カリフォリニア内乱の真相!Dr後藤新平

アメリカ国内で現在、正義の側のAnti-Fa(反ファシズム=反米帝)と白人至上主義KKKとの間の内戦が進行中である。

非暴力無抵抗主義者と信じられているイエス・キリストは実は貧しい民衆の社会正義の為の死を賭した剣を使った戦いを提起している!Dr佐野千遥

2019-06-30 02:55:05 | 日記
イエス・キリスト

9月27日スミルノフ科学大学大学院大学 スミルノフ物理学講義第1回 Dr佐野千遥 真空から原子・物質の創り出し方詳細説明!現代量子物理学・素粒子論・宇宙物理学総批判!に参加御希望の方は

http://allahakbar231.blog.fc2.com/blog-entry-57.html

から御申請下さい。

そのスミルノフ物理学講義第1回の開催趣旨の物理学理論的内容を知りたい方は
https://ameblo.jp/allahakbar231/entry-12523463485.html#_=_
を御参照下さい。

youtube 公開 8月30日、恙なくスミルノフ科学大学大学院大学 講義 数学第2回 
https://www.youtube.com/watch?v=KWzhrmnIj2o

8月30日のDr佐野千遥の世界史的数学難問証明公開の講義の内容を知りたい方は
https://ameblo.jp/allahakbar231/entry-12507769527.html#_=_
を御参照下さい。

7月26日のスミルノフ科学大学大学院大学講義 数学の章 世界史的数学難問証明解説!数式数学嫌いが大好き・得意になった!講演会は大盛況でした! 大変有難うございました。Dr佐野千遥 

参加しなかったが、講義資料を入手したい方は
http://allahakbar231.blog.fc2.com/blog-entry-55.html
から、
「”7月26日世界史的数学難問証明解説!数式数学嫌いが大好き・得意になった!”講演会資料を送付して下さい。」
と書いて申請して下さい。その資料は、過去250年から340年間、世界の大数学者達が解こうとして解けなかった世界史的数学難問4問の中の3問の証明を公開したもので絶大なる有用価値を持ったもので有る為、講義講演会に参加した方々には無料で配布しましたが、参加なさらなかった方の場合には低価格ですが有料となります。

7月26日スミルノフ科学大学大学院大学講義 数学の章 世界史的数学難問証明解説!数式数学嫌いが大好き・得意になった!講演会
のyouubeを公開します。
https://youtu.be/ZIh_rbuqcnE

https://youtu.be/oyWT_BWwEz8

Dr佐野千遥は過去250年~340年間世界の大数学者達が解こうとして解けなかった世界史的数学難問4問を解いた数学者でもあります。そのDr佐野が理工系離れで数式・数学が苦手の方々に懇切丁寧に手取り足取り御説明致します。数学嫌いが数学好きに変わる極意を使います。

7月26日(金)スミルノフ科学大学大学院講義 数学の章 Dr佐野千遥講演会 の内容をもっと知りたい方は

https://ameblo.jp/allahakbar231/entry-12492963973.html#_=_

を御覧下さい。

<6月28日講演会「生命体が生命体たる由縁である負の誘電率・負の透磁率の強化が真の健康若返りの極意!坂井康起氏、Cellpower佐々木社長、Dr佐野千遥が出演」youtube公開>

https://youtu.be/-tfbU8l28Bc

https://youtu.be/lFnDC8ptanY

<5月31日討論会のyoutubeビデオを公開します>
天皇は国内的には大神主・精神指導者として国家主義を廃した自由民主主義天皇親政!国外的には闇の国際(社会)帝国主義国家権力を打倒する世界解放戦争を指揮する大元帥!Dr佐野千遥
https://youtu.be/zyW9PRVHYK0

https://youtu.be/SEPf3-3R-EQ

「5月31日右翼と左翼が根底大激論討論会!日本とウイグルと世界を救う統合戦略方針を提起!Dr佐野千遥」の内容詳細を読みたい方は
https://ameblo.jp/allahakbar231/entry-12462823346.html#_=_
をクリックしてお読み下さい。


中共のウイグル弾圧糾弾に連帯する日本人蹶起集会!Dr佐野千遥 

youtubeビデオをウイグル人が命を賭けて公開
https://youtu.be/2qbmonHfgWs

https://youtu.be/pK8c4S2Tqnc

4月28日中国共産党社会帝国主義によるウイグル人弾圧糾弾に連帯する日本人蹶起の主意書内容詳細!
https://ameblo.jp/allahakbar231/entry-12461226313.html#_=_


フルフォード氏とDr佐野千遥が大激論!3月29日世界情勢予測討論会!

<全セッション一括放映>
https://youtu.be/XW8iowoQEcg

<各セッション別>

№1アドレス  https://www.youtube.com/watch?v=gqt5984puIo&t=70s

№2アドレス  https://www.youtube.com/watch?v=zZ-Pce3UupQ&t=35s

№3アドレス  https://www.youtube.com/watch?v=DQ9q3mG7W6E&t=32s

№4アドレス  https://www.youtube.com/watch?v=5yhWvU7qeg0&t=927s

№5アドレス  https://www.youtube.com/watch?v=5lHVKmb6kX0&t=14s

№6アドレス  https://www.youtube.com/watch?v=HZAntx8UgzQ&t=40s

youtube動画「2月28日(木)”坂の上零氏・ヤマギシ会出演農村コミュニティ世界解放運動討論講演会!Dr佐野千遥」をアップロードしました。

https://youtu.be/CcKCWqSwCoE

https://youtu.be/XTc0VAN1Cmg

非暴力無抵抗主義者と信じられているイエス・キリストは実は貧しい民衆の社会正義の為の死を賭した剣を使った戦いを提起している!Dr佐野千遥

イエス・キリストは日本の青森のシュメールアイヌと共に大和朝廷シュメールユダヤと戦い英雄的死を遂げた!

蚊は処女懐胎をする。家屋の中に雄蚊が一匹も居なくても、雌蚊だけで、卵を産み蚊は子孫を残し繁殖する事が出来る。但し蚊の場合にも雄蚊が生まれる為にはY染色体が必要であり、この場合雄のY染色体は供給されないのだから、雌蚊の処女懐胎で生まれて来る子供は全て雌となる。

若しイエス・キリストの母マリアが処女懐胎によりイエス・キリストを生んだとしたならば、イエス・キリストはY染色体を持たない為、女性でなければならない。実際にはイエス・キリストは男性であったのだから、処女懐胎では無かった事が此処に科学的に論証された。イエス・キリストの父は神では無く、人間の男性であった。イエス・キリストは自分を「人の子」と呼んでいた。であるから“父と子と聖霊”の神の“三位一体説”なるものが誤謬である事も此処に科学的に論証された。

ではイエス・キリストの本当の父は誰だったのか?勿論正直者ヨゼフではない。イエスの父は実はヘロデ大王であった。ユダヤ人ではなくアッシリア人であったマリアにヘロデ大王が産ませた子がイエス・キリストであった。この事も死海文書に書いて有る。新約聖書には、ベツレヘムの馬小屋でイエス・キリストが生まれた直後に、ヘロデ大王は自分の不祥事が発覚する事を恐れたか、或いは自分の地位が後に自分の子に脅かされる事を恐れてか、その時ベツレヘム近辺に居た5歳以下の幼児を全て皆殺しにしたが、マリアはヨゼフに支えられてエジプトに逃れて、イエス・キリストは難を逃れ殺されなかった、と書いて有る。

又後にイエス・キリストが十字架上で処刑をされる為に処刑上に引かれて行った最中に“王の中の王(king of kings)!”の罵声がイエス・キリストに向けて発された事からも、イエス・キリストがヘロデ王の子であった事が覗える。

イエス・キリストが十字架上で意識を失う直前に言った言葉「エロイ!エロイ!ラマ、サバクタニー!?」は通常“我が神よ!我が神よ!何故私を見捨て給うたか!?”と訳して有るが、実はアラム語の「エロ」とは神の意味は無く目上の人の意味でしかない。イエス・キリストは一卵性双生児の双子であり、十字架の刑に処されたのは弟の方のイシキリであって、こちらこそ本当のキリストであって、兄の方は十字架の刑とは無縁であり、弾圧され殉教して行く使徒達を尻目にマグダラのマリアと駆け落ちして、南フランスに逃げ延び、子供まで作って、最後はユダヤ教の墓に納まっている。キリストは愛の無い掟しか唱えないユダヤ教と決別した筈であったのだから、明らかに兄のイエス・キリストは如何様師である。

弟イシキリのイエス・キリストが十字架上で意識を失う直前に言った言葉「エロイ!エロイ!ラマ、サバクタニー!?」の訳は正確には「我が兄よ!我が兄よ!何故私を見捨てたか?!」となる。

この様に弟のイシキリ=本物のイエス・キリストも現人神では無く、生身の人間であった。

2000年に渡って、イエス・キリストは非暴力無抵抗主義者と信じられてきているが、新約聖書には一カ所驚くべき事に
「私が世に平和を齎す為に遣って来たと思うなかれ!私は世に剣(つるぎ)を投げ込む為に遣って来た!!」
と書いてある。しかし新約聖書には、その投げ込んだ剣で誰と如何に闘うべきかについて述べた箇所は他には一切存在しない。

そしてイエス・キリストは山上の垂訓に於いて
「幸いなるかな、貧しき者!彼等は天国を見るであろう!」
と言った。日本語訳は“心の貧しき者”と訳して有るが、これは誤訳で、原文を正確に訳すとズバリ「貧しき者」となる。つまりプロレタリアートは道義的に社会正義の側に立ち得て、死後天国に昇り得るであろうとしている。

イエス・キリストは、支配階級の階級支配暴力である国家権力を握っていたユダヤ教のファリサイ人・立法学士達を「マムシ族の者達よ!!」と言って憎しみを露わにして罵(ののし)った!これはイエス・キリストがユダヤ教の教義=タルムード自体を批判していた可能性が大きい事を示している。つまりユダヤ教徒以外を人と認めず、十戒の”汝人を殺すなかれ!姦淫するなかれ!”に於ける”人”とはユダヤ教徒のみで、それ以外の人達=異教徒は人ではなく獣と同列であるから、ぶっ殺そうが強姦しようが構わない、としている悪人モーゼの生前の言動を纏めたタルムードの内容を史上初めて批判したのは13世紀のローマ教皇ではなく、西暦0世紀のイエス・キリスト自身となる。実際タルムードではユダヤ教を分裂させる事は固く禁じられており、イエス・キリストが別宗教=キリスト教を立ち上げた行為がタルムードに抵触し、また異教徒をユダヤ教に改宗させないまま、ユダヤ教徒がユダヤ人の宗教的集まりに連れ込む事も禁止されていたにも拘らず、イエス・キリストはローマ人のヨハネ他十二使徒の中にはユダヤ教徒でなかった人達が何人かおり、これもタルムードに違反した行為であった。新約聖書にはイエス・キリストがユダヤ教に対して放った批判は「掟ばかりを言って愛が無い!」だけしか収録されていないが、イエス・キリストの生涯に於ける言動行動全体がイエス・キリストは悪人モーゼとそのタルムードを真っ向から批判していたに違いない事を示しているのである。

イエス・キリストをファリサイ人・立法学士達が最終的に十字架の刑に処する事を決断したのは対ローマ武装解放運動の頭目・ラザロを墓の中から蘇らせた時であった、と死海文書に書いて有る。

新約聖書には「ラザロの復活」と言う章があって、イエスが、と或る家の前を通りかかると家の住人達が皆泣いていたので、イエスが彼等に「何故泣いているのか?」と尋ねると、彼等の主人のラザロが死んでしまったからだ、と彼等は答え、ラザロの墓へイエスを案内した。するとイエスは墓の前に立って「ラザロよ!私が言う、出て来なさい!」と言うと、ラザロが墓の中からすたすたと歩いて出て来た、と書いて有る。

イエスの十二使徒の中の一番弟子・後の初代カトリック教皇ペトロは実は、この対ローマ武装解放運動の頭目・ラザロの右腕、つまり対ローマ武装解放運動のナンバー2であった。イエス・キリストがこの事実を知らない筈が無かった。

又、ラザロという人物がどの様な人物かもイエス・キリストが知らない筈が無かった。ラザロは当時のユダヤ王国で有名人であった。

対ローマ武装解放運動とは何故起きたのかといえば、ローマ帝国がユダヤ人達を弾圧し虐殺し、捕えた者達は奴隷として売り捌き、ユダヤの地をローマの植民地と化していたためであった。であるから、これに対する対ローマ武装解放運動は当然社会正義の側に立って居た。

最後の晩餐の最中にイエス・キリストを捉えに遣って来た大勢の者達は重装備の剣や武器で武装されていた、と新約聖書にすら記述が有る。キリストや12使徒達が丸腰であったのなら、これは一体何の為だったのか?!実は最後の晩餐とはイエス・キリスト双子兄弟が12使徒と多くの貧しい民衆を集めて対ローマ帝国、対ヘロデ国家権力に対し武器を以って蹶起する為の謀議の集会であった。ユダはキリストを非暴力無抵抗主義者にしておきたかった裏切り者であった。十字架に掛けられた本当のキリスト=弟のイシキリはその晩餐=集会を主催したが兄のイエスキリストはその場に現れず、弟イシキリイエスキリストは兄が裏切った事を知った。この様に謀反の謀議の場を急襲されて12使徒たちも散りじりに逃げ去ってもラザロの右腕のペトロはキリストと共に一人討ち死にする覚悟で、剣を抜き放って敵軍の一兵卒の片耳を切り落とした。イエスはペトロが殺されてしまわない様に、業と”剣を取る者は剣で滅びる”と心にも無かったイザヤの言葉を引用してペトロを逃がしたのである。キイスト自身は民衆の社会正義の為に命を賭して剣を使って戦い死ぬことを望んでいたが、その望みはユダの密告裏切りに依って挫折した。キリストが十字架上で悩んだのは、自分が後世、恰も非暴力無抵抗主義者であるかに信じられ崇められる世の偽りの信仰に付いてであった。新約聖書にイエスキリストが”剣を取る者は剣で滅びる”というイザヤの言葉を長々と解説し、イエスは敵の為にも祈れと言った、とか長々と遣り取りを書いているが、これではキリスト自身が変革打倒すべき社会悪に付いて方向性を失い大混乱に陥っており、新約聖書のこの章は全くの捏造である

男性美とは強さの美学であり、女性美とは優しさの美学である。社会正義の為に強い時、男性はこの上なく美しい。新約聖書に書いてあるイエスキリストとは非暴力無抵抗主義者で、男性美とは無縁である。原始キリスト教が何故その後堕落したか?それは新約聖書に描かれているキリスト像自身に男性美が完全に欠如しているからである

先のイエス・キリストの言「私が世に平和を齎す為に遣って来たと思うなかれ!私は世に剣(つるぎ)を投げ込む為に遣って来た!!」に戻ろう。
イエス・キリストは今迄恰も非暴力無抵抗主義者の象徴で、只々信じる各個人の主に原罪の神に対する贖罪の為にイエス・キリストは自己の命を犠牲にして捧げた、と信じられて来た[註]。
しかし、明らかにイエス・キリストとは現実世界の社会勢力の成す社会悪の存在とそれに対する告発の必要性を強く意識して居た人物である。

[註]:キリスト教、ユダヤ教に於ける“原罪”の概念は、人が批判を差し向ける矛先を各個人自身の内的問題にして、社会悪に対する変革の為の闘争へ向かわせないのに、決定的に役立っている。これは当時からの闇の権力が民衆を物言わぬ奴隷へと自発的に陥らせる為に仕組んだ陰謀といって過言でない。

新約聖書にはキリストが10歳くらいから30歳くらいまでの時期に何処でどの様に生活し何を考えて居たのかの記述が全く無い理由は従来から大きな謎とされて来た。当時、マリアの福音書、ユダの福音書、ペトロの福音書、等々、幾つもの福音書が有ったがそれらは採用されずに切り捨てされ、今日伝えられている新約聖書となった。初代教皇ペトロの福音書が新約聖書に含まれていないのは正に異常である[註2]。明らかにその斬り捨てられた福音書の中にはキリストの10歳から30歳の時期に付いても記述が有ったに違いないのであり、対ローマ武装解放運動のナンバー2であった初代教皇ペトロの福音書には正にイエス・キリストが実は被支配階級民衆の社会正義の為の死を賭した闘争を提起していた事が書かれていたのではないかと推察されるが、逆にそれらの文献は、イエス・キリストが実は被支配階級民衆の社会正義の為の死を賭した闘争を提起していたため、そしてイエス・キリストは十字架上での処刑時に被支配階級民衆の社会正義の為の死を賭して闘い死するを無上の幸福とした武士道の美学ともいうべき処刑のされ方をしたと記述が有った為、切って捨てられたと見る事ができる[註3]。

[註2]:これは原始キリスト教の後のキリスト教が根本的に変質したと見る事が出来る。

[註3]:若し歴史に逆らって、イエス・キリストが“各人の原罪の贖罪”等という訳の分からない目的ではなく、明確に被支配階級民衆の社会正義の為の死を賭して闘い死するを無上の幸福とした武士道の美学ともいうべき処刑のされ方をした、と新約聖書に書いて有ったのなら、世界の遥かに多くの人達がイエス・キリストの崇高なる死に熱烈なる称賛の意を表したであったであろうし、社会正義をテーマとした宗教・イスラム教は後に発生しなかったのではなかろうか?又、キリスト教がローマ帝国の国教へと堕落する事もなかったであろうし、プロテスタンティズムがユダヤ人が創った資本主義の政治指導イデオロギーと成り上がる事(マックスウェーバー参照)も起こらなかったであろう。

BBCが最近、キリストの処刑について特集番組を創った。結論はイエス・キリストは十字架上で処刑されたが死に切らず生き残り、弟子たちには「遠い遠い遠くに行く」と言って別れを告げた、という事であった。

現在でも十字架上の処刑がフィリピンに残っているが、実際に手足に釘を撃ち込んで数十時間放置すると、殆どの死刑囚は出血多量で息絶えるのだが、中には生き残り者が居るそうである。

イエス・キリストの処刑の場面の新約聖書に於ける記述は、処刑開始数十時間後、ローマ兵が検死の為に刑場に現れ、先ず一緒に処刑されたイエズス・バラッバの検死を行い死んでいる事を確かめ、次にイエス・キリストの所に遣って来たところ、「これは確実にもう死んでいる。」と判断して検死をせずに立ち去った、と有る。その後でイエス・キリストの弟子たちや母のマリアがキリストの“亡骸”を十字架上から降ろした。

BBCはイエス・キリストは死に切らず生き残った、とする。というのは、インドのカシミール地方に生き残ったイエス・キリストの言い伝えが有り記念碑も建っているからである、とする。カシミール地方とのイエス・キリストの繋がりは、ベツレヘムの馬小屋で生まれた時に星に導かれて遣って来た東方の賢者たちとは、カシミール地方から遣って来た賢者であった事と、イエス・キリストが10歳から30歳にはインドのカシミール地方に旅していた、とする。

私・佐野千遥は更に、その「遠い遠い遠く」とは日本であったとする。というのは、日本の青森県三戸郡新郷村にキリスト祭りとキリストの墓が残っており、竹内文書にもキリストが縄文の時代の日本に遣って来た、との記述が有るからである。

私・佐野千遥は更に、弟イシキリ・イエス・キリストが日本に遣って来たのはシュメールユダヤの崇神天皇か景行天皇・ヤマトタケルの治世であり、青森は蝦夷[通4]=シュメールアイヌ(中東に行かずに日本列島に留まり続けたシュメールアイヌ)の地であり、中東から戻って来たシュメールユダヤの崇神天皇か景行天皇・ヤマトタケルは、縄文のシュメールとアイヌが八紘一宇であった時代と異なり、シュメールユダヤはシュメールアイヌを軍事攻撃したので、被支配階級民衆の社会正義の為に命を賭して戦い死するを無上の幸福とするイエス・キリストは、青森の蝦夷の側に立って戦い英雄的死を遂げた、と見る。青森の蝦夷の側に立って戦い英雄的死を遂げたから、今日までキリスト祭り祝われキリストの墓が青森県三戸郡新郷村に残った、と見る。
若しイエス・キリストが今日のローマ・カトリック教会の教義のようなものを教え広めた事が原因でキリスト祭りとキリストの墓が今日まで残ったとすると、教義の少なくとも一部が今日まで残り伝えられていなければならないが、そのような教義は全く伝わっていない。日本に遣って来たイエス・キリストは正に自然に解けこみ「神は自然を介して発現する。」を地で行ったような人物だったのではなかろうか?

[註4];この弥生の時代になると蝦夷(エミシ、エゾ)とは最早、純粋アイヌではなく、シュメールのアイヌ混血児の事を指しており、シュメールユダヤ族はシュメールアイヌ族をセム語でアラハバキ族(allah-abak-i=奴隷の神)と呼んで蔑視した。つまりイエス・キリストはシュメールユダヤの崇神天皇か景行天皇・ヤマトタケルの国家主義と命を賭して戦い散った。

以上