からは、wowakaさんにこそ、「此処には君ではない 誰かなどはいらない」って叫びたいよ
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