あお くろ ぎんいろ。

ぽつっと、ひとりごと。
たまに、しゅみをつめこんでみる。

2024.6.30_twitterで毒を浴びすぎたのでほぼ引き揚げますという話(主に転売ヤーに対する非難やファンのマウンティングに疲れた)

2024-06-30 13:01:50 | 日常





はい、前の記事に引き続き、ノイズをアウトプットしてしまいます。
こちらは明確な毒。
浴びた毒の量が多すぎて消化しきれないので、何かに変換できず、毒のまま吐き出している気がします。

そのため、読んで気分を害するおそれがありますので、避けたい方は直ちにブラウザバックをお願いいたします。




















































表題のとおりですが、2011年から始めたtwitterを、ほぼ引き揚げています、という話です。
今まで、たくさんの尊敬する先生方がtwitterをお止めになりました。
気持ちが理解できなくはなかったので、寂しいと思いながらも、仕方ないと捉えていた。
同時に、多くの企業の情報発信がtwitterからなので、自分も抜けたいけど抜けられないな…と思っていた。
ただ、Xになって、「おすすめ」がデフォルトになってから、毒がこれまでよりはっきりと目に見える形になってしまった。
知っている人だけではなく、知らない人の毒が毎日、大量に流れ込んでくる。真偽も分からない毒が大量に。
みるみるうちに心身ともに調子を崩しました。
このままでは死んでしまう。
6月に、また新しいアカウントを作ったばかりでしたが、ほぼ引き揚げます。



知らない人からの毒はともかく、自分が少なからず関わっている分野、いわゆる「ヲタク」の毒については、大まかに「転売ヤーへの非難」と「ファンのマウンティング」に分けられます。



1.転売ヤーへの非難

転売ヤーというと、定価以上の金額で品物を販売する行為や、そういう行為をする人、その全てを、作家さんや「ファン」は皆で否定しにかかっているように見受けられる。

ただ、自分は、転売ヤーと一言で言っても、中にはグラデーションがあると思うのです。
例えば、希少な品物を購入する場合、個人的には以下の3つくらいに分けられるのかなと。
(1)その品物には興味がなく、最初から転売を通じた利益を得ることを目的に(ときに大量に)購入する
(2)ファンだが、本来欲しい量よりも多めに購入して、転売して利益を得る
(3)ファンで、欲しい量だけ購入したが、時間が経過して好きでなくなる、整理するなどの理由で手放す際に転売する

(1)を非難する理由は、ファンからしたら、その転売ヤーより後ろに並んでいたファンが売り切れで買えなくなるかもしれないから、ということかな。
(2)や(3)はどうなんだろう。

先日、blueskyに真夜中吐き出していたことの一部再掲になるけども、以下が個人の見解です。

きっかけは、ある作家さんが、イベントで販売したグッズがフリマで転売されているのを見掛けたらしく、「◯◯円で転売されてるwww」と呟いていらっしゃるのを拝見した際に、明確な違和感を覚えたことです。

結論から述べると、イベント現地でしか販売していないとか、以前販売していたグッズで、現在もう販売していないとかだと、現時点でそれらを求めている人からしたら、定価以上だとしても買う人もいるだろうし、そこで需給が成立している以上、放っておいていいのでは、と思う
どうしても防止したいのであれば、半永久的に受注生産し続けるしかないのでは
インターネットの世界だと、「不当」な利益を得ることに対して徹底的に叩く傾向があるけれども、それって、叩く人たちが貧しい生活をしているとか、だから心が狭くなって許せないとかなのかな、他人事なのだから放っておけばいいのに、積極的に怒りを発信する理由が理解できない
正直に書けば、自身も購入者側になったことがあるし(ゲームセンターに入れない病気なのでプライズ限定商品は転売ヤー頼り)、売り手側になったこともあるから(上記(3)のパターン)、公平性を欠くというか、偏った考えなのかもしれないし、誤った考えなのかもしれないけども、うーーーーーん、よりにもよって作り手本人がそういう嘲笑のような呟きをわざわざしたり、呟くのに対処(追加販売をするなど)はしないのを見ていると、何故そんなことを仰るんだろうと思う
少なくとも、作品の宣伝をするアカウントと同じアカウントで何故呟いた……? 日常アカウントとかにしておけばよかったのでは? とも思ってしまう

という話でした。
受注生産にしたって、その期間にファンでいて、金銭的に余裕があれば恩恵を受けるけれど、それを過ぎてから新たにファンになった人からしたら、入手できないわけだしな…





2.ファンのマウンティング

SNSが普及した悪影響なのかなぁ、と感じています。
この記事に限らずブログ全体に言えますが、あくまで個人の意見です。

社会人になって、東京で働いていて吃驚したのは、痛バ、という文化の流行でした。
重そう…球児でもないのに肩を壊している自分では、とても無理だな…というのが第一印象。
その後、あれよあれよと、あらゆるものを「見せびらかす」(敢えてこの表現を使います)流れになったように感じます。
痛バ、痛ネイル、痛車などの「痛〜」、祭壇、多種多様な特典を揃えること、ほかにも色々。同担拒否、とかも、そうかもしれん、分からん。
そういう場所に行かずとも、SNSをしているだけで、嫌でも目に入ってくるそれら。自分には、「マウント」としか映りませんでした。
そういう方がグッズも売れるので、企業も誰も、その流れを止めようとしない。
作り手側、供給側も、そういう人やそういう写真の方が目を惹くからか、様々な形で反応する。
いわゆる「強火」なファン、というか。
*ここで、供給側、という表現をしているのは、作家さんや声優さん、俳優さん、作り手さんや企業だったり、様々な意味を含むためです。

以前の記事でも書いたのですが、雨影自身は、誰かと一緒に居ること、誰かと競うことが、とにかく苦手です。
一人きりで、好きなことを、好きだと噛み締めていたい。競うくらいなら、相手に先に行ってもらいたい。自分は自分のペースでやりたい。

だけど、否が応でも、強火なファンを供給側が特別扱いしているのを目の当たりにし続けていると、何というか、「◯◯を好きな人」(ファン)という同じ空間に居させられているんだな、とか、そっか、「好き」は自分の気持ちだけど、「好き」にも相手から優劣をつけられてしまうんだな、と思う。
そういうことに、すっかり疲れ果ててしまった。
「好き」でいることに変わりはないはずなのに、それは相手から採点されるような感情なんだな、と分かってしまうと、何だか泣きたくなる。

だから、SNSという、人と一緒に居ること、そのものをやめないとまずいなと思った。
このままだと、取り返しがつかなくなる。
それを感じたとき、「壁打ちアカウント」を新たに作りました。
絶対にほかの人を見ない。自分が書きたいことだけ書く。
でもtwitterは、それを許してくれない。デフォルトで「おすすめ」が開いてしまうんですよね…
なので、原則、blueskyかmisskeyに引き揚げます。おそらくbluesky。misskeyは目がチカチカする…
twitterは基本、壁打ちか記録だけしに来ます。
13年少しかーー長かったなあ。






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