すべての山に登れ

日々のできごとと山の思い出

春風駘蕩の金剛山その2

2017-05-04 17:55:45 | 山登り
5月3日(水)

〈今日はさくらまつり〉
 5:02、登山開始。少しひんやりとしている。今日も文殊尾根ルートを上ることにする。今日はさくらまつり。妻は1500回の表彰があるのだが、パスして私とともに早朝登山。

〈さくらまつりの思い出〉 
 子どもが小さい頃は、受付で並んでお弁当をもらってうれしそうに食べていたのを思い出す。その日は駐車場がいっぱいになるので、早めに家を出て、と言っても今のように早朝ではないが、少し遠回りをして登っていた。念仏坂から伏見峠経由で、ちはや園地の「ちはや星と自然のミュージアム」に立ち寄って、樹木や動植物の展示を見学したことが何回もあった。ツツドリのことを教えてもらったのはここだった。また、念仏坂から香楠荘尾根に入り、シラネアオイやカタクリなどの草花を観察したりしながら登ったこともあった。子どもは資料館や博物館など〇〇館と名前がつくものは何でも好きで、いつも熱心に見ていた。そして、「そろそろお弁当の時間やな。行こうか。」と言うと、「うん。行こう。」と気持ちを弾ませていたものだ。ファミリーで行動することと「お弁当」に大きな楽しみを感じていた子どもたち。今はファミリー登山の姿を見ると、そのころと重なり笑みがこぼれてしまう。

〈「花びらに教えられる」〉
 文殊尾根ルートに入る。今日もミソサザイが鳴いている。第2ベンチ近くに来ると、今度はツツドリの鳴き声が聞こえる。ゲラ君(キツツキ)の音も聞こえてくる。第2ベンチで文殊尾根の主稜線に合流。しばらく歩くと、登山道の真ん中にスミレが一塊あるのを見つける。紫色の小さな花を咲かせている。切り株の根元で踏まれずにたくましく生きている。妻が「あ、桜の花びら。」と言う。登山道に花びらが散っている。見上げて探すと、山桜がある。コナラ、クヌギなどの高木に混じって生きる山桜は10メートルかそれ以上の高さがある。見上げて初めてそこにあるとわかる。「花びらに教えられるね。」と妻が詩的なことを言う。「ええこと言うなあ。」と感心すると、ウフフウフフと喜ぶ。

〈春を彩る花〉
 文殊岩で参拝。遊歩道に出る。道路脇にハート形の3枚の葉に白い傘状の花。ミヤマカタバミがある。6時過ぎに頂上着。気温は8度。アマチュアカメラマンのFさんに会う。聞くと「カトラ谷のほうへ、ニリンソウを見にいってきました。」Fさんは群生の様子を説明してくれる。今度行ってみよう。
 文殊尾根を下る。文殊尾根に入るポイントから五条市側を見下ろすと、ブナの大木の間に白い少し縮れた花をつけたモクレン科のタムシバが見える。登山道のところどころに桜の花びらが散っている。妻と山桜を探す。登山道に花びらを散らす桜以上に、遠くにも多くの山桜があるのがわかる。山桜は若葉と同時に花が開く。5分咲きぐらいに見えるが、そうではなく半分ほど花が残っている状態なのかもしれない。
 Fさんが下りてきて遅い私たちと一緒になる。撮影の話をいろいろ聞く。Fさんは半月板損傷をほぼ克服、私は左股関節痛リハビリ中。互いにその話をする。また、途中で、「ちょっと寄り道しましょう。」とヒトリシズカの群生地を教えてもらう。斜面一面にひかえめな白い花が咲いている。静御前の白拍子姿に由来する名前という。

〈春を味わう〉
 千早赤阪村農産物販売所に立ち寄り、妻はタケノコ、タラノメ、ウドを買う。今日は春の旬の味を楽しむことができそうだ。




春風駘蕩の金剛山

2017-04-25 19:15:57 | 山登り
4月25日(火)
 
〈なんぼでも歩くことができると豪語していた男の「事の顛末」〉
 「山ではなんぼでも歩くことができる」というのが、私の唯一の自信のあるところであった。しかし、鬼井氏と平地の竹内街道を歩いて以来、臀部に違和感が生じ、それが左股関節の痛みとなり、長時間歩くのがしんどくなった。今では、歩き始めるとすぐに痛みが発生するという状態になってしまった。固くなった梨状筋が神経を圧迫している可能性が考えられるということで、PT(理学療法士)の指導でストレッチを行っているところである。
 痛みを我慢しながら歩いていたので、ブログも闘病記のようになりそうで遠のいていた。早く治そうと思っていたところ、14日に鬼井氏から竹内街道の続編のお誘いの電話があり、「実は」と延期してもらった次第である。そこで、この際、この間の行動を復元することにする。


3/24(金)
〈竹内街道を歩く〉
 鬼井氏と竹内街道の西の起点である堺市大小路で待ち合わせて、羽曳野市古市を目標に歩く。出発してほどなく開口神社に立ち寄る。神功皇后にゆかりのある所である。地図と道標を頼りにしながら、金岡神社へ。この神社は、日本画の始祖、巨勢金岡を祀っているところだと知る。複数のクスノキの大木があった。松原市内に入り、昼食。
 羽曳野市に入る。かつて太子信仰で賑わった野中寺で休憩。ここの鐘楼は大晦日に撞かせてくれる。ここでベンチに座り鬼井氏としばし健康談義。仁賢天皇陵に立ち寄り、日本武尊白鳥陵を横に見て歩く。墳墓は鬱蒼とした木々に隠れ、濠は豊かに水をたたえている。日本武尊の子どもが仲哀天皇。(仲哀陵は隣の藤井寺市にある)仲哀天皇の皇后が先述の神功皇后である。ほどなく古市に到着。時間がまだ早いので、駒ヶ谷まで歩くことになる。「次回はここから、最終の長尾神社へ。」と鬼井氏。東海道を間もなく踏破予定の鬼井氏は私以上に健脚であった。 

3/26(日)
〈春風の金剛山〉 
 起床時、「今日は暖かいな。」と言いながら準備。私たちの登山の格好は、半袖Tシャツのうえに長袖ジップシャツ。その上にジャケット。これが秋から春までのスタンダードの服装である。真冬だと厚めのジャケットになるけれども。この日は念仏坂を水場まで歩いたところで、汗ばんでジャケットを脱ぎ、ほどなく半袖になった。マスクで花粉症対策をしている私たちには、わずかに流れる春風が心地よい。
 頂上付近で、下山してくるMさんが大げさに体を揺すり、手を振ってくれる。「もう寒いのも終わりやな。」「そうですね。」と応じる。次いでSさんが2人の女性と下りてくる。このところ3人連れである。「3人お揃いですね。3人娘。」「いやあ、3人娘やて。」とみんな元気に笑う。
 下山は半袖では寒く、長袖を着る。

4/1(土)
〈目黒川花見ウォーク〉
 東京在住の大学時代の友人たちが主催する「観桜会」に参加。豊能在住の友人と新大阪で落ち合い、待ち合わせ場所の渋谷ハチ公前へ。総勢7人で東急田園都市線で池尻大橋まで移動し、目黒川沿いにJR五反田駅まで散策。目黒川の両側の桜並木は、自己主張し過ぎず小さく縮こまらず、中層のビル群に溶け込んでいて、美しい。地元の人たちの保存の努力が偲ばれる。桜は五分咲きというところ。ほとんどがソメイヨシノらしいが、一重の花びら一枚一枚はかなり大きく、色も淡紅色というより白色で、ソメイヨシノの特徴とちょっと違う気がした。
 夜は青物横丁の「いさりび」で宴会。ここはかつての品川宿である。近くの公園に山内容堂の墓がある。北品川には鯨塚もあるらしい。自ら鯨海酔侯と称した容堂には相応しい場所なのかもしれない。宴会のみ参加の1名を加えた8名で気分は大学時代にすぐ戻り、酔侯となって大いに盛り上がる。
  
4/2(日)
〈千鳥ヶ淵花見ウォーク〉
 1日の宴会を終えて、解散後豊能の友人と蒲田のビジネスホテルに宿泊。1泊6400円。食事なし。友人が言うには「そこは出張で使ったことはない。安いけど、楽天でとったから多分大丈夫だろう。」この時期で日曜日に空室、ちょっと心配だったが杞憂であった。
 蒲田と言えば、深作欣二の「蒲田行進曲」よりも山田洋次の「キネマの天地」が懐かしい。有森也実の演技が初々しく、バックに流れる蒲田行進曲の軽快なメロディーが今も脳裏に浮かび、あの頃身近にあった希望を感じさせる。。
 この日は、皇居に行き、天守台から千鳥ヶ淵へ。多くのボートが水上からの花見を楽しんでいる。華やいだ雰囲気である。足を伸ばして神田神保町の古本屋街を巡った。友人とは帰りの新幹線の車中も学生時代と同じようによくしゃべった。
 
4/8(土)
〈なかなか春にならない金剛山〉
 今日は先週と違って、とても寒い。樹木の根元に雪が残っている。この季節でも寒の戻りというのだろうか。文殊尾根を下山中、登ってくるTさんに会う。「今日は寒いですね。昨日は何度でした?」「昨日は来てへん。」そうそうTさんは2日に1回だった。「おとといは2度。雪が20センチほど積もっていた。アイゼン借りて登った。例年、4月に入っても1回は、雪が積もるなあ。」
 「アイゼン、どうやって返すんやろ。」と妻が心配する。「次に会ったときやろ。次はいつ、どこで会うかわかるんやろ。」Tさんは70後半。両手にポールをもって、懸命に登ってくる。「しんどいわ。ええなあ、もう下山で。」とよく言われるが、「2日に1回は来んと調子が悪い。」とも。真摯な方である。なお、この下山中に、左股関節にあった違和感が強い痛みに変わったのであった。

4/15(土)
〈花咲き鳥啼く金剛山〉
 股関節に負担がないように、念仏坂から文殊尾根コースで行くことにする。このコースは岩場がなく、腰に優しい。冬場は風が強く寒さが増すが、大阪平野がよく見えるので春から秋にかけては上り下りともによく利用される。
 念仏坂からコースに入ると、ミソサザイが鳴いている。聞きなしは、ピピスクスケスチルチルヒョロヒョロピリピリリリルリリルだそうだ。(「鳥630図鑑」日本鳥類保護連盟)支稜から文殊尾根に合流する辺りで、遠くからアーアオーアーアオーという鳴き声が聞こえる。アオバトである。この声の主がアオバトというのはNHKの「ダーウィンが来た!」で知った。また少し上ると、ツツドリのポポッポポッという鳴き声も聞こえる。繁殖のため留鳥や夏鳥が金剛山にやってきている。
 下山後駐車場をスタートすると、道路脇の桜が満開になっていた。

4/17(月)
〈応神陵一周〉
 股関節痛に配慮し、週末を除くほぼ毎朝続けていた早朝ウォークを休止する。その代わりに、古墳巡りをすることにした。この3月で定年退職をし、4月から勤務形態の変わった妻が同行。宮内庁書陵部事務所に車を停めて歩く。古墳の周囲を歩いていると、フェンスで外部と遮断された内堤をバイクで走っている人がいた。地図を見ると、1周できそうな細い道がある。妻が驚いて、あとで事務所を訪れて尋ねると、宮内庁の職員が巡回をしていたことがわかる。「私たちも申し込んだら、歩くことができますか。」と妻が大胆なことを聞く。若い職員は「それは無理です。」と真面目に答えてくれた。
  
4/18(火)
〈大塚古墳一周〉
 大塚古墳は宮内庁によって、大塚陵墓参考地として管理されているが、想定されている被葬者は雄略天皇陵である。墳丘規模は日本で5番目に大きい。恵我ノ荘の有料駐車場に車を停めて妻とともに出発。応神陵に比べ、壕のすぐそばを通ることができるところが多く、古代を身近に感じることができる。雄略天皇陵は藤井寺市にあるが、規模は小さく「倭王武」(「宋書」倭国伝)には相応しくない。大塚古墳が雄略天皇陵であるとする説が有力である。  

4/20(木)
〈允恭陵一周〉
 道明寺天満宮に車を置いて、歩き始める。今日は一人である。道明寺天満宮と道明寺の間の道をほぼ北上。近鉄線を越え、大和高田線に出ると、目の前に突然山が現れる。允恭天皇陵である。濠は空濠で一面に菜の花が咲いてる。墳墓には山桜が咲いている。春らしい光景である。
 允恭天皇の父は仁徳天皇、祖父は応神天皇である。そして、允恭天皇の子どもが雄略天皇である。允恭天皇は中国の史書「宋書」倭国伝に記された倭王「済」にしばしば比定される。この墳墓の被葬者が允恭天皇かどうかは諸説あるが、允恭天皇が実在の人物であることは間違いない。
  
4/22(土)
〈春風駘蕩の金剛山〉
 今日も文殊尾根を上る。ミソサザイ、アオバト、ツツドリの鳴き声を聞く。ウグイスの鳴き声もキツツキが木をつつく音も聞こえた。早朝から鳥たちも活躍している。
 頂上でMさんに会う。早朝の金剛山で私たちのようにマスクをしている人は、ほとんどいない。Mさんもそうだ。「花粉症はないんですか。」「私は野生やからな。ないよ。」林道近くまで下りていくと、女性のMさんに会う。「カタクリ見た?」「まだでしょう。」「もういい頃よ。私はまだ見ていないけど。」そう言えば、毎年4月下旬が見ごろである。もうどこかでちょっと首を傾けた可憐な花を咲かせているのだろうか。
 道路脇の桜は、半分ほどが葉桜になっている。千早赤阪村の農産物販売所で、妻は堀りたてのタケノコと春菊とタラノメを買う。春風駘蕩の季節になった。

4/23(日)
〈仲津姫陵一周〉
 早朝の金剛山登山は休み、妻とともに仲津姫皇后陵に行く。仲津姫は応神天皇の皇后である。道明寺天満宮に車を置いて、地図を片手に右周りに歩き始める。墳墓が住宅に隠れ見えにくかったが、しばらくして視界が開けた。前方後円墳が現れた。だが、それは古墳公園のようである。濠にあたるところは平面になっており、一面にクローバーが育っている。墳墓を上ると周辺の家々が見下ろされとても眺めがいい。ごみ一つなくそれも気持ちがいい。墳墓の頂上で体操をしている男性に聞くと、藤井寺市が管理している古室山古墳とわかる。藤井寺市だけでなく、きっと地元の人たちも尽力されているのだろう。男性は仲津姫陵とその回り方を教えてくれた。
 仲津姫陵は古室神社のところで右に曲がり、墳墓の横を見ながらほぼ一周して終了。


〈最後に〉
 初めてコメントをいただいた阿乱怒論氏にお礼と遅くなったお詫びを申し上げたい。鬼井氏にもいつもお気遣いいただき感謝申し上げたい。股関節痛は改善の兆候は見えず、まだしばらくお試しで歩いてみるような状態である。まあそのうち何とかなるだろう。
 
 






















































































早春の金剛山その2

2017-03-13 19:00:52 | 山登り
3月12日(日)

〈登山〉
 5時10分、駐車場発。前日11日(土)は寺谷を上る。途中で、大きな氷柱。頂上はマイナス3度。今日は東尾を登る。文殊尾根に合流すると、台高山脈側に「かぎろい」が見えた。頂上はマイナス4度。春は少し足踏みをしているようだ。
 10日(金)は妻の勤務する中学校の卒業式だった。昨日、今日と妻はよくしゃべった。自分の教え子たちの話である。妻の話はこうだ。

〈卒業式の朝〉
 卒業式の朝、答辞を読むA君を式場の体育館に呼んで、最後の練習をした。2日前にアドバイスしたことを意識して読めていた。卒業生の集合時間が迫っていた。「先生、みんなの言葉をつないだ文章やから、そのことをみんなに言いたいけど、いいですか?」「いいねえ。」

〈A君の呼びかけ〉
 「今日読む答辞は、自分が作ったものではなく、みんなの言葉をできるだけつないだもんやねん。この巻紙はBが書いてくれた。とてもきれいに書いてくれてる。ずっと座ってた後、長い間立って聞くのはしんどかもしれんけど、前にみんなが書いた文章を学級委員会で整理してくれて、それをもとに作ったみんなの言葉やから、しっかり聞いてほしいねん。それから、自分が言うことではないかもしれんけど、最後にみんなで創る卒業式やから、いい卒業式にしよう。」
 集合場所の武道場にみんなの拍手が響いた。生徒の誰かが呼びかけ、みんなが応えようとする。そういう取り組みを重ねてきて、そんな朝を過ごせたことが私は誇らしかった。

〈A君のこと〉 
 A君は生徒会長。公立難関校受験。宇宙飛行士になりたいと思っていたけど、最近は地球が危ないと思うようになって、地球のためになる仕事をしたいと「将来の夢」に書いていた。リーダー性のある子。授業中ざわついたとき、「雑音の中で勉強はできません。」と大きな声で私の口真似をしてくれる子。みんなクスッとして静かになる。「ありがとう。いいこと言うてくれて。」クラスはまたクスッと笑顔になる。
 文化祭は面白いのやりたい。3年間の思い出ビデオは、3年だけのお別れ会で見たい。東北大地震の募金をしたい。さまざまな提案をした。募金はパワーポイントをつくり、集会で説明。駅で生徒会主催の募金活動をした。親に聞くと「やりたいことがいっぱいで、部屋にはギターやいろいろなものが散らばっている。」音楽が好きで歌うことも好きなA君、これからも興味や関心を深めてほしい。君のあくなき好奇心・行動力・他者に対する配慮は、きっと世の中の役に立つ大きな力になるでしょう。

〈Bさんのこと〉
 Bさんは学級委員。陸上部キャプテン。私学難関校合格。「なんでそこを選んだの?」「全国パフォーマンス選手権に出てる書道部があるから。」「将来の夢」に、字に関わる仕事をしたい。書道を教えたいと書いていた。1年生の書写の時間、きれいに書けていてもなかなか納得しない子だった。「字と文字の空間とかをどうしたらいいか考えるのが楽しい。」と言っていた。
 「この仕事してもらってもいい?」と答辞の浄書を頼んだとき、「うれしい。私がやってもいいの?」と快く引き受けてくれた。「最後に名前書いといて。」と言うと「はい。」と返事をしていたが、できあがったものに名前はなかった。遠慮したのだろう。私が巻紙の最後に「B書」と彼女の名前を書いておいた。浄書はとても丁寧に仕上がっていた。「2巻き以上あったから思ったより大変やった。」と明るく言っていた。
 高校では友達と楽しく作品作りをやってほしい。あなたの素直でおおらかな心と書に対するこだわりはきっと書を仕事にすることができるでしょう。

〈すべての山に登れ〉
 自分たちの声でみんなに伝える。それをしっかり受け止める。誰かが1歩前に出ると、みんなが前に進む。ともに学びともに育つ、そんな学年をともにつくってきた。卒業生のみなさん、すべての山に登り、すべての川を渡り、すべての虹を追え、夢を見つけるまで。新たな時を刻むみなさん、また新たな形でお会いしましょう。

〈15の春〉
 「フフフ。」とうれしそうに語る妻の話を聞いて、私もうれしくなった。千早赤阪村農産物販売所で、今日も妻はシイタケと菜の花を買った。早春の野菜と15の春。妻の教え子たちの未来が明るいものであってほしい。



 







早春の金剛山

2017-03-06 17:11:02 | 山登り
3月5日(日)

〈久し振りの人〉
 5:08、駐車場発。空には星が出ている。念仏坂から細尾谷に入り、寺尾根をめざす。いつもは支稜を上るが、久しぶりに谷を上って寺尾根に合流する。谷の道は荒れているのではと思ったが、そうではなかった。ここを上る人も少なくないのだ。頂上付近でMさんに会う。遠くから両手を大きく振って喜んでくれた。このところずっと会っていなかったので、心配していたが元気でよかった。「10日ほど意識不明だった。」と明るい。これはMさん流のブラックユーモア。
 頂上着。気温0度。下山。文殊岩近くで上ってくるKさんに会う。この人とは年明けから会っていなかった。足指が痛くなって1か月ほど休んでいたが、「ココアしょうが」で血行がよくなり、痛みが改善したと言う。

〈キツツキ〉
 文殊岩を通ると、タラララララという音。キツツキが木をつついている音である。以前は木と木が擦れ合う音かなと思っていたが、あるときNHKの「にっぽん百名山」を見ていて、あっこの音だと知ったのだった。ふたりで上を見上げる。音が止む。ブナの枝が朝日を浴びて美しい。妻が「あ、いた。」と梢を軽快に動き回っているキツツキを見つける。私も見つける。やがて、梢を離れて飛んでいった。他のブナの枝に別の小鳥が5、6羽飛び回っている。チチチ、ピチャピチャという鳴き声が聞こえる。春の躍動である。「誰が見つけた?」「誰が何を見つけた?」妻が得意そうに何度も言う。

〈人生案内〉
 文殊尾根を下りながら、国語の作文の話になる。「讀賣新聞の人生案内で、この前、成人式の写真を消したお父さんが許せないというのがあったでしょう。あれを使って作文を書かせてんけど。」回答の部分は切り取って、自分が回答者になって書くということをした。作文は入試と同じ、原稿用紙3百字以内。書き終わって、「新聞の回答は次の時間に見せます。」と言うと、「先生、今読みたい。」という女子。こういう子は必ずいる。「子どもはかわいいね。」と妻は言う。


〈相談内容〉
 専門学校に通う20歳の女性。成人式の日にスマホで私を撮ってくれた父が、その写真を間違って消してしまいました。許せません。式では父にお金を払ってもらい、レンタルした振袖を着ました。写真は私のスマホでも撮ったのですが、家の前などきれいに撮りたい写真は、父の最新のスマホで撮ってもらいました。
 ところが、私にとって一生に一度の写真を、父は消してしまった上、しっかりと謝ってもくれないのです。振袖のお金を払ってくれたことは感謝していますが、簡単に娘の晴れ着の写真を消してしまう無神経さに腹が立ちます。その日から、父のことを無視し続けています。それなのに、きちんとした謝罪の言葉がありません。気にはしているようですが、ただ時間が過ぎるのを待っているように感じます。いつか私が許すと思っているのです。なおさら、口を利きたくなくなります。
 どうしたら、父のことを許せると思いますか。(千葉・N子)

〈中学3年生の回答〉
 回答は大きく1割と9割に分かれたと言う。「怒る気持ちはわかるという回答をした生徒は、全体の1割か9割かどっちと思う?」「1割やな。」9割の生徒は怒ることではないという回答をしたと言う。「しかし、同調する子が意外に少ないな。」「子どもも冷静に考えているよ。」
 自分が傷つくことには敏感で、人を傷つけることには鈍感な子どもは増えてきたように思う。しかし、公平に判断できたり、円満に仲裁できたりする子もまた増えているのかもしれない。
 3年生の作文の回答は次のようなものであったという。

 ①気持ちはわかる。私も口を利きたくない。態度で示さないと親はわからない。
 ②何で、という気持ちはわかるが、怒ることではない。
 ③誰にも失敗はある。相談者もあるはず。親も悪かったと思っているはず。
 ④親が謝らないから口を利かないという態度をとるより、自分から話しかけて気持ちを伝えないと、親もわからない。
 ⑤それよりも、そこまで育ててくれたことを感謝するべきだ。
 ⑥そもそも写真はすべてその一瞬を写すものであり、成人式の1枚にだけこだわるのはおかしい。その1枚だけが特別ではない。
 ⑦別の何かで埋め合わせをしてもらう。もう一度準備して撮る方法もある。
 なお、回答者の作家、出久根達郎さんはこう言っている。「どうしたら父を許せるか、ですって?簡単です。あなたが父に謝ればよろしい。」

〈ウグイス〉
 千早赤阪村農産物販売所で、妻はシイタケと菜の花を買う。上の下赤阪城址の方でウグイスの鳴き声が聞こえる。今年初めてである。

 
◎いつも励ましのコメントをいただいている鬼井江氏にお礼申し上げる。暖かくなったら竹内街道歩きましょうね。






春を待つ金剛山その3

2017-02-27 19:40:00 | 山登り
2月25日(土)

〈V字谷〉
 5:05、登山開始。ライトに浮かんだ念仏坂は、いやにでこぼこしている。雪なし、凍結なし。地面を覆うものが無くなったから、そう感じるのだ。シルバーコースに入る。岩場の横を流れる沢の音が大きい。水量が多いようだ。支稜にとりつく。V字形に深く削られているところがある。この前の雨で削られたのだろうか。その真砂土が盛り上がって、霜柱ができている。寒さは感じないが、気温は低い。支稜から主稜に合流して登っていく。妻が、霜柱がたくさんあるところを見つける。「大きな霜柱、ほら。」7センチほどある。
「さっきもあったぞ。V字谷みたいになったとこ。」「え、ぶいじこく?ぶいじだにじゃないの?」同じように、U字谷にも言及する。「ぶいじこくと思てたけど。」「ずっとそう言ってた?」だんだん自信がなくなってきた。ぶいじだにが正しいのだろうか。「いや、人前で口に出したことない。」と言ったが、人前でもきっと言ったことがあるだろう。帰ったら調べてみようという話になる。

〈頂上〉
 頂上はマイナス4度。転法輪寺の境内を、下を見ながらゆっくり歩いている人がいた。Sさんである。落とし物を探しているのだろうと思って近づくと、ぶ厚い凍結面を慎重に歩いているのだった。雪が解けて、厚い氷の面が出てくるのも春が近づいている証拠である。
 
〈春の短歌〉
 文殊尾根を下りながら、いつものように短い話や長い話が続く。ほとんどはあとで思い出せないが。こんな話があった。
「子どもらも作文、じょうずになったよ。」妻の話はこうだ。国語の時間に作文練習をしている。練習を重ねるとぐんぐん上達する。この前、どこかの過去問を使ってやってみた。春を詠んだ3つの短歌がある。その1つを選んで、読み取った情景に自分の体験を重ねて、感じたことを書くというものである。「1つは、ぶらんこが揺れてるような春が来て、窓がきらきらしているという歌。次が、花のつぼみがふくらんできて、それが今朝の優しい会話になるという歌。3つめは、遮断機が上がって犬が何もなかったように歩き出すという歌。」「いい問題やな。作者は有名な人か?」「1人は俵万智、あとは知らない人。」「2つめが俵万智やな。」「当たり。」当たった。

 “入試問題の短歌”
  A ぶらんこのゆれいるような春くれば窓という窓きらきらとする  小島 なお
  B 咲きそうな花が黄色くふくらんで今朝のやさしき会話の一つ   俵  万智
  C 遮断機のあがりて犬も歩きだすなにごともなし春のゆふぐれ   小池  光

〈書くことは考えること〉
「K君いう子がCの歌を選んで書いててん。東京からこっちに転校してきてね、当時友達は誰もいなくて、一人ぼっちで遮断機の前に立っているときに、『ああ夕暮れやな。いつかは友達ができて、しゃべりながら帰ることができるかな。』そんなことを書いてたわ。」少年の孤独と希望。中学3年生はもう大人の入り口に差しかかっている。
 書くことは考えること。書くことは感じること。書くことによって考えが深まり 感性が磨かれるのだ。

〈アマチュアカメラマン〉
 下山して、駐車場でアマチュアカメラマンのFさんに会う。「久しぶりですね。」「ノーマルタイヤやから、1か月ほど休んでました。」「文殊尾根の樹氷、撮りました?Fさんの車があったんで、いい写真撮れたやろなと2人で言ってたんです。」「いやあ、ガスってる樹氷、スルーしてしまいました。」私たちの横を、リハビリを乗り越えたMさんが「おはよう。」と声を掛けて、快調に上っていく。真冬ももちろん、年中半袖の「半袖さん」も上っていく。明るくなって登山者が増えていく。