娘が赤ちゃんの頃、なかなかかわいいと思えなくて、そんな自分はどこかおかしいんじゃないかと思って
かなり悩んだ。
ひたすら泣く赤ちゃんをどう扱っていいかわからず、その泣き声をうるさいと感じ、
赤ちゃんが泣いているのに、それをうるさいと思う自分がとても嫌だった。
子どもが生まれたらきっと溺愛するだろうと思っていたのに、溺愛どころか全然かわいくなくて、
ニッコリ笑った顔をかわいいと思うことはあっても、それは束の間で、二人でいる時間が長くなるとすぐにイライラしていた。
まあ、今もイライラするけど。
一人でいるほうが気楽だったし、できれば長い時間一緒にいたくなかった。
何よりそう思ってしまうことが悲しかった。
けれど5歳になった今、娘は間違いなくかわいい。
憎たらしい口のききかたにカチンときたり、すぐに怒ったり、イライラして娘にあたってしまったり、
そんなことも日常茶飯事だけれど、それでも間違いなくかわいい。
会えない時間が長くなると、今頃何をしているかな、と考えたり、早く会いたいな、と考えたり。
一緒にあんなことこんなことしたいな、って考えたり。
部屋の中で絵本を読んだり、歌を歌ったり、一生懸命おしゃべりしたり、
そんな姿を見ていても、つくづくかわいいなぁと思う。
もしかして今が一番かわいいんじゃないか、とも毎日思う。
一昨年に買ったガウン。2年前はゾロゾロと引きずっていたのが、今やツンツルテンに短くなっている。本当に大きくなった。
「大きくなったね」と口にする。「そんなに早く大きくならなくてもいいんじゃないの?」というと
いつものごとく「勝手に大きくなるんだよ!」と返ってくる。
疲れることもいっぱいいっぱいあるけれど、やはりかわいい。
あと2年3年して小学生になったら、もっと生意気度がアップして、見た目も幼児から子どもに変わってしまうだろう。
そう思うと今が一番かわいいような気がしてしまう。
絵本を読むその読み方とか声の感じとか、書いているおえかきとか、「3人で一緒にねようよー」と小さな声で言うところとか、
とにかく何もかもがかわいい。
今は私の中で“娘”がブームになっているだけか…? 自分の娘に“ブーム”とか言っていいのか?
私たちはよくケンカもする、年齢差を感じない対等なケンカ(笑)
大人気ない母は、すぐに娘に向かって「ブース」なとど暴言を吐く。
たいていは「ブスって言ったら自分がブスなんだよ」と冷静に切り返される…。
いつだったか、頭にきて「まったく、憎たらしい! このドブス!!」とありえない暴言(ごめん、娘)を吐くと
「ドブスってなんだよ…」とポカンとする娘。
どうやらドブスという言葉にはあまりなじみがないらしい。しかし、その後すぐにこう切り返してきた。
「わかったよ、ドブスっておかめ納豆のことでしょ!?」
「おかめ納豆ー!!」とその場にいた私と妹で爆笑。
確かにおかめ納豆のパッケージにある、あの下ぶくれのお顔に対しては、そういう表現もあるかもしれないなぁ、などと妙に納得するも
「でも、あのおかめ納豆のお顔はさ、昔は美人て言われてたんだよ」となぜかおかめ納豆をフォローし始める私。
「そうだ!平安時代とかはさ、あの顔が美人だったんだからぁ」とさらに力強くいう。
「平安時代ってなんだよ!」と怒り気味の声でいう娘
「お公家様がいたころだよ」と、ますます幼児にわからない話になってきたところで
「大丈夫、おくさん(娘のニックネーム)はドブスじゃないし」と私。
「さっきドブスっていったじゃん!」とふくれる娘。
そうだ確かに言った。「あ、うそうそ。そんなこというおかあさんがドブスだよねぇ」とごまかそうとすると
「おかあさんはドブスじゃないよ~」と涙声になる娘。
「おくさんもかわいいよーう。ドブスなんて言ってごめんなさい…」
「いいんだよ、おかあさん」 「よくないよ…」
本当に、こんなコントみたいな会話をしてるから疲れるんです。トホホ。
でも、かわいい・・・
かなり悩んだ。
ひたすら泣く赤ちゃんをどう扱っていいかわからず、その泣き声をうるさいと感じ、
赤ちゃんが泣いているのに、それをうるさいと思う自分がとても嫌だった。
子どもが生まれたらきっと溺愛するだろうと思っていたのに、溺愛どころか全然かわいくなくて、
ニッコリ笑った顔をかわいいと思うことはあっても、それは束の間で、二人でいる時間が長くなるとすぐにイライラしていた。
まあ、今もイライラするけど。
一人でいるほうが気楽だったし、できれば長い時間一緒にいたくなかった。
何よりそう思ってしまうことが悲しかった。
けれど5歳になった今、娘は間違いなくかわいい。
憎たらしい口のききかたにカチンときたり、すぐに怒ったり、イライラして娘にあたってしまったり、
そんなことも日常茶飯事だけれど、それでも間違いなくかわいい。
会えない時間が長くなると、今頃何をしているかな、と考えたり、早く会いたいな、と考えたり。
一緒にあんなことこんなことしたいな、って考えたり。
部屋の中で絵本を読んだり、歌を歌ったり、一生懸命おしゃべりしたり、
そんな姿を見ていても、つくづくかわいいなぁと思う。
もしかして今が一番かわいいんじゃないか、とも毎日思う。
一昨年に買ったガウン。2年前はゾロゾロと引きずっていたのが、今やツンツルテンに短くなっている。本当に大きくなった。
「大きくなったね」と口にする。「そんなに早く大きくならなくてもいいんじゃないの?」というと
いつものごとく「勝手に大きくなるんだよ!」と返ってくる。
疲れることもいっぱいいっぱいあるけれど、やはりかわいい。
あと2年3年して小学生になったら、もっと生意気度がアップして、見た目も幼児から子どもに変わってしまうだろう。
そう思うと今が一番かわいいような気がしてしまう。
絵本を読むその読み方とか声の感じとか、書いているおえかきとか、「3人で一緒にねようよー」と小さな声で言うところとか、
とにかく何もかもがかわいい。
今は私の中で“娘”がブームになっているだけか…? 自分の娘に“ブーム”とか言っていいのか?
私たちはよくケンカもする、年齢差を感じない対等なケンカ(笑)
大人気ない母は、すぐに娘に向かって「ブース」なとど暴言を吐く。
たいていは「ブスって言ったら自分がブスなんだよ」と冷静に切り返される…。
いつだったか、頭にきて「まったく、憎たらしい! このドブス!!」とありえない暴言(ごめん、娘)を吐くと
「ドブスってなんだよ…」とポカンとする娘。
どうやらドブスという言葉にはあまりなじみがないらしい。しかし、その後すぐにこう切り返してきた。
「わかったよ、ドブスっておかめ納豆のことでしょ!?」
「おかめ納豆ー!!」とその場にいた私と妹で爆笑。
確かにおかめ納豆のパッケージにある、あの下ぶくれのお顔に対しては、そういう表現もあるかもしれないなぁ、などと妙に納得するも
「でも、あのおかめ納豆のお顔はさ、昔は美人て言われてたんだよ」となぜかおかめ納豆をフォローし始める私。
「そうだ!平安時代とかはさ、あの顔が美人だったんだからぁ」とさらに力強くいう。
「平安時代ってなんだよ!」と怒り気味の声でいう娘
「お公家様がいたころだよ」と、ますます幼児にわからない話になってきたところで
「大丈夫、おくさん(娘のニックネーム)はドブスじゃないし」と私。
「さっきドブスっていったじゃん!」とふくれる娘。
そうだ確かに言った。「あ、うそうそ。そんなこというおかあさんがドブスだよねぇ」とごまかそうとすると
「おかあさんはドブスじゃないよ~」と涙声になる娘。
「おくさんもかわいいよーう。ドブスなんて言ってごめんなさい…」
「いいんだよ、おかあさん」 「よくないよ…」
本当に、こんなコントみたいな会話をしてるから疲れるんです。トホホ。
でも、かわいい・・・