12月19日(月)
昨日早朝、金剛山の文殊尾根を登っていると、妻が「あ、かぎろいが見えるよ。」しばし立ち止まる。東側に台高山脈の黒いシルエット。その上に日の出前の、最初の陽光で鮮やかに染まった空が見える。紅の山際である。冬の早朝、何度か見られる「かぎろい」である。人麻呂の歌を意識して「金剛山のかぎろひ」と勝手に呼んでいるのである。
ひむがしの野のかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 柿本人麻呂
この歌は、柿本人麻呂が692年(持統天皇6年)11月17日、軽皇子に従って阿騎野(奈良県宇陀市)を訪れた際に詠んだ歌である。かぎろひ(炎)とは、厳冬のよく晴れた日の、日の出前に東の空を彩る陽光のことである。のちに即位して文武天皇となる軽皇子の将来を「かぎろひ」に託していると一般に言われているが、斎藤茂吉は「万葉秀歌」の中で「軽皇子が阿騎野に宿られて、御父草壁皇子を追憶せられた」「古へ(いにしえ)おもふという感情が奥に隠れている」と言っている。希望というより追憶であるということだろうか。
毎年旧暦の11月17日に宇陀市万葉の丘公園で「かぎろひを観る会」が行われている。まだ宇陀市が大宇陀町であったころ、家族で夜明け前に訪れたことがあった。残念ながら天気に恵まれずかぎろひは見ることができなかった。しかし、大勢の人が訪れ、かがり火がたかれ、ミニコンサートや講話が行われていた。朝市のようなものもあった。「ここは大和朝廷の狩場やったんやで。」と言いながら、その辺をあちこち歩いて、少しだけ万葉の世界に入り込んだような気になった。子どもはうどんを食べて喜んでいた。
今年の「かぎろひを観る会」は12月15日(金)だった。この日、阿騎野でかぎろひは見ることができたのだろうか。16日(金)は寒気団が南下し、金剛山に初冠雪というニュース。17日(土)早朝登ると数センチの雪が残っていた。そして、昨日18日(日)よく冷えた朝、6時前(日の出の1時間ほど前)に金剛山から「かぎろひ」を見たのである。金剛山からの日の出前の光景は、阿騎野からのかぎろひと方向もほぼ同じである。私たちが見たのは「金剛山のかぎろひ」と呼んでもいいのではないかと思う。きっとこの朝、阿騎野では本物のかぎろひを堪能した人がいることだろう。
昨日早朝、金剛山の文殊尾根を登っていると、妻が「あ、かぎろいが見えるよ。」しばし立ち止まる。東側に台高山脈の黒いシルエット。その上に日の出前の、最初の陽光で鮮やかに染まった空が見える。紅の山際である。冬の早朝、何度か見られる「かぎろい」である。人麻呂の歌を意識して「金剛山のかぎろひ」と勝手に呼んでいるのである。
ひむがしの野のかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 柿本人麻呂
この歌は、柿本人麻呂が692年(持統天皇6年)11月17日、軽皇子に従って阿騎野(奈良県宇陀市)を訪れた際に詠んだ歌である。かぎろひ(炎)とは、厳冬のよく晴れた日の、日の出前に東の空を彩る陽光のことである。のちに即位して文武天皇となる軽皇子の将来を「かぎろひ」に託していると一般に言われているが、斎藤茂吉は「万葉秀歌」の中で「軽皇子が阿騎野に宿られて、御父草壁皇子を追憶せられた」「古へ(いにしえ)おもふという感情が奥に隠れている」と言っている。希望というより追憶であるということだろうか。
毎年旧暦の11月17日に宇陀市万葉の丘公園で「かぎろひを観る会」が行われている。まだ宇陀市が大宇陀町であったころ、家族で夜明け前に訪れたことがあった。残念ながら天気に恵まれずかぎろひは見ることができなかった。しかし、大勢の人が訪れ、かがり火がたかれ、ミニコンサートや講話が行われていた。朝市のようなものもあった。「ここは大和朝廷の狩場やったんやで。」と言いながら、その辺をあちこち歩いて、少しだけ万葉の世界に入り込んだような気になった。子どもはうどんを食べて喜んでいた。
今年の「かぎろひを観る会」は12月15日(金)だった。この日、阿騎野でかぎろひは見ることができたのだろうか。16日(金)は寒気団が南下し、金剛山に初冠雪というニュース。17日(土)早朝登ると数センチの雪が残っていた。そして、昨日18日(日)よく冷えた朝、6時前(日の出の1時間ほど前)に金剛山から「かぎろひ」を見たのである。金剛山からの日の出前の光景は、阿騎野からのかぎろひと方向もほぼ同じである。私たちが見たのは「金剛山のかぎろひ」と呼んでもいいのではないかと思う。きっとこの朝、阿騎野では本物のかぎろひを堪能した人がいることだろう。