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2024.6.30_AI学習の進化と創作におけるオリジナリティに関する雑感(エロについても考える)

2024-06-30 10:43:38 | 日常



ご無沙汰しております。こんにちは。

創作BLの単発を書こう、書こうとして、「こういうものが書きたい」というのは頭の中に明確なイメージとしてあるのですが、如何せん、思考のノイズが多い。
とても煩わしい…
それを吐き出してしまった方が楽かなと思いましたので、ここから先はそういう記事をいくつか書きます。

そのため、読んで楽しい記事ではありません。
楽しい時間をお過ごしになりたい方は、直ちにブラウザバックしてください。





















































表題のとおりですが、AI学習の進化により、ほかの作家さんたちの作品をAIに学習させ、自分のオリジナル作品であるように発表することも起きているようです。
作家さんの中には、創作のオリジナリティを引き合いに出して、他人の所有物や財産を奪う行為だし、そのような技術を使う人間もだめだ、という方もいらっしゃいます。


雨影としては、盗作は勿論違法としても、AI学習の進化(深化)そのものは否定することではないし、そもそもここまで創作物が飽和している、飽食の時代に、創作におけるオリジナリティとは何なのかという疑念がある、という立場から記事を書きます。


前提として、以下、雨影自身は文字書きなので「書く」と表記しますが、イラストなど「描く」ことも含まれます。


上記のような作家さんのご意見を拝見した際に最初に感じたのは、「では、創作のオリジナリティとは何なのか?」という疑問でした。

いわゆる「一次創作」においても、ここまで創作物が溢れ返った世界では、基本的にどの作品も、様々な既存の要素の組み合わせだと思うのです。
例えば、雨影は、ホラーやミステリ、恋愛ジャンルの本をよく読みますが、ホラーにおいては「『呪詛』系」、ミステリにおいては「クローズドサークルもの」「見立て殺人」「安楽椅子探偵」、恋愛においては「年上、年下、同い年」「学生、オフィス」など、大まかな要素や型のようなものがあって、どの要素をどのように組み合わせていくか、だけの話なのかなと思います。
それらの組み合わせ方や物語の展開、仕込みに作家さんたち個人の癖や味があると思いますが、敢えて言い切ってしまえば、「その程度」ではないかと。

また、自分の手で何か創作する際に、これまでに触れた他人の創作物(本に限らず、音楽や絵画、陶芸などの芸術も含む)に影響されることは普通に起きることだと考えます。
生まれてこの方、一度もそういう創作物に触れたことがない、という人を除きますが。
そういう創作物に対してどう感じるか、例えば、物語であれば、「こんな結末は嫌だ。自分ならもっと違う作品を書く」「素晴らしい作品に出会った。自分でも、違う設定で、こういう作品を書いてみたい」ということもあり得るのかなと。

あとは、敢えて「ネタ」という表現をしますが、ネタ自体を初めて書く人となること、ネタの開拓者であり続けることに拘ると、身動きできなくなるのではないかな。
それよりも、創作においては、ネタ自体は何度となく使われていても、作家さん、その人自身が書きたいと思ったことを、ほかならぬ自分の手で書くことにこそ意味があるのではないかと思います。
オリジナリティに拘り抜くなら、例えば、甲田学人先生の作品のような、特化した知識の質と量で圧倒するとかいうことを、武器にするしかないのではと、卑小な頭ではそれくらいしか想像できません。


別の角度からの話になりますが、AIが学習して書いた小説は、どうにも無機質さを感じるというか、違和感を覚えてしまいます。ディストピア飯のような。
AIと人が書いた作品を、書き手が分からないように混ぜてあっても、読めば見分けがつきます。あれは何なんだろう。
そのとき思ったのは、創作する側の人間は、読者、観客側の人間の感性をある程度信じてもいいのではないかなということでした。
作家さん一人一人の癖というか味があるということ、そして、それを感じる、味わっているという自分の感覚を信じること。
何だか曖昧な、「そこをグッといって、シュッとしたらいける」みたいな、感覚的な文章で申し訳ないです。




ついでに、これまで色んな記事でぐるぐると取り留めもなく綴ってきた、男性向けのエロと女性向けのエロの違いとは何なのだろうかということについて、ひとまず自分の中で決着を見たので、書いておきます。

男性向けのエロは、喩えるなら、多種多様な風俗店のようなもので、各々、好きな人を指名して、それを相手に自らの快楽を得ることが最大で至高の目的なので、目の前の人に夢中になって、自分以外の客に興味関心が向かないのは当たり前のことなのかなと。

対して、女性向けエロは、喩えるなら、レストランのようなもので、食事を摂取することで快楽を得ること自体も目的だけども、ほかの客と味を共有することもあれば、食事のマナーや食事を構成する材料、衛生面、店員の接客態度、レストランの雰囲気やドレスコードなどにも当然に注意が向く。
そのため、快楽(食事)に至るまでの各種のときめき要素、ラブ要素も、快楽と同等の価値を有していて、だからこそ、ルール、更には規制?や文化?が発生しやすい。

だから、両者は、根本的に異なる文化圏にあるのかなと思いました。どうかなあ。いつか、違う結論を出すかもしれないけども。


蛇足ですが、某作家様が「私の作品はBLですが開始3ページでエロが始まります」と書かれていたのですが、いや、それに至るまでに、前のシリーズがあって、そこで両想いになったからこそ、その続きの展開としてエロをし放題になっただけでは、と思いました。完全に蛇足です…あとで切ろうかな…



ほかは毒というほどではないけども、単なるノイズになってる話と、完全な毒を2つほど吐き出します。死にそうなので。





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