すべての山に登れ

日々のできごとと山の思い出

春を待つ金剛山その2

2017-02-20 18:00:17 | 山登り
2月19日(日)

〈観桜会〉
 「観桜会の日程が決まりました。4月1日(土)東京」とのメールが数日前に届いた。東京在住の大学時代の友人からの案内である。すると、次々に参加の返事、お礼がそれぞれ仲間内での一斉送信で入ってくる。受信メールがどんどん増える。私も参加の返事をする。みんな昨年の暮れに京都で顔を合わせたばかりなのに、即断の返事である。まるで春が待ちきれないかのように。

〈出発〉
 3:30起床。我が家も即行で山へ。駐車場に到着。夜中に降った雪が薄く一面に積もっている。1台がすでに駐車し、タイヤ痕をきれいにつけている。隣に止めた私の車のタイヤ痕はぐにゃぐにゃである。これは、下手やな。しかし、誰も気にも留めないか。4:51、駐車場を出発。念仏坂は、昨日は雪が解けてところどころに凍結面が残っている状態であったが、今日は全面積雪である。先行者の足跡がまっすぐについている。歩き方のきれいな人だ。
 昨日は東尾(ハードコース)を登った。「遠いわあ。暗くてどこを歩いているかわかれへん。」と妻が言っていた。東尾は道がはっきりあるわけではない。登りやすいところを選んで、ひたすら直登するだけである。今日は寺谷を登ることにする。

〈穂高岳〉
 「今年の夏の穂高、どういう日程がいいかなあ。」登りながら妻に問いかける。昨年秋、山友達から「来年の夏は穂高へ連れていってや。」と誘われOKをしているのだ。 
 初めて家族で穂高に行ったのは、上の子どもが高3、下が中3のときだった。横尾と穂高岳山荘で泊まって、奥穂から吊り尾根を通って岳沢を経て上高地へというものだった。2回目は下の子どもが涸沢小屋でアルバイトをしたとき。上高地から涸沢まで一緒に行った。子どもが涸沢小屋に入るのを遠くから見届けて、妻と2人でそのまま一気に穂高岳山荘まで行った。このときはへとへとだった。山荘で1泊し、翌日、奥穂、前穂、岳沢を経て上高地に下りた。これが6年前のこと。今夏の山行は妻のすすめで、横尾と穂高岳山荘で泊まることにする。初めて家族で行ったときと同じ行程である。
 下山して河童橋から見る奥穂、吊り尾根、前穂、岳沢の眺めは達成感と安堵感で最高である。また、今夏も味わうことができるか。「滑落、転落に気をつけなあかんな。」「2泊したら大丈夫よ。」と妻は励ましてくれる。気をつけていかなければ。

〈無言の催促〉
 坂の途中で「私が先、行こか。」また、言われてしまった。「リズミカルに歩く!」と宣言する。寺谷を登りきって、文殊岩へ。役行者や楠一党がひたすら祈った文殊岩。ここで参拝。いつも、私のほうが長い。登山道から広い参道に入る。2人並んで歩く。妻が心なしか速い。「スピード上げてないか。プレッシャーかけてるやろ。」「ふっふっふっ。そう言うと思った。」5:55、頂上着。マイナス5度。昨日はマイナス0度の表示。たぶん、0度、マイナス0度、マイナス1度と表示変化すると思うのだが、確かめたことはない。

〈落とし物のアイゼン〉
 気合を入れて下りる。遅れがちな妻は途中でアイゼンをつける。雪の下の凍結部分が滑って、歩きにくいらしい。先週70センチの積雪だったところは、ずいぶん薄くなっていた。大雪が解けて、そこに少し積もったのが今日。妻が「手が冷たい。」というので、私のカイロを渡す。両方の手袋にカイロを入れて「うれしい。」と喜ぶ。
 巻き道。妻の好きなコロコロは、雪が少なくできなかった。樹氷は、ばば谷との分岐のところまであった。もう少しで念仏坂というところで、「忘れてた。昨日の落とし物のアイゼンどうなったかな。」と妻は、走ってまた登っていった。昨日、落ちているアイゼンを見つけて、道のわきの見やすいところに置いたのだ。「なかった。持ち主のところに返ったかな。」6:45、駐車場着。
 
〈御殿場桜〉
 夕方、数日前に買っておいた御殿場桜を、二人で庭に植える。春の訪れが待ち遠しい。山は行きつ戻りつだが、私たちの気分は春近しである。

 















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